私たちは、あなたがたの顔を見て、あなたがたの信仰で不足しているものを補うことができるようにと、夜昼、熱心に祈っています。 (テサロニケ人への手紙第一3:10)
「あなたがたの信仰で不足しているものを補うことができるように。」
このことばは私の心を打ちました。
パウロは、テサロニケから急に逃げなければなりませんでした(使徒の働き17:5~10)。 そのため、彼はテサロニケのクリスチャンたちに信仰について十分に教えることができませんでした。 だからこそ、パウロは彼らの信仰で不足しているものを補いたいと願ったのです。
同じように、私も自分の娘や教会の若者たちを思うとき、彼らの信仰で不足しているものを補いたいと願います。
けれども、同時に自分自身のことも省みていました。 なぜなら、自分の信仰にも不足しているものがあると気づくからです。
その不足とは、何を信じているかという知識ではなく、むしろ信仰を実際に歩むことです。
例えば、癒しや、愛する人の救い、長く続く問題などのために祈るとき、神様が聞き届けてくださるという信仰が弱いと感じることがよくあります。
また、私にはコンフォートゾーンから踏み出すことがとても難しいです。すべてがうまくいく確信があるときは踏み出しやすいのですが、その確信がないとき、足が前に進まないことがあります。
だから今日、このように祈っています。
天のお父さん、どうか私の信仰でまだ不足しているものを補ってください。
そして、皆さんの熱心な祈りも心から願っています。

