カテゴリー
ヨハネの福音書のデボーション

私が天の父が喜ばれることをいつも行えるように

今日の箇所を読んだとき、私は多くの言葉に心を打たれました。特に、29節は私の心に響きました。イエス様は「わたしは、天の父が喜ばれることをいつも行います」と言われました。

私は、「それを言うことができたらいいのになあ」と思いました。

でも、私は他の言葉にも心を打たれました。

あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。(ヨハネの福音書8:31ー32)

まことに、まことに、あなたがたに言います。罪を行っている者はみな、罪の奴隷です。 奴隷はいつまでも家にいるわけではありませんが、息子はいつまでもいます。

ですから、子があなたがたを自由にするなら、あなたがたは本当に自由になるのです。(34ー36)

私のことばはあなたの中で進行していません。(37、英訳)

神から出た者は、神のことばに聞き従います。(47)

わたしの父を敬っているのに、あなたがたはわたしを卑しめています。(49)

だから今日、私はその言葉をまとめて、このように祈りました。

イエス様、あなたのようになりたいです。あなたのように、「私は、天のお父さんが喜ばれることをいつも行います」と言えたいけど、言えません。私は天のお父さんが喜ばれないことをしばしば行うからです。赦してください。

私の言葉と行いによって、天のお父さんとあなたを決して卑しめることがないように。

むしろ、私がいつも心の中に、あなたのみ言葉のための場所を開けるように。

その御言葉が私の心の中で進行するように。私があなたのみ言葉をもっと理解することができるように助けてください。それだけではなく、私がその御言葉に従うことができるように助けてください。

アブラハムのように、私があなたの言葉の真理を聞き、信じ、受け入れ、従うことができるように助けてください。

イエス様、あなたの恵みを感謝します。あなたのおかげで、私はもはや罪の奴隷ではありません。十字架で流されたあなたの血によって、私は自由にされました。私を神の子にしてくださり、本当に感謝します。

カテゴリー
ヨハネの手紙第二のデボーション

真の弟子とは

私たちが御父の命令にしたがって歩むこと、それが愛です。。。

だれでも、「先を行って」キリストの教えにとどまらない者は、神を持っていません。

その教えにとどまる者こそ、御父も御子も持っています。(ヨハネの手紙第二6,9)

ヨハネの手紙を読むと、彼がよくイエス様のことばに思いを巡らしていたことがわかります。ヨハネのことばは、イエス様のことばに基づいています。

あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。

あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。(ヨハネ8:31-32)

わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛している人です。わたしを愛している人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身をその人に現します。。。

だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。(ヨハネ14:21,23)

イエス様の弟子の特徴は何でしょうか。何によって、イエス様への愛は現れるのでしょうか。

それは、私たちがイエス様のことばに従うほど、イエス様に信頼することです。

そうすれば、私たちは自由を知るようになります。

しかし、それだけではなく、私たちの神との関係は、より親しくなります。神様は、御自身を私たちにさらに現してくださり、私たちは神様の愛といつくしみを、より深く理解し、経験します。

私は、神様の愛といつくしみを味わい、神様が良い方であることを知るようになりました。だから、私は神様をもっともっと求めたいです。

あなたはどうですか。イエス様のことばに従い、神様の愛といつくしみを味わったことがあるでしょうか。

カテゴリー
イザヤ書のデボーション

私たちの主の模範に倣う

神である主は、私に弟子の舌を与え、疲れた者をことばで励ますことを教え、朝ごとに私を呼び覚まし、私の耳を呼び覚まして、私が弟子として聞くようにされる。

神である主は私の耳を開いてくださった。私は逆らわず、うしろに退きもせず。。。(イザヤ書50:4-5)

いろんな意味で、イエス様は4〜7節にある言葉を成就されました。(マルコ1:35〜38;ルカ9:51;ヨハネ12:23〜33;マタイ26:67;ヨハネ19:1〜3)

けれども、4〜5節にあるイエス様の模範に、私は特に倣いたいのです。今年だけでなく、残りの人生においても倣い続けたいのです。

疲れた者を言葉で励ますために、キリストの弟子の舌を持ちたいです。

しかし、弟子の舌を持つためには、キリストの弟子の耳が必要です。毎朝、私はイエス様に時間をささげ、私への主の言葉を聞かなければなりません。

それだけではなく、キリストの弟子の心が必要です。私は毎日毎日、一瞬一瞬、イエス様を私の主として従わなくてはなりません。

天のお父さん、私にキリストの弟子の耳をお与えください。私へのあなたの言葉を聞きたいのです。

また、私が疲れた者にあなたの命の言葉を与えるために、キリストの弟子の舌をお与えください。

そして、キリストの弟子の心をお与えください。私が毎日毎日、一瞬一瞬、イエス様を私の主として従うように。

イエス様、私はあなたのようになりたいです。アーメン。