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エレミヤ書

燃えさかる火のような言葉

「もう黙った方が良いんじゃない?あなたが神様の言葉を述べ伝えると、いつもトラブルが起こるから。」

エレミヤの家族は、エレミヤにそのようなことを言ったかもしれません。また、エレミヤ自身もそのように考えたかもしれません。

ある日、神様はエレミヤに、民の長老と年長の祭司のうちの数人の前で土の焼き物の壺を壊すように命じられました。その際、エレミヤは彼らに裁きについて警告しました。つまり、ユダがその壊れた壺のようになることを伝えたのです。

エレミヤは彼らに警告した後、宮の庭に行き、皆の前で同じメッセージを伝えました。

しかし、祭司パシュフルはエレミヤの言葉を聞くと、彼を打ち、足かせにつないだのです。

そのため、エレミヤは神様に文句を言いました。

主よ。あなたが私を惑わしたので、私はあなたに惑わされました。あなたは私をつかみ、私を思いのままにしました。

私は一日中、物笑いとなり、みなが私をあざけります。

私は、語るごとに、わめき、「暴虐だ。暴行だ」と叫ばなければなりません。

私への主のみことばが、一日中、そしりとなり、笑いぐさとなるのです。(エレミヤ書20:7-8)

でも、エレミヤはこう言いました。

私は、「主のことばを宣べ伝えまい。もう主の名で語るまい」と思いましたが、主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて燃えさかる火のようになり、私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられません。(エレミヤ書20:9)

この箇所では、エレミヤの感情は非常に混乱しています。

11-13節では、エレミヤは主への信仰をもって、こう語りました。

主は私とともにあって、横暴な勇士のようです。ですから、私を追う者たちは、つまずいて、勝つことはできません。彼らは成功しないので、大いに恥をかき、それが忘れられない永久の恥となりましょう。。。

主に向かって歌い、主をほめたたえよ。主が貧しい者のいのちを、悪を行なう者どもの手から救い出されたからだ。(エレミヤ書20:11,13)

でも、14節では、彼はこう言いました。

私の生まれた日は、のろわれよ。母が私を産んだその日は、祝福されるな。

しかし、エレミヤは黙ることができませんでした。なぜなら、神様の言葉がエレミヤの心の中で燃えさかっていたからです。

あなたはどうでしょうか。神様の言葉はどれほどあなたの心の中で燃えさかっていますか。その言葉は消えやすい火花でしょうか。それとも、消されることのない燃えさかる火でしょうか。