民数記15~17章では、私たちは神様の厳しい裁きを見ます。
多くの人(クリスチャンたちも含めて)には、それが理解しがたいものです。
でも、15章では、神様は大切な原則を定めました。それは、気づかずに罪を犯すことと、故意に反抗的な罪を犯すこととは雲泥の差があるということです。
その反抗的な態度を悔い改めようとしない限り、私たちは赦されることはありません。
神様の律法によれば、気づかずに罪を犯した人は、罪のきよめのささげ物を捧げることができました。
でも、悔い改めることなく故意に罪を犯した人には、罪のきよめの捧げ物はありませんでした。そのような人にとっては、きよめの捧げ物は無意味ですから。(民数記15:22~30)
そういうわけで、悔い改めることなく故意に安息日を破った人は、石で殺されました。(民数記15:32~36)
また、16章では、コラたちは反抗的な態度のために厳しく裁かれました。
反抗的な心は、酷いものです。
でも、その反抗的な態度を悔い改めようとしない心が結びつけば、その罪は赦されないものとなります。
私たち皆が罪を犯すことはあります。でも、私たちが悔い改めず、反抗的な心を持つことがないように。
むしろ、ダビデの心を持ちましょう。彼は故意に罪を犯したことがありましたが、最終的に悔い改めて、赦されました。
彼はこう祈りました。
だれが自分の過ちを悟ることができるでしょう。どうか、隠れた罪から私を解き放ってください。
あなたのしもべを傲慢から守ってください。それらが私を支配しないようにしてください。
そのとき私は大きな背きから解き放たれて、全き者となるでしょう。
私の口のことばと私の心の思いとが御前に受け入れられますように。主よ わが岩 わが贖い主よ。(詩篇19:12~14)
