こうして彼らが陸地に上がると、そこには炭火がおこされていて、その上には魚があり、またパンがあるのが見えた。イエスは彼らに「今捕った魚を何匹か持って来なさい。。。さあ、朝の食事をしなさい。」
。。。イエスは来てパンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた。(ヨハネの福音書21:9ー10,12ー13)
いろんな意味で、私はヨハネ21章が大好きです。なぜなら、私たちはイエス様の心を見ることができるからです。
もちろん、ペテロに対するイエス様の愛を見ることができますが、今日、上のことばを読んだとき、私はこう考えました。
「どうして、イエス様は弟子たちのために、わざわざ朝ごはんを作られたのだろうか。イエス様は、彼らのために大きな奇跡を行われたばかりなのに。」
その答えは、はっきりしていると思います。イエス様には、「私の弟子たちは、とても疲れて、お腹が空いているだろう。何か作ってあげよう」という思いが浮かばれたからです。
そのパンと魚は、どこから来たのでしょうか。イエス様が奇跡的にそれらを作られたわけではないと思います。(もちろん、イエス様はそのような力を持っておられましたが。)
たぶん、前日にその近くの村でパンを買われて、その日の朝、他の漁師たちから魚を買われたのではないでしょうか。
とにかく、イエス様は弟子たちのことを思っておられ、祝福したいと願われました。イエス様は、大きな奇跡を行われたわけではありません。むしろ、思いやりをもって、彼らを祝福されたのです。
私は、イエス様の心を持ち、その模範に従いたいです。
私の愛する人たちのニーズに、もっと気づけるようになりたいです。それは、大きなニーズだけではなく(たとえば、ペテロの弟子としての自信を建て直すこと)、小さなことにも気づけるようになりたいのです。そして、できる限り、私は彼らを祝福したいのです。
イエス様、そのような心を私に与えてください。
