イエス様の復活について、二つの注意事項をお伝えしたいと思います。
一つ目は、マルコ16:9-20を省略することです。なぜなら、多くの聖書学者によれば、マルコはこの部分を書いていなかったと考えられているからです。
では、なぜマルコは具体的にイエス様の復活について語らなかったのでしょうか。私は三つの説を聞いたことがあります。
1つ目は、マルコが福音書を完成させる前に亡くなったという説です。
2つ目は、元々の結末が何らかの理由で失われたという説です。
3つ目は、使徒の時代には、教会で牧師がマルコの福音書を朗読した後に、イエス様の復活を目撃した人々が自分の証を語っていた可能性があるという説です。
いずれにせよ、マルコが亡くなった後、現在の結末が加えられたと考えられています。
二つ目の注意事項は、福音書間でイエス様の復活の記録を統合するのが非常に難しいということです。できる限り、復活の出来事の順番を整理しようと思いますが、これはあくまで私の考えです。
とはいえ、どの福音書を読んでも、基本的な事実は一致しています。
女性たちがイエス様の墓に着いたとき、その墓はすでに空っぽでした。そして、天使たちが現れ、イエス様の復活を彼女たちに知らせました。
その後、イエス様はマリアやほかの女性たちにご自身を現され、彼女たちは弟子たちにイエス様の復活を伝えました。
現代の弁護士によれば、法廷では証人の証言に多少の違いがあったとしても、これらの四つの事実は十分に認められるでしょう。
では、簡単にですが、復活の出来事の順番を説明します。
1.女性たちはイエス様の墓に行ったが、イエス様の遺体はありませんでした。
2.マリアが墓に入り、イエス様の遺体がないと分かると、すぐに弟子たちに知らせるために戻りました。
3.ほかの女性たちはその場に残り、おそらく何が起こったのか疑問に思ったでしょう。そして、二人の天使が現れ、そのうちの一人がイエス様の復活の良い知らせを伝えました。
4.そこで、女性たちは弟子たちに伝えるために急いで戻りました。彼女たちは急いでいたため、誰とも話しませんでした。(マタイ28:5-8;マルコ16:1-8;ルカ24:1-10)
5.その間に、マリアは弟子たちにイエス様の遺体がなくなったことを伝えました。(ヨハネ20:2)そこで、ペテロと(おそらく)ヨハネは墓を調べに行きました。マリアは彼らと共に墓に戻りました。
彼らが家を出た後、ほかの女性たちは家に来て、残っていた弟子たちに天使のメッセージを伝えました。(ルカ24:9-11)
6.ペテロとヨハネは墓に着き、マリアの話を確認しました。ヨハネはイエス様が復活されたと信じたようですが、ペテロはまだ疑っていたようです。おそらく、彼らは戻る途中でそのことを話し合ったでしょう。(ルカ24:12;ヨハネ20:3-9)
7.ペテロとヨハネが墓へ向かう際、走ったため、もしかするとマリアは遅れて着いたかもしれません。そのため、マリアがようやく墓に着いたとき、ペテロとヨハネがまだそこにいたかどうかは分かりません。
そして、イエス様はマリアの前に現れ、彼女を慰められました。その後、彼女はすぐに弟子たちのもとへ戻りました。(ヨハネ20:12-18)
8.マリアが戻っている間に、イエス様はほかの女性たちの前に現れました。彼女たちは道中だったのかもしれません。また、弟子たちが彼女たちの言葉を信じなかったため、多少の失望を感じていたかもしれません。
けれども、イエス様が彼女たちを励まされたので、彼女たちはもう一度弟子たちのもとへ向かいました。
その頃、マリアも戻ってきたため、弟子たちはマリアと女性たちの話を聞きました。(マタイ28:9-10)
その順番が正しいかどうかは分かりませんが、これが私の推測です。
さて、マリアのことを少し考えてみましょう。私がこの場面を想像すると、イエス様の墓の外で、マリアが深い悲しみに沈み、絶望している姿が浮かびます。
もし私の考えが正しければ、彼女はまだほかの女性たちの天使の経験を聞いていません。マリアが知っているのは、ただイエス様の遺体がなくなったという事実だけです。
そして、マリアが墓に入ると、二人の天使がいました。ところが、ほかの女性たちの話をまだ聞いていなかったため、マリアは彼らが天使であることを認識しませんでした。
すると、天使たちは「なぜあなたは泣いているのですか」と尋ねました。
マリアはただこう答えました。「誰かが私の主を取って行きました。どこに主を置いたのか、私には分かりません。」
もしかすると、天使たちがイエス様の復活を伝えようとしたその瞬間、イエス様が現れたのかもしれません。
最初、マリアはイエス様を認識しませんでした。しかし、イエス様が彼女の名前を呼ばれました。
「マリア。」
その瞬間、マリアの悲しみの涙は、一気に大きな喜びへと変わりました。
私たちはどれほどマリアのようでしょうか。苦しみに沈み、神様が遠く感じることがあります。
祈っても、まるでその祈りが天井にぶつかり、神様に届かないかのように感じることもあります。
神様を求めても、見つけられないことがあります。まるで神様が沈黙し、いなくなったかのように思えることもあります。
けれども、実際には神様は私たちとともにおられます。マリアのように、私たちは神様を見ていないだけかもしれません。しかし、神様は確かにそこにおられます。そして、最もふさわしい時に、ご自身を現してくださいます。
だから、諦めないでください。誰もが悲しみの時を経験します。誰もが、神様が遠く感じる時を通ることがあります。けれども、神様はインマヌエルです。すなわち、「神様は私たちとともにおられる」ということです。
そして、イエス様を復活させたのと同じ力で、神様は私たちの悲しみを喜びへと変えてくださいます。