使徒の働きの中でも、これは最も衝撃的な出来事かもしれません。けれども、この話は罪の深刻さを明らかにしています。
バルナバという人物は、自分の畑を売り、その代金を使徒たちに渡しました。そのお金は貧しいクリスチャンたちを助けるためのものでした。
おそらく、使徒たちや他のクリスチャンたちはその姿を見て、バルナバを称賛したことでしょう。
(実は、バルナバの本名はヨセフでした。ヨセフがその代金を捧げた後、クリスチャンたちは彼をバルナバ、つまり「慰めの子」と呼び始めたのかもしれません。)
アナニアとサッピラというクリスチャンたちは、皆の反応を見て、自分たちも土地を売り、その代金の一部を使徒たちに渡しました。ところが、そこには問題がありました。彼らは気前の良い人に見えましたが、その動機は不純だったのです。
問題は、彼らが代金の一部だけを捧げたことではありませんでした。ペテロによれば、それは彼らの自由な選択だったのです。
もし50%を捧げても、それは問題ではなかったでしょう。もし10%しか捧げなくても、それでも問題はなかったでしょう。
後に、パウロは献金についてこう書きました。
一人ひとり、いやいやながちでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。(第二コリント9:7)
簡単に言えば、神様は私たちがどれほどの額を献げるかを気にされるのではなく、私たちの心がどれほど神様に属しているかを見ておられます。
アナニアとサッピラの心がどれほど神様に属していたかは分かりませんが、確かに100%ではありませんでした。彼らはお金に執着し、また、人々の称賛を求めました。
そのため、彼らは嘘をつきました。ただペテロに対して嘘をついたのではありません。教会の人々だけを欺いたのでもありません。彼らは神様に対して嘘をついたのです。
もしかすると、それは単なる嘘ではなかったかもしれません。彼らはモーセの律法に従い、誓いを立ててその代金を捧げた可能性があります。(レビ記27:28)
その場合、もし彼らがその代金の一部を自分のために取っておいたなら、彼らはその誓いを破ることになります。神様はその罪を深刻に捉え、アナニアとサッピラを打ち滅ぼされました。
この刑罰は厳しいものだと思われるかもしれません。確かに、それは厳しい刑罰でした。
とはいえ、心に留めておきましょう。私たちはある罪を小さいと思うかもしれませんが、神様にとっては、その罪は非常に深刻なものです。
もしかすると、アナニアとサッピラは、「これはほんの小さな嘘だ。誰も傷つかない」と思っていたかもしれません。
けれども、小さな罪は私たちの心の状態を表します。アナニアとサッピラの罪は、彼らの偽善、貪欲、嫉妬、そしてプライドを明らかにしました。
さらに、私たちにとっては、小さな嘘をつくのは些細なことのように思えるかもしれません。しかし、イエス様がその罪のために死ななければならなかったほど、それは深刻なものだったのです。
あなたは「些細な」罪を犯しているでしょうか。
神様の目には、その罪は決して些細なものではありません。だからこそ、自分の心を探ってください。
その罪は、あなたの心の状態について何を示しているでしょうか。