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ヤコブの手紙のデボーション

完全な人

私たちはみな、多くの点で過ちを犯すからです。もし、ことばで過ちを犯さない人がいたら、その人はからだ全体も制御できる完全な人です。(ヤコブの手紙3:2)

今朝、このことばは私の心を打ちました。「完全な人」の「人」と訳されたことばは、もちろん、男性も女性も指すことができますが、多くの場合、そのことばは特に男性たちを指します。

誤解しないでください。翻訳者たちは、おそらく2節を正しく訳したと思います。でも、男性として、ヤコブのことばは私の心に響きました。

自分があるべき完璧な男であることを妨げているものについて考えるとき、舌を指摘する男性は、あまりいないと思います。

私は、普通そのように考えません。

でも、ヤコブは、私たちの舌を指摘します。

私たちの舌は、私たちがあるべき夫であることを妨げます。

私たちの舌は、私たちがあるべき父であることを妨げます。

シングルの男性の舌は、自分があるべき彼氏であることを妨げます。

自分のことばによって、私たちの妻たち、子どもたち、彼女たちに、どれだけのダメージを与えるでしょうか。

男性たち、どのような男性になりたいですか。私は、イエス様のようになりたいです。私のことばが人々を燃やすのではなく、むしろ、彼らを癒すことを望みます。私のことばが、知恵にふさわしい柔和さで特徴づけられることを望みます。

イエス様、私が舌を制して、完全な男性になることができるようにしてください。イエス様、私があなたのようになることができるようにしてください。

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箴言

男性とは。。。

このポストを「王とは」と名付けることができたけど、多分、王たちはこのブログを読まないでしょう。

けれども、多分たくさんの男性たちはこのブログを読むし、レムエル王の母の言葉が、男性たちに簡単に当てはめることができると思います。

ところで、レムエル王は、ちょっと謎です。彼がどの国の王であったか、誰も分からないし、いつ彼が生きていたか、誰も知りません。

いずれにせよ、この世は、男性に関して曲がったイメージを持っています。多くの人にとっては、「本当の男性」は強いし、女性たちに好かれる人です。日本では、「イケメン」という言葉がよく使われています。

ソロモンの時代にも、そんなイメージは人気でした。特に、ソロモンには妻が300人いたし、そばめが700人いました。

しかし、レムエルの母はレムエルにこう言いました。

私の子よ、何を言おうか。私の胎の子よ、何を言おうか。私の誓願の子よ、何を言おうか。

あなたの力を女に費やすな。あなたの生き方を王たちを消し去る者にゆだねるな。(箴言31:2-3)

もちろん、妻は悪いものではありません。31章の最後では、その母はどんな女性を求めた方が良いか教えます。

しかし、私たちはセックスを人生の中心にしてはなりません。私たちの目的は、できるだけ多くの女性と関係を持つことではないのです。

もちろん、一つの理由は、私たちの健康を守るためです。エイズや他の性病は危険です。

そしてソロモンが言ったように、あなたが不倫すると、相手の主人を扱わなくてはならないかもしれません(箴言6:34-35)。

けれども、一番大切な理由は、セックスがあなたの人生の中心になると、あなたの神様との関係をダメにしてしまうことです。ソロモンはそう学びました。

ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。。。

主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからである。(列王記第一11:4ー9)

本当の男性は、全てよりも女性を追い求めません。本当の男性は全てよりも神様を追い求めます。ソロモンはそうしませんでした。

レムエルの母は続けました。

レムエルよ。酒を飲むことは王のすることではない。王のすることではない。「強い酒はどこだ」とは、君子の言うことではない。

酒を飲んで勅令を忘れ、すべて悩む者のさばきを曲げるといけないから。(4-5)

つまり、王は自分の民に対する責任を持っています。神様は王にその責任を与えてくださって、王が酔っ払いであれば、その責任がちゃんと果たせません。

とはいえ、その言葉は王のためだけではなく、全ての男性のためです。私たちがどこにいても、職場でも、家でも、教会でも、アルコールにコントロールされるのはダメです。

酔っ払いになれば、私たちは神様からの責任を忘れるし、私たちの破滅に至ります。それに、神様は私たちを裁かれます。

だからパウロはこう言いました。

また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。(エペソ5:18)

アルコールにコントロールされてはいけません。むしろ、私たちは神様の聖霊にコントロールされるべきです。

では、簡単に言うと、男性というのは何ですか。

本当の男性は神様をすべてよりも追い求めます。

また、本当の男性は、何をしても、聖霊にコントロールされ、導かれます。

あなたが男性なら、あなたは本当の男性でしょうか。

あなたが独身の女性なら、どんな男性を追い求めているでしょうか。

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イザヤ書

「本当の男」って?

男とは何でしょうか。

30年前、私は興味深いアメリカの記事を読んだことがあります。その記事によれば、アメリカには「本当の男」がほとんどいなかったそうです。つまり、多くの男性が弱虫だとされていました。

ある女性はこう言いました。「アメリカには、他の国よりも弱虫が多いと思います。多くの若い男性たちは弱虫です。私が知っている男性たちの大部分は弱虫です。」

それは本当に辛い言葉です。では、今はどうでしょうか。「本当の男」はいるのでしょうか。

「本当の男」とはどんな男性を指すのでしょうか。相手をいじめる人でしょうか。威力を振るう人でしょうか。それとも、相手に自分の意志を押し付ける人でしょうか。

この箇所では、その答えを見つけることができると思います。イザヤは正義によって治める王について語っています。

ヒゼキヤについて述べているのかもしれませんが、将来の王、つまりイエス様についても語っていると思います。

そして、その王(と首長)についての記述を通して、本当の王とは何か、また本当の男とはどういう人かが分かると思います。

彼らはみな、風を避ける避け所、あらしを避ける隠れ場のようになり、砂漠にある水の流れ、かわききった地にある大きな岩の陰のようになる。(イザヤ書32:2)

つまり、「本当の男」とは、神様が彼に委ねられた人々を守る者です。嵐が訪れても、彼はその民を守ります。彼は水の流れのように人々を潤し、リフレッシュさせます。

気短な者の心も知識を悟り、どもりの舌も、はっきりと早口で語ることができる。

もはや、しれ者が高貴な人と呼ばれることがなく、ならず者が上流の人と言われることもない。(3-4)

この箇所によれば、本当の男とは教師です。彼の言葉を通して、相手の耳と目が開かれ、彼らは真理を理解できるようになります。その結果、彼らの人生は変えられます。

そして最後に、イザヤは次のように言いました。

しかし、高貴な人は高貴なことを計画し、高貴なことを、いつもする。(8)

つまり、「本当の男」とは、神様の目にかなう計画を立て、神様の目にかなうことを行う人です。

けれども、6~7節では、イザヤは違う種類の男性について述べています。

その男性は、恥ずべき言葉を語り、悪事を企むだけでなく、それを実行します。さらに、神様とその心について誤った教えを広めます。

また、相手を潤すこともなく、必要なものを与えず、人々を励ますどころか、自らの言葉と行動によって相手を滅ぼしてしまいます。

父として、夫として、私が自問しなければならないのは、「私はどんな男なのか」ということです。

私は、しばしば自分の失敗に気づかされます。神様は私を男として生きるように召してくださいましたが、私はなお、男として成長し続けなければなりません。

しかし、イエス様こそが本当の男でした。私がこれまで成し得なかったことを、すべて成し遂げられた方です。

イエス様は私の弱さをよく知っておられ、私の誘惑も深く理解しておられます。

ヘブル人への手紙の著者は次のように書いています。

さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。

私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。

ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。(へブル4:14-16)

イエス様の再臨まで、私はその恵みの御座に近づきます。

男性の皆さん。あなたはどのような男でしょうか。イエス様のような男でしょうか。

女性の皆さん、特にシングルの女性たち。どのようなボーイフレンドと付き合っていますか。また、どのような伴侶を探していますか。イエス様のような人を求めていますか。