定められた日に、ヘロデは王服をまとって王座に着き、彼らに向かって演説をした。
集まった会衆は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。
すると、即座に主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫に食われて、息絶えた。 (使徒の働き12:21~23)
興味深いことに、「王座」と訳されている語は、ギリシャ語では「ベマ」です。 この同じ語は、「神のさばきの座」や「キリストのさばきの座」を指すときにも用いられています。(ローマ 14:10;第二コリント 5:10)
その日、ヘロデが知ったのは、彼が自分のベマの座に着いていたとしても、その上にはさらに高いベマの座が存在していたということです。そして、最終的に、ヘロデはその王の前で申し開きをしなければなりませんでした。
前回の記事では、曲がった世の中で私たちがひねくれてはならないことについて書きました。とはいえ、この世の不正を見るとき、心がひねくれてしまうのは容易なことです。
しかし、心に留めておきましょう。すべての人は――大物であれ、小物であれ――キリストのさばきの座の前に立ち、申し開きをしなければなりません。
それは私たちにとって希望です。
同時に、それは私たちに謙虚な態度を保たせるものでもあります。
私たち自身もまたさばかれます。その日に、私たちが立つことができるのは、ただ神様の恵みによるのです。
謙虚、感謝、希望。
主が再び来られるその日まで、この三つが私たちの土台となりますように。

