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ペテロの手紙第一のデボーション

バビロンに寄留者として生きる

 あなたがたとともに選ばれたバビロンの教会。。。あなたがたによろしくと言っています。(ペテロの手紙第一5:13)

私の教会の夏のメッセージ・シリーズで、牧師はダニエル書から教えていました。そして、私が第一ペテロを読んだとき、考えたのは、「ペテロは、この手紙を書いたとき、ダニエルの話を考えていただろうか」ということです。

ペテロは、その読み手を寄留者と呼びました。(1:1、2:11)

同じように、ダニエルはバビロンに寄留者として生活しました。ペテロ自身は、自分がバビロンにいると言いました。

(ちなみに、ペテロの時代、クリスチャンたちはローマをバビロンと呼ぶことがよくありました。)

また、ダニエルは生ける望みを持っていました。つまり、復活の望みを持っていたということです。(ダニエル書12:2、13;第一ペテロ1:3)

ダニエルの友達の信仰は、文字通り火で精錬されました。(ダニエル3章;第一ペテロ1:7)

ダニエルの信仰も試され、文字通り吼えたけるライオンに直面しました。(ダニエル6章;第一ペテロ5:8)

主は、ダニエルとその友たちの祈りを聞かれ、その敵に反対されました。(ダニエル書1~3、6;第一ペテロ3:12)

主は、ダニエルとその友達を高く上げられ、高ぶっている王たちを低くされました。(ダニエル1~5;第一ペテロ5:5~6)

ダニエルとその友達が何も悪いことをしていないのに苦しんだとき、まるでペテロの手紙を読んでいたかのようにふるまいました。(第一ペテロ2:12~20、3:13~17、4:12~19、5:6~10)

最後に、ダニエル書では、この暗い世界においても、神様がなお治めておられるという素晴らしい真理を見ることができます。(ダニエル2:44、4:34、6:26、7:13~14、27;第一ペテロ4:11、5:11)

この世では、私たちはただの寄留者です。私たちはこの世界に属していません。そして、この壊れた世界で私たちは苦しむこともあります。でも、私たちの試練や苦しみの中で、ペテロとダニエルから学びましょう。

つまり、

ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。

あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。

堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。ご存じのように、世界中で、あなたがたの兄弟たちが同じ苦難を通ってきているのです。

あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあって永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみの後で回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。

どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。(第一ペテロ5:6-11)

 

 

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ダニエル書3

すべてを治めておられる神

ダニエル書は年代順に書かれていないため、まず5章と6章をスキップします。この箇所が書かれた時、ベルシャツァルがバビロンの王でした。

(実際には、ベルシャツァルは父ナボニドスと共にバビロンを治めていましたが、その当時ナボニドスはテイマという場所に住んでおり、ベルシャツァルがバビロンの管理を任されていました。)

その時、ダニエルは幻を見ました。その幻はネブカデネザルの夢に似ていました。(ダニエル書2章参照)

ダニエルは四頭の大きな獣を見ました。それらの四頭の獣は四つの王国を象徴していました。

鷲の翼を持つ獅子はバビロンを表していました。ダニエルは次のように書いています。

見ていると、その翼は抜き取られ、地から起こされ、人間のように二本の足で立たされて、人間の心が与えられた。(ダニエル書7:4)

その話はネブカデネザルについてです。私たちはすでにダニエル書4章でその物語を読みました。ネブカデネザルは理性を失いましたが、その後、神様が彼に正気を返してくださいました。

熊はメディア・ペルシャ帝国を表していました。ダニエルは次のように書いています。

その獣は横ざまに寝ていて、その口のきばの間には三本の肋骨があった。(5節)

横ざまに寝ているということは、ペルシャがメディアよりも強いことを象徴していました。そして、その三本の肋骨はメディア・ペルシャ帝国に征服された国々を示しています。つまり、バビロン、ギリシア、そしてエジプトです。

次の獣はヒョウでした。ダニエルは次のように書いています。

その背には四つの鳥の翼があり、その獣には四つの頭があった。そしてそれに主権が与えられた。(7節)

そのヒョウはギリシャを表していました。アレキサンダー大王は迅速に世界を征服しました。けれども、彼の死後、四人の将軍たちが(幻では四つの頭)支配を始めました。

最後の獣はローマ帝国を表していました。ダニエルは次のように書いています。

その後また、私が夜の幻を見ていると、突然、第四の獣が現われた。それは恐ろしく、ものすごく、非常に強くて、大きな鉄のきばを持っており、食らって、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。

これは前に現われたすべての獣と異なり、十本の角を持っていた。

私がその角を注意して見ていると、その間から、もう一本の小さな角が出て来たが、その角のために、初めの角のうち三本が引き抜かれた。

よく見ると、この角には、人間の目のような目があり、大きなことを語る口があった。(7-8節)

その十本の角は、おそらく古代ローマ帝国(つまり、現代のヨーロッパ)から現れる将来の支配者たちを象徴しています。

けれども、もう一人の支配者が他の支配者たちよりも高い地位を取ることになります。その支配者は神様に逆らう言葉を吐き、神様の民を迫害します。(20-25節)

その人物は、おそらく反キリストと考えられます。(第一ヨハネ2:18)

しかし、神様はその反キリストを裁かれるのです。その時、

人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。

その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。(ダニエル書7:13-14)

つまり、イエス様がこの世に戻られる時、神様の国が来て、イエス様が永遠に支配されます。

聖書学者たちの間では、その出来事のタイミングについて多くの議論があります。私にも自分の考えがありますが、最終的には神様だけがそのタイミングを知っているため、私はそのすべてを神様の御手に委ねます。

ですから、イエス様がいつ帰って来られるかについてはあまり考えません。重要なのは、イエス様が帰って来られる時に、私がちゃんと準備ができていることです。反キリストが来る前に天国へ行きたいですが、もしまだこの世にいるなら、パウロの言葉を思い出します。

あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。

むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。(第一コリント13:10)

でも、一番大切なのは、結局神様が全てを治めておられるということです。世の状況がどんなに厳しくなっても、神様がすべてをコントロールしておられるので、私たちには希望があります。神様は王を廃し、王を立てられます。(ダニエル2:21)

神様はネブカデネザル、クロス王、アレキサンダー大王、そしてシーザーを立て、その時が来ると彼らを廃されました。

そして、反キリストが来る時、すべてが困難になりますが、結局神様は彼をも廃されます。そして、神様は永遠にこの世を治められます。

だから、この世の状況を見て不安に思う時は、イエス様の言葉を思い出しましょう。

あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。(ヨハネ14:1)

また、

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。

しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。(ヨハネ16:33)

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エレミヤ書

あなたは私に信頼するから

このブログでは、私は可能な限り、聖書の出来事を年代順に読んでいます。私にとって、そのような読み方は非常に興味深いです。なぜなら、それまで気づいていなかったことに気づくことができたからです。

例えば、この箇所では、ネブカデネザルはエレミヤに関して次のように命じました。

彼を連れ出し、目をかけてやれ。何も悪いことをするな。ただ、彼があなたに語るとおりに、彼にせよ。(エレミヤ書39:12)

どうしてネブカデネザルはエレミヤに親切にしたのでしょうか。

40章によれば、ネブカデネザルはエレミヤの預言を知っていたからです。つまり、ユダの罪のゆえに、神様がユダをネブカデネザルの手に渡すと預言していたからです。

けれども、どうしてネブカデネザルはその預言を知っていたのでしょうか。

おそらく、エホヤキン王と他のユダ人たちが追放された際に、ネブカデネザルは彼らからその預言を知ったのかもしれません。

しかし、誰がネブカデネザルにその預言について話したのでしょうか。また、なぜネブカデネザルはその預言を信じたのでしょうか。

私は分かりませんが、多分ダニエルがネブカデネザルにその預言について話したのではないかと思います。なぜなら、ネブカデネザルはダニエルを尊敬していたからです。ダニエルは「呪法師の長」でした。(ダニエル4:9)

彼はネブカデネザルに仕えました。また、ダニエルはエレミヤの預言をよく知っていました。(ダニエル9章)

それゆえ、ダニエルはエルサレムが滅びそうだと聞いたとき、おそらく彼はネブカデネザルにこう言ったのかもしれません。

「王様、エルサレムにはエレミヤという預言者がいます。私たちは同じ神に仕えています。また、彼はユダの没落を預言しました。ですから、彼を守ってください。」

もちろん、これは私の想像に過ぎませんが、正しいかもしれないと思います。

いずれにせよ、ネブカデネザルはエレミヤを守りました。

ヨシヤ王が亡くなった後、エレミヤはずっと苦しんでいました。それでも、彼が神様に信頼したため、ユダが滅び、そのリーダーたちが追放され、あるいは殺された時も、エレミヤは救われました。

エベデ・メレクという人も救われました。以前、エレミヤが穴に投げ込まれた時、エベデ・メレクはゼデキヤ王のもとに行き、エレミヤの解放を頼みました。

そのため、神様はエベデ・メレクにこう言われました。

イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。見よ。わたしはこの町にわたしのことばを実現する。幸いのためではなく、わざわいのためだ。それらは、その日、あなたの前で起こる。

しかしその日、わたしはあなたを救い出す。――主の御告げ――

あなたはあなたが恐れている者たちの手に渡されることはない。わたしは必ずあなたを助け出す。

あなたは剣に倒れず、あなたのいのちはあなたの分捕り物としてあなたのものになる。それは、あなたがわたしに信頼したからだ。――主の御告げ――(39:16-18)

神様はその約束を守られました。エルサレムが滅びた時、神様は彼を守られました。

「あなたが私に信頼したからだ。」

その言葉は私の心に響いています。私たちが神様に信頼すると、周りの人々が裁かれても、私たちは救われます。私たちは神様の恵みとあわれみを受けます。

ただ、神様に信頼するからといって、私たちが決して苦しまないというわけではありません。エレミヤは多くの苦しみを経験しましたし、多くの人々も自分の信仰のために苦しみました。

しかし、彼らが死んだ後、最終的に休息と報いを受けました。

この世では私たちが救いを受けられないかもしれません。イエス様に従うことによって、私たちは苦しむことがあるかもしれません。けれども信仰はこう言います。

「私の救いは今は見えないけれど、最終的にその救いが来ると信じます。」

エレミヤはそのような信仰を持っていました。エベデ・メレクもそのような信仰を持っていました。私たちにもそのような信仰が必要です。

へブル人への手紙の著者はこう書いています。

信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。

神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。(へブル書11:6)

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ダニエル書

人間と共に歩まれる神

聖書の中では、この箇所は有名な預言の一つです。神様はネブカデネザルにバビロン、ペルシャ、ギリシャ、ローマの帝国の将来を示されました。

神様がネブカデネザルにはっきりと教えたことは、これらの王国や帝国がどれほど素晴らしくても、それらは一時的なものであるということです。

これらの国々は神様の国と比べることはできません。なぜなら、神様の国がそれらを一掃し、神様の国は永遠に続くからです。

この預言は非常に興味深いですが、ネブカデネザルのカルデヤ人(つまり、占星術師)の言葉もまた注目に値します。

ネブカデネザルは彼らに、夢の意味だけでなく夢の内容そのものを知らせるよう命じました。夢の内容を知らせることができなければ、ネブカデネザルは彼らの解釈を信じることはできないからです。

そのカルデヤ人たちはこの要求を聞いて、不満を漏らしました。

この地上には、王の言われることを示すことのできる者はひとりもありません。どんな偉大な権力のある王でも、このようなことを呪法師や呪文師、あるいはカルデヤ人に尋ねたことはかつてありません。

王のお尋ねになることは、むずかしいことです。肉なる者とその住まいを共にされない神々以外には、それを王の前に示すことのできる者はいません。(10-11)

バビロン人たちは多くの神々を信じていましたが、その神々にアクセスすることはできませんでした。彼らはこう言いました。「私たちの神々は人間とその住まいを共にしない」。

しかし、ダニエルの神様は人間と共に歩まれる神です。

ネブカデネザルはバビロンの知者たちを全て殺すよう命じました。

ダニエルはその命令を聞き、神様に祈る時間を求めました。神様はダニエルの祈りを聞き届け、ネブカデネザルの夢とその意味を教えてくださいました。

そして、ダニエルは神様をほめたたえました。

神の御名はとこしえからとこしえまでほむべきかな。知恵と力は神のもの。神は季節と時を変え、王を廃し、王を立て、知者には知恵を、理性のある者には知識を授けられる。

神は、深くて測り知れないことも、隠されていることもあらわし、暗黒にあるものを知り、ご自身に光を宿す。私の先祖の神。私はあなたに感謝し、あなたを賛美します。

あなたは私に知恵と力とを賜い、今、私たちがあなたに請いねがったことを私に知らせ、王のことを私たちに知らせてくださいました。(ダニエル書2:20-23)

ダニエルと共に歩まれた神様は、私たちとも共に歩まれるお方です。イエス様は「インマヌエル」、つまり「私たちと共におられる神」です。

ですから、神様が遠く離れておられる神ではないことを忘れないようにしましょう。

私たちが問題に直面する時、ダニエルのようにへりくだり、神様を求めましょう。神様がダニエルと共におられたように、私たちとも共におられます。