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ゼカリヤ書

救い主を拒絶すると

神様は比喩を好まれます。だから、イエス様はたとえ話をよく使われました。預言者たちも比喩やたとえ話をよく用いました。この箇所では、その一つの例があります。

神様はイスラエルの没落を森の木が倒れることに比べられます。

レバノンの森は主の宮を表します。なぜなら、その宮はレバノンの木材で造られたからです。(ゼカリヤ書11:1)

バシャンの樫の木もヨルダンの茂みも荒らされました。つまり、イスラエルのすべてが倒れます。ヨルダン川の東の所も(バシャン)、ヨルダン川の西の所も倒れます。

どうしてでしょうか。それは、イスラエル人がそのメシア、つまり救い主を拒絶したからです。

そのことを表すために、ゼカリヤは羊飼いの役割を取りました。

神様はゼカリヤにこう言われました。

ほふるための羊の群れを養え。(ゼカリヤ書11:4)

その羊はイスラエルを表します。彼らは神様を拒絶したので、すぐにほふられます。おそらく、その裁きは預言者マラキの時代の後から、ローマ帝国の時代まで起こりました。

そして、そのローマ帝国の時代、突然メシアが来ます。(ゼカリヤはそのメシアを表しました)。

彼は2本の杖を持ちました。「慈愛」という杖は神様のイスラエル人に対する慈愛を表しました。「結合」という杖はイスラエルの一致を表しました。

羊飼いは羊を傷つけた羊飼い(つまり、悪い王と偽の預言者と悪い祭司)を取り除いて、羊を世話しました。

ところが、羊(または、悪い羊飼い)は羊飼いを憎んだので、彼は羊を手放しました。そして彼は自分の慈愛の杖を取り上げて、折りました。

その結果、将来のローマ敵国の天皇ティトゥスは西暦70年にエルサレムを滅ぼしました。その時から1948年まで、イスラエルは国として存在しませんでした。

彼の仕事のために、羊飼いは銀三十シェケルをもらいました。それは奴隷の値段で、羊飼いは侮辱されました。(13節に、「尊い価」と書いてありますが、それは皮肉です。)

そして、羊飼いはそのお金を主の宮の陶器師に投げ与えました。

それはイエス様のことを示しています。イエス様は銀三十シェケルのために裏切られました。そして、祭司たちはそのお金を陶器師の畑を買うために使いました。

将来、もう一人の羊飼いが来ます。しかし、その羊飼いは羊を全然愛しません。おそらく、その人は反キリストです。結局、神様は彼を倒します。(15-17)

この箇所は、イスラエルがメシアを拒絶する結果を示していますが、私たちがメシアを拒絶する結果も示しています。

神様は私たちをサタンからの抑圧から解放するためにメシア、イエス様を送りました。

しかし、私たちがイエス様を拒絶すると、私たちは罪の結果を受け、結局裁かれます。私たちは神様の慈愛を知ることも、神様の家族の一致を知ることもありません。むしろ、私たちは死と破壊を知ります。

ヘブル書の著者はこう書きました。

もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。

ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。

だれでもモーセの律法を無視する者は、二、三の証人のことばに基づいて、あわれみを受けることなく死刑に処せられます。

まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものとみなし、恵みの御霊を侮る者は、どんなに重い処罰に値するか、考えてみなさい。

私たちは、「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする」、また、「主がその民をさばかれる」と言われる方を知っています。

生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです。(へブル10:26-31)

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イザヤ書

メシアの使命、私たちの使命

この箇所では、メシア、つまりイエス様の使命について見ることができます。それは何でしょうか。

一つ目は、神様の栄光を現すことです。(イザヤ書49:3)

つまり、イエス様はイスラエルの民に神様がどのようなお方であるかを教えました。なぜなら、イエス様は神でありながら人間となられたからです。

パウロはイエス様についてこう言いました。

御子は、見えない神のかたちであり。。。神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ「た」。(コロサイ1:15、19)

二つ目は、イエス様が異邦人のために光となることです。つまり、イエス様はイスラエルを救うために来られましたが、それだけではなく、全世界を救うためにも来られたのです。(6節)

三つ目は、イエス様が私たちのために「契約」となられることです。(8節)

イエス様が死ぬ前、自分の弟子たちとともに食事をされました。その時、イエス様は盃を取ってこう言われました。

この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。(ルカ22:20)

また、

罪を赦すために多くの人のために流されるものです。(マタイ26:28)

神様はモーセを通してイスラエルの民と最初の契約を結ばれました。けれども、その契約には重要な条件がありました。それは、イスラエルの民が神様の律法を守るということです。

しかし、新しい契約は異なります。その契約の基礎は私たちの行いではありません。むしろ、その契約の基礎はイエス様の十字架の働きにあります。

もし私たちがイエス様とその働きを信じるなら、私たちの罪は赦されます。

最後に、メシアは

捕らわれ人には「出よ」と言い、やみの中にいる者には「姿を現わせ」と言う。

イエス様はご自身の使命について話された時、こう言われました。

主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし。。。(ルカ4:18)

多くの人々はサタンの国の囚人ですが、神様は彼らを自由にするために来られました。

ただし、一つのことを思い出してください。神様は救いの働きを十字架で始められました。しかし今、その働きを完成させるために、イエス様は御霊を信者たちの心に送られました。

つまり、私たちを通して、イエス様は全世界に福音を述べ伝えたいと願っておられるのです。

御霊は私たちの心の中におられ、私たちを通してこの世界に触れたいと願っておられます。神様は救いのメッセージ、また自由のメッセージを伝えるために、私たちを召されます。

私たちは人々に「牢から出よ」と、また「光のところへおいで」と伝えるべきです。

あなたはそうしているでしょうか。

時々、私たちは失望することがあります。自分の働きが神様のために実を結んでいるのかどうか、疑ってしまうこともあります。それは、時に人々が私たちのメッセージを無視するからです。

イエス様も同じようなことを言われました。

私はむだな骨折りをして、いたずらに、むなしく、私の力を使い果たした。4a)

けれども、イエス様はご自身に、また私たちにこう言われました。

それでも、私の正しい訴えは、主とともにあり、私の報酬は、私の神とともにある。(4b)

神様はきっとあなたの働きのために報いを与えられます。たとえあなたが自分の働きが実を結んでいないと思うことがあったとしても、神様は確かに働いておられます。

パウロはこう言いました。

善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。(ガラテヤ6:9)

あなたが周りの人々に対して、霊的な光となり、塩となりますように。