人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。(エレミヤ書17:9)
この箇所は人間の本質を端的に表していると思います。
この世の問題について考える時、その根本的な原因は人間の心にあります。私たちの心は陰険です。私たちは周りの人々を欺くだけでなく、自分自身さえも欺きます。
この箇所では、エレミヤはこう言います。
「ある人々は富を得るために周りの人々を欺きます。なぜなら、彼らは自分自身を欺き、お金さえあれば幸せになれると思い込んでいるからです。」
しかし、エレミヤは彼らについて次のように語りました。
彼の一生の半ばで、富が彼を置き去りにし、そのすえはしれ者となる。(11)
他の人々は、神様が人生の喜びを取り去ろうとされると思うため、神様に背を向けます。彼らは、自分の人生がもっと楽しくなると考えています。
しかし、エレミヤは次のように語りました。
あなたを捨てる者は、みな恥を見ます。
「わたしから離れ去る者は、地にその名がしるされる。いのちの水の泉、主を捨てたからだ。」(13)
つまり、命の源は神様です。だから、神様に背を向けると、彼らは自分の命を失ってしまいます。
他の人々は神様の言葉を聞いて、あざけりました。彼らはこう言います。
主のことばはどこへ行ったのか。さあ、それを来させよ。(15)
しかし、神様の言葉は必ず成就します。そして、もし彼らが悔い改めないならば、裁きの日に彼らのあざけりは後悔と涙に変わるでしょう。
私たちは周りの人々を欺くことがあるかもしれません。自分自身を欺くこともあるかもしれません。けれども、神様を欺くことは決してできません。
だからこそ、神様は私たちにこう警告されます。
わたし、主が心を探り、思いを調べ、それぞれその生き方により、行ないの結ぶ実によって報いる。(10)
私たちの心は病にかかり、罪によって汚れてしまいました。私たちは自分自身の心を癒すことはできません。人間にはそれを治すための治療法がありません。
どんなに頑張っても、私たちは神様の目に正しい者となることはできません。むしろ、私たちは繰り返し罪のパターンに陥ります。
では、私たちの希望はどこにあるのでしょうか。それは、神様だけにあります。
だからこそ、エレミヤのように祈りましょう。
私をいやしてください。主よ。そうすれば、私はいえましょう。私をお救いください。そうすれば、私は救われます。あなたこそ、私の賛美だからです。(14)
十字架でイエス様が流された血によって、私たちの罪の代価が支払われました。そして、聖霊の働きによって、私たちの心が洗われ、清められます。
あなたはどうでしょうか。自分の罪を認識し、その癒しが必要だと感じていますか。
イエス様に向かうなら、イエス様はあなたを癒し、解放してくださいます。
