私たちは皆、後悔を抱えています。もちろん、私も後悔があります。例えば、過去に人を傷つけてしまったことがあり、その出来事を変えたいと思うことがあります。
また、後悔している決断もあります。例えば、私は長い間、日本に来ることについて迷い続けていました。もしもっと早くその決断を神様に委ねていたら、大学で日本語を専攻し、英語を教える授業を受けることができたでしょう。
けれども、自分の過去を変えることはできません。誰も過去を変えることはできないのです。では、どうすればよいでしょうか。
コリントの人々も同じ疑問に直面しました。ある人々はクリスチャンになる前にノンクリスチャンと結婚しましたが、クリスチャンになった後で「ノンクリスチャンとの結婚は避けるべきだ」というパウロの教えを聞きました。
そこで彼らは、「離婚した方がよいのだろうか」と問いかけました。しかし、パウロはこう答えました。
「そんな必要はありません。もし相手があなたと共に住み続けたいと望むなら、離婚してはいけません。」
ほかの異邦人は、クリスチャンになる前にユダヤ教を信じていたため、割礼を受けました。けれども、クリスチャンになった後、「異邦人は割礼を受けるべきではない」というパウロの教えを聞いたのです。
そこで、彼らは問いかけました。「割礼の跡をなくした方がよいでしょうか。」
しかし、パウロはもう一度答えました。「その必要はありません。」
また、別の人々は、クリスチャンになる前に借金のために自分自身を奴隷として売りましたが、後になって後悔しました。けれども、パウロは彼らにこう言いました。
「自分の自由を得られるなら、もちろんその自由を得てください。しかし、もし自由を得られないなら、心配しないでください。」
要するに、パウロの教えはこうです。
それぞれ自分が召されたときの状態にとどまっていなさい。(コリント人への手紙第一7:20)
要するに、過去の決断によって困難な状況にあったとしても、その後悔に囚われないようにしましょう。たとえ今その状況に置かれていても、神様はあなたを用いることができます。
おそらく、割礼や奴隷になったことを後悔する人はもういないでしょう。
けれども、ノンクリスチャンと結婚しているクリスチャンは今もいます。神様は彼らに語ります。
「その結婚から逃げてはいけません。あなたを通して、私はあなたの家族に触れるのだから。」
また、あるクリスチャンは離婚し、別の人と再婚しました。あるいは、元夫や元妻がすでに再婚しているかもしれません。
そのような人々に神様は語ります。
「心配しないでください。むしろ、今の配偶者に仕え、子供の世話をしなさい。そして、周りの人々にも私のために触れなさい。」
他のクリスチャンの中には、自らの罪のゆえに刑務所にいる人もいます。神様は、そうした人々にも語りかけておられます。
「それで大丈夫です。もし仮釈放が許されるなら、それは素晴らしいことです。しかし、もしそれが叶わないなら、そのまま刑務所にとどまりなさい。なぜなら、私は刑務所の中でもあなたを用いることができるのだから。」
要するに、どのような状況にあっても、どれほど過去に失敗していたとしても、神様はあなたを用いることができます。
だから、パウロはこう語ります。
ただ、それぞれ主からいただいた分に応じて、また、それぞれ神から召されたときのままの状態で歩むべきです。私はすべての教会に、そのように命じています。(17)
また、
兄弟たち、それぞれ召されたときのままの状態で、神の御前にいなさい。(24)
だから、自分の後悔に囚われないようにしましょう。むしろ、神様が今語っていることに心を向け、それに従いましょう。過去に起こったことよりも、今の神様の導きがより重要なのです。
パウロの言葉を借りるなら、
重要なのは神の命令を守ることです。(19)