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エレミヤ書

無駄な希望

ゼデキヤは私が理解しがたい人物です。彼はユダの最後の良い王、ヨシヤの息子でした。だから、ゼデキヤには良いロールモデルがありました。

さらに、彼は兄弟エホアハズ、エホヤキム、そして甥エホヤキンの失敗を目の当たりにしました。

それでも、ゼデキヤはヨシヤの道を歩まず、兄弟たちと甥の道を選び、神様に背きました。

とはいえ、ある程度、彼はエレミヤを尊敬していました。そのため、何度もエレミヤに相談しました。けれども、首長たちはエルサレムに対する裁きの預言に飽き、彼らはエレミヤに言いました。

「あなたはカルデヤ人のところへ落ちのびるのか。」(エレミヤ書37:13)

エレミヤはそのことを否定しましたが、彼らはエレミヤを捕らえ、打ちたたいて牢に入れました。ゼデキヤはそのことを聞いても、何もしませんでした。

それでも、彼はエレミヤに相談し続けました。その後、首長たちはエレミヤについて文句を言い続けたので、ゼデキヤは彼らに言いました。

今、彼はあなたがたの手の中にある。王は、あなたがたに逆らっては何もできない。(エレミヤ書38:5)

だから、彼らはエレミヤを穴に投げ込み、エレミヤは泥の中に沈みました。

幸いなことに、勇気のある人がゼデキヤに面と向かって訴えたため、ゼデキヤはエレミヤを監視の庭に連れて行きました。

ゼデキヤは本当に弱い人でした。

私が知りたいのは、どうしてゼデキヤが何度もエレミヤに相談したのかということです。彼は決してエレミヤの言葉に従いませんでした。エレミヤ37:2には、こう書いてあります。

彼も(つまり、ゼデキヤ)、その家来たちも、一般の民衆も、預言者エレミヤによって語られた主のことばに聞き従わなかった。

私には分かりませんが、ゼデキヤは神様のご意志が変わることを望んでいたのかもしれません。

彼は自分の道を歩み続けたいと思っていたので、彼の願いは、神様が彼を救い、なおその道を歩み続けることを許してくださる、というものでした。

けれども、それは無駄な希望でした。

もちろん、時には、裁きに関して神様のご意志が変わることがあります。

しかし、エレミヤ18章に書かれているように、一つの条件があります。それは悔い改めです。

ゼデキヤは決して悔い改めませんでした。むしろ、彼は言い訳をしました。

エレミヤは彼に言いました。「バビロン人に降伏しなさい。そうすれば、あなたは生きる。」

けれども、ゼデキヤは答えました。

私は、カルデヤ人(バビロン人)に投降したユダヤ人たちを恐れる。カルデヤ人が私を彼らの手に渡し、彼らが私をなぶりものにするかもしれない。(エレミヤ書38:19)

エレミヤは説得しようとしましたが、ゼデキヤはその言葉を受け入れられませんでした。

あなたはどうでしょうか。罪にしがみついたまま、「全てがなんとなく良くなる」と希望していませんか。

神様があなたを裁かず、憐れみを示してくださることを願いながら、自分の道を行き続けていませんか。

それは無駄な希望です。罪にしがみつき、自分の道を行き続けるなら、裁きが来ます。悔い改めなければ、裁きは必ず訪れます。

しかし、もし悔い改めるなら、神様はあなたを赦し、癒してくださいます。

それでも、この世では罪の結果を受けることがあるかもしれません。けれども、神様はあなたを確かに赦してくださり、癒しの働きを始めてくださいます。

あなたはどう選びますか。

無駄な希望を持ち続けますか。

それとも、悔い改めから生まれる希望を求めますか。