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出エジプト記のデボーション

私たち皆が必要とするもの

すると、モーセのしゅうとは言った。

「あなたがしていることは良くありません。あなたも、あなたとともにいるこの民も、きっと疲れ果ててしまいます。

このことは、あなたにとって荷が重すぎるからです。あなたはそれを一人ではできません。」(出エジプト記18:17ー18)

「あなたはそれを一人ではできません。」

アマレク人との戦いの直後、イテロがその言葉をモーセに言ったということは興味深いです。

その戦いで、イスラエル人のためにとりなしているとき、モーセは文字通り自分の手を上げ続けることができませんでした。そのため、勝利を収めるまで、アロンとフルはモーセを支えてくれました。(出エジプト記17:8~16)

そして、そのあと、イテロはモーセに「あなたは神様の仕事を一人ではできません」と言いました。

私たち皆はそれを心に留めておかなくてはなりません。私たちの牧師やクリスチャン・リーダーたちがスーパー・クリスチャンに見えるかもしれませんが、一人で神様の仕事をすることはできません。

もちろん、彼らには私たちの励ましと支援が必要です。でも、私たちも自分の役割を果たさなくてはなりません。神様は私たちそれぞれに、人々に仕えるための賜物を与えてくださいました。

ミニストリー、奉仕はリーダーだけの仕事ではありません。ミニストリーはすべてのクリスチャンの仕事なのです。(エペソ4:11~16)

でも、リーダーたちだけではなく、私たち皆には、支援や励ましが必要です。家族や回りの人々に対する私たちの奉仕が大変になる時もあります。

私たちの日常生活も、大変になるときがあります。だから、一人でこのクリスチャン生活を送ろうとしないようにしましょう。

そうすれば、私たちの重荷は軽くなり、私たちは立ち続けることができます。(出エジプト記18:22~23)

また、パウロの言葉を心に留めておきましょう。

互いの重荷を負い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を成就することになります。(ガラテヤ6:2)

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ルカの福音書 ルカ17章

私たちの奉仕の姿勢

私たちは皆、褒められるのが好きです。誰かが「よくできたね」と言ってくれると、私たちはとても嬉しくなります。

しかし、それが私たちが奉仕する理由でしょうか。私たちは人からの称賛を求めているのでしょうか。それとも、神様の称賛を求めているのでしょうか。

もし人から称賛を得られなかったとき、私たちは正当に評価されていないと感じるでしょうか。怒りを覚えるでしょうか。

イエス様は、このことについて、とても興味深い描写を与えてくださいます。

ところで、あなたがたのだれかに、耕作か羊飼いをするしもべがいるとして、そのしもべが野らから帰って来たとき、『さあ、さあ、ここに来て、食事をしなさい』としもべに言うでしょうか。

かえって、『私の食事の用意をし、帯を締めて私の食事が済むまで給仕しなさい。あとで、自分の食事をしなさい』と言わないでしょうか。

しもべが言いつけられたことをしたからといって、そのしもべに感謝するでしょうか。

あなたがたもそのとおりです。

自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい。(ルカの福音書17:37-10)

イエス様の意味されたことは何でしょうか。神様は私たちの努力を正当に評価されないのでしょうか。神様は私たちに報いを与えてくださらないのでしょうか。いいえ、そんなことはありません。

聖書のほかの箇所によれば、神様は私たちの働きと努力を評価し、やがて報いを与えてくださいます。

とはいえ、私たちが覚えておくべき重要なことが二つあります。

一つ目は、私たちがこの世に生きている限り、果たすべき使命があるということです。自分の成功を祝って怠ける余裕はありません。さらに、人からの称賛を求める余裕もありません。むしろ、神様から委ねられた働きを忠実に続けなければなりません。

二つ目は、私たちがどんな役割を持っていようとも、神の国でどんな立場にあろうとも、私たちはただ神様の恵みによって仕えるのだということです。

私たちは神様から報いを受けるに値しません。もちろん、救いにも値しません。

実際には、私たちの欠点や弱さ、失敗にかかわらず、神様が私たちを用いてくださることこそが恵みなのです。

さらに、私たちが仕えることができるように、神様はいろいろな才能や賜物を与えてくださいます。神様は私たちに力と知恵を授けてくださいます。

それなら、それらの賜物をすべて受け取ったとき、私たちは誇ることができるでしょうか。

パウロはこう書きました。

いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですか。

あなたには、何か、もらったものでないものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。(第一コリント4:7)

だから、私たちが生きている限り、神様から委ねられた働きを続けましょう。謙遜に、忠実に。

そして、仕えるときには、なぜ私たちが仕えることができるのかを覚えておきましょう。つまり、神様の恵みを心に留めておきましょう。