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マタイの福音書のデボーション

みことばが分からないとき

だれでも御国のことばを聞いて悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪います。(マタイの福音書13:19)

すると弟子たちがみもとに来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。(マタイの福音書13:36)

みことばが分からないとき、私たちはどうするでしょうか。

ただ「分からない」と言って脇へ置き、実を結ばないまま、サタンがそのみことばを私たちの心から奪うのを許してしまうでしょうか。

それとも、イエス様の弟子たちのように、みことばを切実に理解したいと願い、へりくだって積極的に「説明してください」と尋ねるでしょうか。

主よ、どうか私に弟子の心を与えてください。私が理解を求め、実を結ぶ者となるようにしてください。

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詩篇のデボーション

主が私を喜んでおられるゆえ

このことによって私は知ります。
あなたが私を喜んでおられることを。 (詩篇41:11)

今朝、私はその言葉を思い巡らしました。

「主が私を喜んでおられる。」

果たして主は本当に私を喜んでおられるのでしょうか。

どのようにそれを知ることができるのでしょうか。

サタンは私を責め、攻撃し、滅ぼそうとしますが、最終的に私を決して打ち倒すことはできません。

イエス様と十字架で流された血によって、私は勝利を得ます。

だからこそ、私はダビデと共に歌います。

ほむべきかな、イスラエルの神【主】。
とこしえからとこしえまで。

アーメン、アーメン。(詩篇41:13)

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士師記のデボーション

後悔のない歩み

ルベンの諸支族の決意は固かった。なぜ、あなたは二つの鞍袋の間に座って、羊の群れに笛吹くのを聞いていたのか。ルベンの諸支族の間には、深い反省があった。

ギルアデはヨルダンの川向こうにとどまった。ダンはなぜ船に残ったのか。アシェルは海辺に座り、その波止場のそばにとどまっていた。(士師記5:15-17)

天のお父さん、人生の終わりに、後悔のない心で自分の歩みを振り返ることができますように。

人々が敵であるサタンから虐げられていたのに、私が自己満足のまま座って彼らを無視していたという後悔。

人々に霊的なニーズが多くあったのに、私が座り、自分のところにとどまっていたという後悔。

天のお父さん、私にあなたの心を与えてください。人々を憐れむ心。人々の人生を滅ぼしている敵と戦う心。

あなたに対する熱心、イエス様が死んでくださった人々に対する熱心を与えてください。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。

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使徒の働きのデボーション

鎖が砕かれるように

すると突然、大きな地震が起こり、牢獄の土台が揺れ動き、たちまち扉が全部開いて、すべての囚人の鎖が外れてしまった。(使徒の働き16:26)

この言葉を読んだとき、私は、鎖が砕かれ、自由にされる必要のある人々のことを考えていました。

ある人は、傷つき、怒りや苦々しい思いに縛られています。別の人は、混乱や不安に縛られています。

また、自己肯定感が低く、自分が不十分だと感じ、縛られている人々もいます。

罪に縛られている人々もいます。

私が気づいていないだけで、サタンは別の鎖によってさらに多くの人々を縛っているのかもしれません。

そこで、今日、神様は私に思い起こさせてくださいました。「わたしはその鎖を砕きたい。」

リディア、悪霊に取りつかれた女性、囚人たち、そして看守の鎖を砕かれたように、神様は私の周囲の人々の鎖を砕くことを望んでおられます。

だから今、私は彼らのために祈っています。彼らにとって、私が天と地の交わる場所となるように祈っています。彼らにどのように触れ、助けることができるか、神様に尋ねています。

あなたの周りには、鎖に縛られた人々がいるのではないでしょうか。あなた自身は鎖に縛られているでしょうか。

神である主の霊がわたしの上にある。。。心の傷ついた者を癒やすため、 主はわたしに油を注ぎ、 わたしを遣わされた。 捕らわれ人には解放を、 囚人には釈放を告げ(ます)。。。(イザヤ書61:1)

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ルカの福音書のデボーション

指一本だけで

しかし、わたしが神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。(ルカの福音書11:20)

霊的な戦い、特に私たちの敵サタンを考えるとき、私たちは大切な真理を忘れがちです。

それは、神様がサタンよりも断然強いということです。

サタンは神様と対等ではありません。

神様は創造主です。サタンは、ただの被造物なのです。

神様は、小指一本だけでサタンを破ることができます。

だから、霊的な戦いに直面するとき、私たちのうちにおられる方を信じて、立ち向かいましょう。

そして、ヨハネのことばを心に留めておきましょう。

子どもたち。あなたがたは神から出た者であり、彼らに勝ちました。

あなたがたのうちにおられる方は、この世にいる者よりも偉大だからです。(第一ヨハネ4:4)

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ルカの福音書のデボーション

イエス様への祈り

シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。

しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。(ルカの福音書22:31ー32)

主よ、ある日、あなたはこの世に来て、すべてを治められます。その日、私たちはあなたと共に治めます(第二テモテ2:12)。

それに、私たちはあなたの食卓で食し、あなたとの交わりを楽しみます。

でも、今はその時ではありません。ペテロや弟子たちのように、私たちは試練に直面します。その試練によって、サタンは私たちを麦のようにふるいにかけようと望んでいます。

だから、ペテロのために祈ってくださったように、私たちのためにも祈ってください。私たちのためにとりなしてください。

主よ。私は自分のことをよく知っています。私が失敗する時が必ず来ます。

でも、その時、私を引き起こしてください。そして、私の兄弟たちを力づけるために、私を用いてください。彼らに、私が受けた恵みを彼らも受けることができることを思い出させてください。

そして、私が落ち込んでいる時、あなたの恵みが私から遠く感じる時、私を力づけるために、私の兄弟たちを用いてください。

あなたの御名によって祈ります。アーメン。

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コリント人への手紙第一のデボーション

困難な時代にあっても

毎日のニュースを読むと、私たちが困難な時代に生きていることがよく分かります。そして、へこたれたり、恐れたり、絶望したりするのは、たやすいことです。

しかし、まさにこのような時代にこそ、パウロの言葉が本当に適切だと感じます。

目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。雄々しく、強くありなさい。一切のことを、愛をもって行いなさい。(コリント人への手紙第一16:13ー14)

「目を覚ましていなさい。」

なぜでしょうか。なぜなら、サタンは私たちを絶望させようとしているからです。また、私たちを恐れさせようとしています。

ペテロが言ったように、サタンは吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています(第一ペテロ5:8)。だから、私たちは気を付けなくてはなりません。

「雄々しく、強くありなさい。」

どうして私たちはそうできるのでしょうか。なぜなら、私たちのうちにおられるイエスは、この世にいる悪魔よりも偉大だからです(第一ヨハネ4:4)。

イエス様にあって、私たちはすでに勝利を得ています(第一コリント15:57–58)。

また、イエス様はもう一度この世に来られます。最初に来られたとき、イエス様は私たちの罪を背負われましたが、今度はすべての悪を滅ぼし、救いをもたらし、すべてを新しくしてくださいます(ヘブル9:28)。

「一切のことを、愛をもって行いなさい。」

なぜでしょうか。私たちが世の人々と違うのは、キリストの愛です。そして、その愛によってのみ、私たちは神の国のために、周りの人々に影響を与えることができます。

だから、堅く信仰に立ちましょう。ダビデが歌ったように、私たちは主のいつくしみを見るのです(詩篇27:13)。

待ち望め 主を。雄々しくあれ。
心を強くせよ。 待ち望め 主を。(詩篇27:14)

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ヨハネの手紙第一

サタンが私たちに売ろうとするもの

サタンを吠えるライオンとして考えるのは簡単なことです。また、私たちはしばしばサタンを、私たちを滅ぼそうとする者として想像します。

もちろん、サタンがそのように見える時もありますが、羊のように見える時もあります。特に、この世に現れるとき、反キリストは羊のように見えるでしょう。

「反キリスト」という言葉を聞くと、私たちはこの世を荒らす恐ろしい者を思い浮かべるかもしれません。もちろん、彼はそのような存在です。けれども、この世を荒らす前に、彼はキリストのように見えるでしょう。彼はこの世に平和と救いを約束します。

彼はまだこの世に現れていませんが、長い歴史の中で、ヨハネの時代にもさまざまな反キリストたちが現れました。

最初は彼らが親切で、教会を祝福する者に見えましたが、最終的には教会に毒を広げたため、彼らは追い出される必要がありました。

ヨハネは彼らについてこう言いました。

彼らは私たちの中から出て行きましたが、もともと私たちの仲間ではなかったのです。

もし仲間であったなら、私たちのもとに、とどまっていたでしょう。しかし、出て行ったのは、彼らがみな私たちの仲間でなかったことが明らかにされるためだったのです。(ヨハネの手紙第一2:19)

彼らはどんな「毒」を広げたのでしょうか。今なお、その毒はこの世に広まり続けています。それは、イエス様を否定することです。

日本は事情が異なるかもしれませんが、アメリカでは、多くの人々が「神様を信じる」と言います。そして、もしあなたが「私は神様を信じています」と言っても、彼らは全く気にしません。

けれども、もしあなたが「イエス様だけが神です」と主張すると、彼らは非常に怒るでしょう。

しかし、ヨハネはこう言います。

偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否定する者、それが反キリストです。

だれでも御子を否定する者は御父を持たず、御子を告白する者は御父も持っているのです。(22-23)

言い換えると、イエス様を否定するなら、神様を信じると主張することはできません。なぜなら、イエス様を否定することは、神様を否定することだからです。どうしてでしょうか。それは、イエス様ご自身が神だからです。

イエス様の時代、ユダヤ人たちはそれを理解できませんでした。つまり、神様が約束されたメシアが神であるということです。

ところで、ギリシャ語では、「キリスト」とは「メシア」を意味します。キリストは名前ではなく、肩書です。その広い意味は「王と救い主」です。

とにかく、ユダヤ人たちがキリストが神であることを理解していなかったために、イエス様が「もしキリストがダビデの子であるなら、なぜダビデはキリストを主と呼ぶのか」と尋ねると、彼らは答えることができませんでした。(マタイ22:42、45)

その答えは、人間として、キリストはダビデの子であり、同時にキリストご自身が神であるということです。(ヨハネ8:58、10:30-33)

しかし、多くの人々は故意にその真理を否定します。彼らはイエス様を善良な人、預言者、または神の子と呼びます。

もちろん、イエス様についてそう言うことは正しいです。けれども、それだけではありません。イエス様は永遠から永遠まで神なのです。それを否定する者は、まさにサタンが売る毒を飲み込んでいます。

だからこそ、ヨハネはこう言います。

あなたがたは、初めから聞いていることを自分のうちにとどまらせなさい。もし初めから聞いていることがとどまっているなら、あなたがたも御子と御父のうちにとどまります。

これこそ、御子が私たちに約束してくださったもの、永遠のいのちです。(24-25)

最終的な質問は、「あなたがたはキリストについてどう思いますか。彼は誰の子ですか。」

あなたの永遠の運命は、その答えに基づいています。(マタイ22:42)

あなたはどう思いますか。

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ペテロの手紙第二

サタンを過小評価する

C.S.・ルイスはこう記しました。

「人々は悪霊について二つの相反する誤解を持っています。ある人々は悪霊の存在を信じません。一方で、悪霊の存在を信じる人々もいますが、悪霊に対して不健康な興味を抱き、過度に思いを巡らせてしまうのです。」

私はもう一つの問題を指摘したいと思います。

ある人々は悪霊たちを過小評価します。

第2章では、ペテロは偽教師について警告しました。その偽教師たちの問題の一つは、彼らが権威を持つ者を認めなかったこと、また、彼らよりも偉大な者たちを敬わなかったことです。

もちろん、彼らは神様の権威や偉大な立場を認めませんでした。また、彼らは使徒たちや教会のリーダーたちを敬いませんでした。しかし、ペテロはさらに言います。

特に、汚れた欲望のまま肉に従って歩み、権威を侮る者たちに対して、主はそうされます。この者たちは厚かましく、わがままで、栄光ある人たちをののしって恐れません。

御使いたちは勢いも力も彼らにまさっているのに、主の御前で彼らをそしって訴えたりしません。

この者たちは、本能に支配されていて、捕らえられ殺されるために生まれてきた、理性のない動物のようです。自分が知りもしないことを悪く言い、動物が滅びるように滅ぼされることになります。(ペテロの手紙第二2:10-12)

「栄光ある人たち」とは、サタンと他の悪霊たちのことです。(彼らは罪に落ちましたが、まだ残っている栄光を持っています。)

ペテロによれば、良い天使たちは人間よりも力を持っているにもかかわらず、神様の前でサタンと悪霊たちを訴えたりしません。サタンと悪霊たちがいつか裁かれることは確かですが、それでも良い天使たちは彼らを訴えることを控えます。

それにもかかわらず、偽教師たちはサタンや悪霊たちを軽んじました。では、彼らはどのようにサタンと悪霊たちを悪く言ったのでしょうか。それは明確には記されていません。

もしかすると、彼らがサタンのしもべとして非難された際に、こう答えたのかもしれません。「サタン?サタンは私を支配しない。私は自分自身の主だ。サタンの顔に唾を吐いてやる。」

しかし、自分よりも力のあるものを軽んじるのは非常に危険なことです。ペテロや他の使徒たちは決してそのようなことをしませんでした。むしろ、ペテロはクリスチャンたちに警告しました。

身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。(第一ペテロ5:8)

もし、ライオンを軽んじると、あなたは食べられてしまうかもしれません。

そういうわけで、占い師や星座占い、またほかのオカルト的なものに参加してはいけません。

また、偶像礼拝に参加してはいけません。もちろん、偶像自体は何でもないものです。それでも、その偶像には悪霊との関係があります。

そのため、パウロはこう言いました。

むしろ、彼らが献げる物は、神にではなくて悪霊に献げられている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません。(第一コリント10:20)

でも、その反面、私たちにはサタンや悪霊たちに怯える必要がありません。なぜなら、ヨハネはこう言いましたから。

あなたがたのうちにおられる方(つまり、御霊)は、この世にいる者(つまり、サタン)よりも偉大だからです。(第一ヨハネ4:4)

また、ペテロは私たちに訓戒します。

堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。(第一ペテロ5:9)

それでも、サタンを過小評価してはいけません。彼は力強いものです。もちろん、彼はあなたよりも力強いのです。

だからパウロの言葉に従いましょう。

主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。(エペソ6:10-11)

簡単に言うと、サタンを重視しなくてはいけません。サタンを軽んじてはいけません。

むしろ、イエス様と共にいつもいなくてはいけません。イエス様の力によって強められなくてはいけません。そうしてこそ、あなたはサタンに勝利を得ます。

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イエス様の邪魔するもの

私たちはよく、他のクリスチャンにつまずきや妨げとなるものを置かないよう、注意するように教えられます。

また、キリストを信じない人々に対して、イエス様が「つまずきの石」や「妨げの岩」であるということをよく聞きます。

しかし、私たちはどれほどイエス様の働きを妨げる存在になってしまうことがあるでしょうか。この箇所を読んだとき、そのことを考えさせられました。

イエス様は弟子たちに、神様の計画を成し遂げるために、ご自身が死ななければならないと語られました。

弟子たちはその言葉を聞いて驚きました。彼らは初めてこの話を聞いたし、それは彼らが思い描いていたメシア像とはかけ離れたものでした。

彼らは、イエス様がローマ帝国を打ち倒し、イスラエルを解放されると信じていました。そして、彼ら自身がイエス様の大臣になると思い込んでいました。そのため、イエス様の言葉に深く戸惑ったのです。

けれども、いつものように、ペテロは真っ先に自分の思いを表現しました。

主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。(マタイ16:22)

「神の御恵みがありますように」という言葉は直訳するとそのようになりますが、その本当の意味は「まさか!」という驚きの表現です。

つまり、ペテロはイエス様の言葉に対して強く反対しました。

私たちはどれほどイエス様を「主」と呼びながらも、イエス様の言葉に逆らうことがあるでしょうか。ペテロもそうしました。

そのため、イエス様は彼を厳しく叱責されました。

下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。(23)

もしイエス様に「サタン」と呼ばれたら、あなたはどう感じるでしょうか。イエス様はペテロを「サタン」と呼ばれました。なぜなら、ペテロの口から出た言葉は、サタンの考えそのものだったからです。

イエス様は、私たちの罪のために十字架で死ぬことをすでに決断されていました。しかし、ペテロはイエス様の計画に強く反対しました。だからこそ、イエス様の敵がイエス様を逮捕しようとしたとき、ペテロは下手ながらも彼らを攻撃しました。

ところが、その態度によって、彼はイエス様とその計画を妨げる者となってしまいました。ペテロは、自分の思いをイエス様の思いに合わせようとはしませんでした。むしろ、イエス様の思いを自分の思いに合わせようとしたのです。

あなたはどうでしょうか。あなたの人生において、あなたは神の御心を考えていますか?それとも、人の考えにばかりとらわれていますか?

あなたは自分の計画を神様の計画に合わせているでしょうか?それとも、神様の計画を自分の計画に合わせようとしているでしょうか?

あなたは神様の御心に従っているでしょうか?それとも、神様の名前を自分の計画に利用しようとしているでしょうか?

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天の父に従う?

この箇所は本当に有名な聖書の話です。それは、イエス様が砂漠で誘惑される話です。

サタンからの誘惑に対するイエス様の反応は、私の心に深く響きます。イエス様が本当に天の父を信頼されたからです。

洗礼を受けられた後、イエス様は聖霊に満たされ、また聖霊に導かれて砂漠に行かれ、そこで40日間過ごされました。

だからこそ、サタンが来た時のイエス様の反応は特にふさわしいものだったと思います。サタンは三度イエス様を誘惑しましたが、イエス様が答えられた時、すべて申命記から引用されました。

なぜそれがふさわしかったのでしょうか。それは、イスラエル人が砂漠で40年間過ごした後に、モーセが申命記を書いたからです。そして、イエス様が誘惑された時、その言葉に従われたのです。

では、モーセは何を言ったのでしょうか。

あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。

それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。

それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。(申命記8:2-3)

天の父がイスラエル人を試すために彼らを砂漠に導かれたように、天の父はイエス様を試すために、彼を砂漠に導かれました。イスラエル人と同じように、イエス様も苦しみ、飢えを経験されました。

けれども、イスラエル人と違って、イエス様は文句を言わず、天の父がふさわしい時にイエス様の必要を備えてくださることを信じ続けられました。

サタンは言いました。「自分の力を使えばいいじゃないか?あなたの天の父はあなたの必要に備えていないじゃないか。もう40日間が経った。だから、この石をパンに変えたらどうだ?」

しかし、イエス様はサタンの薦めを拒絶されました。むしろ、イエス様は天の父がイエス様の必要に備えてくださることを信じ続けられました。

次に、サタンは聖書を引用してイエス様にこう言いました。「神殿の頂から身を投げてみなさい。天使たちはきっとあなたを救うでしょう。」

(サタンも聖書をよく知っています。だからこそ、私たちは聖書の箇所の前後をしっかりと読まなければなりません。)

けれども、イエス様は再びモーセの言葉を引用されました。

あなたがたがマサで試みたように、あなたがたの神、主を試みてはならない。(申命記6:16)

マサでは何が起こったのでしょうか。イスラエル人はもう一度神様を信頼しなかったため、文句を言いました。水を見つけることができなかったので、彼らは叫びました。「主は私たちの中におられるのか、おられないのか。」(出エジプト記17:7)

時々、私たちも同じ質問をします。私たちが苦しんでいる時、神様に「あなたは私と共におられるのですか、それともおられないのですか」と訊きます。

同じように、サタンはイエス様が天の父を疑うように誘惑しました。

「あなたの天の父は本当にあなたと共におられるでしょうか。天の父に仕えたいなら、そのことを確認した方がいいですよ。だから、神殿の頂から飛び降りてみなさい。もし天の父が本当にあなたと共におられるなら、あなたを救ってくださいます。」

けれども、イエス様は拒絶されました。それは、たとえイエス様に天の父が見えなかったとしても、天の父がイエス様と共におられることを信じておられたからです。

最後に、サタンはこう言いました。

もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。(マタイ4:9)

しかし、イエス様は再び拒絶されました。それは、イエス様が天の父に従うことを決心されていたからです。そこで、イエス様はこう答えられました。

引き下がれ、サタン。「あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ」と書いてある。(マタイ4:10/申命記6:13;10:20)

あなたは誰に従っているのでしょうか。天の父に従っているのでしょうか。天の父があなたと共におられることを信じていますか。天の父があなたの必要を備えてくださることを信じていますか。天の父を家族よりも、友達よりも、仕事よりも大切にしていますか。

あなたは誰に従っているのでしょうか。

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ネヘミヤ記

敵に対する警戒心

エルサレムの城壁の修理は完成しました。それでも、ネヘミヤは安心できませんでした。ネヘミヤは信頼できる二人の人物にエルサレムを治めるように命じました。ハナニとハナヌヤは特にエルサレムの防衛の担当でした。ネヘミヤは彼らにこう言いました。

太陽が高く上って暑くなる前に、エルサレムの門をあけてはならない。そして住民が警備に立っている間に、門を閉じ、かんぬきを差しなさい。

エルサレムの住民のうちから、それぞれの見張り所と自分の家の前に見張りを立てなさい。(ネヘミヤ記7:3)

その指示の理由は、皆が寝ている間や、皆が起きたばかりの時に、エルサレムが攻撃されないためです。また、人々が自分の家の近くの地域を守らなければならないのなら、彼らはきっと用心するでしょう。

私たちも用心するべきです。私たちの霊的な城壁を建て直し、信仰に堅く立っているかもしれません。しかし、私たちは警戒心を緩めることはできません。サタンはいつも私たちを倒す機会を待っています。

彼は本当に忍耐強いです。私たちがあまり気を付けないと、彼はすぐに私たちを攻めてきます。

ダビデとバテシェバの話は本当に良い例です。

だから、パウロはこう書きました。

ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。(第一コリント10:12)

また、ペテロの言葉をいつも思い出しましょう。

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。(第一ペテロ5:8)

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イザヤ書

サタンの敗北

この箇所は13章の続きで、バビロンの裁きについてです。

多くの人々はこの箇所がサタンに関するものだと思います。特に12−14節はサタンに関すると思います。

私はそこまで言わないけれども、バビロンの王とサタンは共通点がたくさんありました。

その二人は高い立場を望み、力も持ちたがっていました。その二人は神様のようになろうとしていました。そのために彼らは人々を抑え、囚人として捕えました。

しかし、神様はその二人を打ち倒されました。そして、バビロンの王の治世が終わったように、サタンの治世も終わります。

イザヤは、バビロンの王が倒れたら人々がこう言うと預言しました。

しいたげる者はどのようにして果てたのか。横暴はどのようにして終わったのか。

主が悪者の杖と、支配者の笏とを折られたのだ。

彼は憤って、国々の民を打ち、絶え間なく打ち、怒って、国々を容赦なくしいたげて支配したのだが。全地は安らかにいこい、喜びの歌声をあげている。。。

下界のよみは、あなたの来るのを迎えようとざわめき、死者の霊たち、地のすべての指導者たちを揺り起こし、国々のすべての王を、その王座から立ち上がらせる。彼らはみな、あなたに告げて言う。

「あなたもまた、私たちのように弱くされ、私たちに似た者になってしまった。」(イザヤ書14:4-7、9-10)

そのように、イエス様がこの世にもう一度来られると、サタンは永遠に打ち倒されます。その日、皆は喜び、やっと平和が訪れます。

また、サタンは地獄に落ち、その力はすべて失われます。そして、他の悪人のようにサタンは自分の罪とプライドによって火の池に投げ込まれます。

多くの人々はサタンと地獄について誤解があります。彼らはサタンが地獄の王だと思っています。

しかし、サタンは今地獄にいないし、全く行きたくありません。なぜなら、サタンが地獄に行く時、王として行くのではないからです。サタンは監獄の長としてさえも行きません。むしろ、地獄の囚人として行きます。

バビロンの王が落ちた時に、皆は驚いて言いました。

この者が、地を震わせ、王国を震え上がらせ、世界を荒野のようにし、町々を絶滅し、捕虜たちを家に帰さなかった者なのか。(16-17)

そのように、サタンが落ちると、皆は驚いて同じようなことを言います。

この箇所によって私たちは何を学ぶことができるでしょうか。サタンと悪霊があなたを攻めるかもしれませんが、彼らの時間は短いです。彼らもそのことを知っています。

ある日、彼らが裁かれ、その日この世の悪は消え、あなたの苦しみも終わります。だから、私たちは希望があります。

あなたは永遠に苦しむことはありません。サタンが永遠にあなたを責め続けることもありません。

イエス様の十字架の働きによって、神様はすでに救いの御業を始めておられます。そして、神様はあなたを罪の力と罪の罰からすでに解き放ってくださいました。

とはいえ、私たちは罪の臨在からまだ救われていません。だから、私たちはまだ苦しんでいます。しかし、その日も来ます。

その日、

彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。(黙示録21:4)

だからこそ、試練が来ても失望しないでください。むしろ喜びましょう。なぜなら、イエス様を通して、私たちはもう勝利を得たからです。