私は以前にも述べましたが、四つの福音書を統合するのは時として難しいものです。
多くの場合、著者たちは出来事を年代順に伝えておらず、時には話の途中で脱線することもあります。最後の晩餐について読むと、私はそのように感じます。
弟子たちが食事をしているとき、彼らは誰が一番偉いかについて議論を始めました。なぜその話題になったのかは分かりませんが、もしかすると、過ぎ越しの祭りを祝うために二階の大広間に入った際、一人一人の席を巡って言い争いが起こったのかもしれません。
なぜなら、その文化では、イエス様の右に座る者が最も偉い弟子とされ、左に座る者が次に偉い弟子とされたからです。そして、イエス様から離れた席に座るほど、その弟子の地位は低く見なされました。
そのため、彼らは誰がイエス様の隣に座るべきかを巡って争っていたのかもしれません。
例えば、ペテロはこう言ったかもしれません。「俺はお前たちのリーダーだ。イエス様の右に座るのは当然だろう。」
するとヨハネは、「でも、イエス様は俺のことを一番好きだよ。」と言ったかもしれません。
また、ユダは「でも、俺は財務を担当している。だから、一番偉いはずだ。」と言ったかもしれません。
イエス様がこの言い争いをどれほどの時間見ていたのかは分かりませんが、ようやく弟子たちは不満げに席につきました。そして、そのときイエス様は驚くべき行動をとられました。
このような状況では、食事の前に誰かが他の人々の足を洗うことが習慣でした。当時、人々はサンダルを履き、未舗装の道を歩いていたため、すぐに足が汚れてしまいました。
通常、しもべが足を洗いましたが、しもべがいない場合は最も若い者がその役目を担うことになっていました。したがって、本来であればヨハネが行うべきだったかもしれません。
けれども、彼は何とかイエス様の隣の席を確保した(ヨハネ13:23)ため、しもべの役を引き受けるのを避けたかったのかもしれません。そして、その大喧嘩の末、他の弟子たちも足を洗う気にはなれませんでした。
イエス様は弟子たちを叱責する権利がありました。しかし、イエス様は責めるのではなく、愛を示されました。
イエス様は席から立ち上がり、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰に巻かれました。そして、弟子たちの足を洗い、拭かれました。
それを見て、弟子たちは恥ずかしい思いに駆られたでしょう。特に、イエス様がその仕事をしているのは、彼らがそれを避けたせいでした。彼らの中で、誰もその仕事を引き受けたくなかったのです。
イエス様はその務めを終えると席に戻り、彼らに問いかけられました。
わたしがあなたがたに何をしたのか分かりますか。あなたがたはわたしを「先生」とか「主」とか呼んでいます。
そう言うのは正しいことです。そのとおりなのですから。
主であり、師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのであれば、あなたがたもまた、互いに足を洗い合わなければなりません。(ヨハネ13:12-14)
イエス様は続けてこう言われました。
異邦人の王たちは人々を支配し、また人々に対し権威を持つ者は守護者と呼ばれています。しかし、あなたがたは、そうであってはいけません。
あなたがたの間で一番偉い人は、一番若い者のようになりなさい。上に立つ人は、給仕する者のようになりなさい。
食卓に着く人と給仕する者と、どちらが偉いでしょうか。食卓に着く人ではありませんか。しかし、わたしはあなたがたの間で、給仕する者のようにしています。(ルカ22:25-27)
そして、イエス様は結論を述べられました。
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、あなたがたに模範を示したのです。
まことに、まことに、あなたがたに言います。しもべは主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりません。
これらのことが分かっているなら、そして、それを行うなら、あなたがたは幸いです。(ヨハネ13:15-17)
イエス様は、彼らに何を教えようとされたのでしょうか。
イエス様は、彼らを大きな責任を担う者として選ばれました。やがて、イエス様は彼らに王権を委ねられます。彼らはイスラエルの十二部族を治め、イエス様の国でその食卓に着き、共に食べたり飲んだりするのです。
とはいえ、イエス様が以前言われたように、リーダーシップとはただ人々に命令を下すことではありません。本当のリーダーは人々に仕える者です。そのため、イエス様は弟子たちの足を洗われました。そして、イエス様は私たちの罪のために死なれました。
だからこそ、私たちリーダーも同じことを実践すべきです。
リーダーシップの祝福は、私たちの権利にあるのではありません。それは、人々に命令することではなく、むしろイエス様のように人々に仕えることにあります。それこそが、本当のリーダーシップなのです。
あなたは、リーダーシップをどのように定義するでしょうか。それは、人々があなたに仕えることでしょうか。それとも、あなたが人々に仕えることでしょうか。
