柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。(5:5)
英語では、「Blessed are the meek」と書かれています。
「Meek」、つまり「柔和」という言葉を見たとき、私はその意味をよく調べる必要があります。なぜなら、アメリカ人はこの言葉をあまり使わないからです。
「柔和」という言葉が日本人にとってどのようなイメージを持つかはわかりませんが、多くのアメリカ人にとって「Meek」という言葉は「弱い」という印象があります。
ところが、この言葉は「弱い」という意味ではありません。モーセとイエス様は柔和な者だと呼ばれました。この箇所では、新改訳聖書は「謙遜」や「へりくだっている」という表現を用いています。(申命記12:3、マタイ11:29)
彼らは謙遜な人だったかもしれませんが、彼らを「弱い」と呼ぶことはできません。彼らは本当に強い人たちでした。
実は、この言葉は飼いならされた動物を指す際にも使われていました。飼いならされた動物は、自分の力を持ちながらも、飼い主に従い、仕えるのです。
その意味で、モーセとイエス様は柔和な者でした。
モーセは、最初は自分の力でイスラエル人を奴隷の生活から解放しようとしました。けれども、結局彼はパロから逃げなければならず、諦めました。
しかしその後、モーセは神様の権威に従い、神様とイスラエル人のために偉大な働きをすることができました。
イエス様は神の御姿でありましたが、天の父に従い、天の父の計画を成し遂げられました。つまり、イエス様は十字架にかかり、私たちの罪のために死んでくださり、私たちを救われました。
モーセとイエス様はいろいろな試練に直面しました。彼らは自分の弱さと戦いました。それでも、彼らは最後まで神の計画を成し遂げるまで仕え続けました。
それが柔和な者です。
あなたはどうでしょうか。あなたは柔和な者でしょうか。
あなたは天の父に従いますか。試練に直面するとき、「どうして私はこんなに苦しまなければならないのでしょうか。私はあなたの御心に従っているはずなのに」と不満を言うでしょうか。
それとも、へりくだって神様の御心に従い続けるでしょうか。
そのような人に、イエス様は言われます。「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。」
私たちは毎日、天の父に従うなら、最終的に報いを受けることができます。
しかし、私たちは本当にそうするでしょうか。
