この箇所では、メシア、つまりイエス様の使命について見ることができます。それは何でしょうか。
一つ目は、神様の栄光を現すことです。(イザヤ書49:3)
つまり、イエス様はイスラエルの民に神様がどのようなお方であるかを教えました。なぜなら、イエス様は神でありながら人間となられたからです。
パウロはイエス様についてこう言いました。
御子は、見えない神のかたちであり。。。神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ「た」。(コロサイ1:15、19)
二つ目は、イエス様が異邦人のために光となることです。つまり、イエス様はイスラエルを救うために来られましたが、それだけではなく、全世界を救うためにも来られたのです。(6節)
三つ目は、イエス様が私たちのために「契約」となられることです。(8節)
イエス様が死ぬ前、自分の弟子たちとともに食事をされました。その時、イエス様は盃を取ってこう言われました。
この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。(ルカ22:20)
また、
罪を赦すために多くの人のために流されるものです。(マタイ26:28)
神様はモーセを通してイスラエルの民と最初の契約を結ばれました。けれども、その契約には重要な条件がありました。それは、イスラエルの民が神様の律法を守るということです。
しかし、新しい契約は異なります。その契約の基礎は私たちの行いではありません。むしろ、その契約の基礎はイエス様の十字架の働きにあります。
もし私たちがイエス様とその働きを信じるなら、私たちの罪は赦されます。
最後に、メシアは
捕らわれ人には「出よ」と言い、やみの中にいる者には「姿を現わせ」と言う。
イエス様はご自身の使命について話された時、こう言われました。
主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし。。。(ルカ4:18)
多くの人々はサタンの国の囚人ですが、神様は彼らを自由にするために来られました。
ただし、一つのことを思い出してください。神様は救いの働きを十字架で始められました。しかし今、その働きを完成させるために、イエス様は御霊を信者たちの心に送られました。
つまり、私たちを通して、イエス様は全世界に福音を述べ伝えたいと願っておられるのです。
御霊は私たちの心の中におられ、私たちを通してこの世界に触れたいと願っておられます。神様は救いのメッセージ、また自由のメッセージを伝えるために、私たちを召されます。
私たちは人々に「牢から出よ」と、また「光のところへおいで」と伝えるべきです。
あなたはそうしているでしょうか。
時々、私たちは失望することがあります。自分の働きが神様のために実を結んでいるのかどうか、疑ってしまうこともあります。それは、時に人々が私たちのメッセージを無視するからです。
イエス様も同じようなことを言われました。
私はむだな骨折りをして、いたずらに、むなしく、私の力を使い果たした。4a)
けれども、イエス様はご自身に、また私たちにこう言われました。
それでも、私の正しい訴えは、主とともにあり、私の報酬は、私の神とともにある。(4b)
神様はきっとあなたの働きのために報いを与えられます。たとえあなたが自分の働きが実を結んでいないと思うことがあったとしても、神様は確かに働いておられます。
パウロはこう言いました。
善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。(ガラテヤ6:9)
あなたが周りの人々に対して、霊的な光となり、塩となりますように。
