この箇所を読むと、弟子たちがイエス様の言葉に困惑していることが分かります。なぜなら、イエス様は去って行くと話されたからです。彼らはその言葉に囚われ、イエス様のほかの言葉がかすんでしまいました。
聖霊様の約束や、将来の祝福についてのイエス様の言葉に耳を傾けることなく、彼らは繰り返しこう思いました。「イエス様は去って行かれる。私たちはどうすればいいのか。」
だから、イエス様は彼らを励ますと同時に、警告を与えられました。
まことに、まことに、あなたがたに言います。あなたがたは泣き、嘆き悲しむが、世は喜びます。あなたがたは悲しみます。しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。
女は子を産むとき、苦しみます。自分の時が来たからです。しかし、子を産んでしまうと、一人の人が世に生まれた喜びのために、その激しい痛みをもう覚えていません。
あなたがたも今は悲しんでいます。しかし、わたしは再びあなたがたに会います。
そして、あなたがたの心は喜びに満たされます。その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。(ヨハネの福音書16:20-22)
イエス様の死と復活によって、その言葉は成就しました。
イエス様が十字架につけられたとき、敵は喜びましたが、弟子たちは絶望しました。けれども、よみがえられたイエス様を見たとき、彼らの悲しみは喜びに変わりました。
だから、彼らが迫害やさまざまな苦しみに直面しても、その喜びを奪うことができる者は誰もいませんでした。そして、その喜びを持って、彼らはこの世を変えたのです。
しかし、イエス様の言葉は私たちにも当てはまります。イエス様が再びこの世に来られるまで、私たちは多くの試練に直面します。今は、私たちの悲しみの時です。
パウロはこう書きました。
私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。
それだけでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめいています。(ローマ人への手紙8:22-23)
けれども、イエス様がこの世に戻られるとき、私たちは御顔を直接見て喜ぶでしょう。そして、私たちの喜びを奪うことのできる者は誰もいません。
とはいえ、イエス様が戻られるまで、十字架の御業によって、私たちは神様に近づくことができます。
だから、イエス様のみ名によって、私たちは天の父に何でも求めることができ、神様はそれを与えてくださいます。そして、私たちの喜びは満ち溢れるようになります。(ヨハネ 15:23-24; 26-27)
時々、私たちはイエス様の言葉の例外ばかりを強調しすぎてしまうことがあります。
もちろん、私たちの祈りは神様の御心に沿うものでなければなりません。
確かに、もし私たちが誤って蛇を求めてしまったなら、神様はそれを断る権利を持っておられます。
けれども、その例外に囚われすぎると、私たちは神様に何も願わなくなってしまいます。
しかし、天の父は、私たちにためらわずに願ってほしいのです。
どれほど私たちは祈らないために、神様の祝福を逃しているでしょうか。
どれほど私たちは心の願いを神様に求めないために、喜びを不完全なものにしているでしょうか。
だから、願い求めましょう。
パウロの言葉を心に留めてください。
同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。
人間の心を探る方は、御霊の思いが何であるかを知っておられます。なぜなら、御霊は神のみこころにしたがって、聖徒たちのためにとりなしてくださるからです。(ローマ人への手紙8:26-27)
時々、私たちは弱さのゆえに、何のために祈るべきか分からないことがあります。時には、誤ったことのために祈ってしまうことさえあります。けれども、そのようなとき、聖霊様が私たちのためにとりなし、私たちの益となるように祈ってくださいます。
だから、パウロはこう書きました。
神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。(ローマ人への手紙8:28)
だから、この三つのことを覚えて、安心しましょう。
1.私たちの事情がどんなに悪くても、イエス様はこの世に戻り、すべてを癒してくださいます。
2.神様が私たちを愛しているので、私たちは何でも願い求めることができます。そして、聖霊様が私たちのためにとりなし、私たちに良いものだけを与えてくださいます。
3.神様はご自身の計画に従い、すべてのことを私たちの益となるように働かせてくださいます。
この三つの約束を心に留めるなら、イエス様の言葉はあなたの心により深く響くでしょう。
これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。
しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。(33)