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マルコの福音書のデボーション

しばらく休みなさい

するとイエスは彼らに言われた。「さあ、あなたがただけで、寂しいところへ行って、しばらく休みなさい。」

イエスは、弟子たちが向かい風のために漕ぎあぐねているのを見て、夜明けが近づいたころ、湖の上を歩いて彼らのところへ行かれた。(マルコ6:31,48)

今日、イエス様がどれほど良い羊飼いでおられるかを思い巡らしていました。

イエス様は、いつも「仕え、仕え、仕え」と私たちに迫る方ではありません。イエス様は、私たちが御国のために何をしているかだけに関心を持っておられるわけではないのです。

イエス様は、私たちを心から愛しておられます。

だからこそ、イエス様はときにこう言われます。「少し仕えることを休みなさい。わたしと一緒に時間を過ごしましょう。」

それだけではありません。

私たちが「漕ぎあぐねている」とき、風が私たちに逆らっているとき、イエス様は私たちの苦しみに無関心でおられるのではなく、私たちのもとに来て、助けてくださるのです。

51~52節が、私の心をとらえました。

弟子たちは心の中で非常に驚いた。彼らはパンのことを理解せず、その心が頑なになっていたからである。(51-52)

もちろん、弟子たちは、とりわけイエス様の力に驚いていました。しかし、「パンのこと」は、単なるイエス様の力に関する教訓ではありません。

それは、良い羊飼いのように、イエス様が私たちを愛しておられるということなのです。

今日の箇所を読んで、最も印象深かったのはこの真理でした。

私の羊飼いは、私を本当に愛しておられます。

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ヨハネの福音書のデボーション

三つの質問

イエスは目を上げて、大勢の群衆がご自分の方に来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人たちに食べさせようか。」

イエスがこう言われたのは、ピリポを試すためであり、ご自分が何をしようとしているのかを、知っておられた。(ヨハネ6:5ー6)

今朝、私は、イエス様がピリポをどのように試されたのだろうかと考えていました。

イエス様はピリポに実際に何を尋ねられたのでしたか。

私はちょっと分かりませんけど、もしかしたらイエス様はこう訊かれていたかもしれません。

「私が誰であるのかすでに知っている?私が何ができるのか知っている?あなたは私をどれほど信じているのか?」

もしそれらがイエス様の質問であったなら、ピリポはそのテストに完全に落ちてしまいました。

ピリポが考えたのは、「この群衆の必要をどのように満たすことができるだろうか。私たちには無理だろう」ということです。

でもイエス様は、すでにご自分が何をしようとしているのかを、知っておられました。

そして、イエス様はピリポと他の弟子たちが持っていたわずかなもので群衆の空腹を満たしてくださいました。

時々、私はピリポのようです。イエス様は私の回りの人々を見て、その人に触れたいと思っておられます。ご自分が何をしようとしているのかを知っておられるけど、私に向かって、尋ねられます。

「私が誰であるのかすでに知っている?私が何ができるのか知っている?あなたは私をどれほど信じているのか?」

しかし、イエスが誰であり、何ができるかを見る代わりに、私は自分の弱さと力不足を見てしまいます。

でも真実は、私の弱さと力不足は関係ないのです。大切なのは、イエス様が誰であり、何ができるかということです。

だから、私が自問自答しなければならないのは、イエス様を信じるかどうかということです。

なぜなら、イエス様は愛を持って、私が持っているわずかなもので人々に触れることができるからです。

だから私はイエス様の三つの質問についてもっと考えなければならないでしょう。

「私が誰であるのかすでに知っている?」

「私が何ができるのか知っている?」

「私を信じてくれる?」