誰も自分が懲らしめられるのを好みません。厳しい言葉を好む人もいません。けれども、その言葉に対する私たちの反応が、私たちの人生を形作ります。
エレミヤはユダの人々に、数多くの厳しい言葉、つまり裁きの言葉を語りました。そのメッセージには常に二つの要素が含まれていました。
「裁きが来る。けれども、もしあなたたちが悔い改めるなら、その裁きを避けることができる。」
エレミヤ書25章で、エレミヤはユダの人々に警告しました。
「あなたたちが悔い改めないなら、バビロンに70年間追放される。」
しかし、エレミヤはユダの人々だけでなく、周囲の国々にも警告しました。
では、彼らの反応はどうだったのでしょうか。それは、決して良いものではありませんでした。
ユダの人々や、その祭司たちや、「預言者たち」がそれを聞いた時、こう答えました。
「あなたは必ず死ななければならない。なぜあなたはそんなことを言うのか。」
彼らはエレミヤの言葉を反逆だと思いました。
幸い、ある長老たちはエレミヤを守りました。彼らはこう言いました。
「ヒゼキヤ王の時代、預言者ミカは裁きの言葉を語ったが、ヒゼキヤ王が悔い改めて神様を恐れたので、神様はユダに憐れみを与えられた。」
ユダの人々はそれを聞いて、エレミヤを解放しましたが、悔い改めなかったようです。
彼らの王エホヤキムの反応も悪かったです。別の預言者ウリヤがエレミヤのように裁きを預言した時、エホヤキムはウリヤをエジプトまで追いかけて捕らえ、ウリヤを殺しました。(エレミヤ書26:20-23)
ある時、エレミヤは書記バルクを神様の宮に送ります。バルクはそこで神様がエレミヤに与えた言葉を伝えました。その後、宮殿の首長たちはバルクの巻き物を持ってエホヤキムのもとへ行き、その巻き物を読みました。
エホヤキムの反応はどうだったのでしょうか。彼はその巻き物を切り裂いて燃やしました。そして、彼はエレミヤを殺そうとしました。
あなたはどうでしょうか。辛い言葉を聞いた時、どのように反応しますか。誰かがあなたに面と向かって罪について指摘した時、無視するでしょうか。それとも怒って、その人を責めるでしょうか。
それとも、その言葉を聞き入れて、悔い改めるでしょうか。
神様は人々を裁くことを望んでおられるのではなく、むしろ私たちが悔い改めることを望んでおられます。そのため、神様は私たちのもとに人々を遣わされます。
私たちが彼らの言葉を拒まず受け入れ、その言葉によって私たちの人生が形作られるならば、その人生はどれほど素晴らしいものになるでしょうか。
あなたなら、どうしますか。
