そのころのことであった。ユダは兄弟たちから離れて下って行き、名をヒラというアドラム人の近くで天幕を張った。(38:1)
私は、上のことばを何度も読んだことがありますが、今日は初めて自問自答しました。「なぜ?」
なぜ、ユダは自分の責任を捨て、家族から離れたのでしょうか。
彼の兄たち、ルベン、シメオン、レビが父ヤコブの不興を買ったので、もしかしたら、ヤコブはユダを一族の長に任命しようと思っていたかもしれません。(創世記49:3〜7)
でも、ユダは立ち去りました。なぜでしょうか。
私はわかりませんが、もしかしたら、彼は罪悪感を深く感じていたのかもしれません。つまり、ヨセフを裏切ったあと、毎日ヤコブの苦しみを見て、もう耐えられなかったのかもしれません。(創世記37:26〜28、34〜35)
だから、彼は立ち去ったのです。
新しい人生を始めようと思ったのかもしれません。
でも、ユダは自分自身から逃げることはできませんでした。自分の罪深い心から逃げることはできませんでした。
たぶん、38章の出来事のあと、自分自身と向き合ったとき、ユダは自分の中にあるものを見て、それを嫌ったのでしょう。
もちろん、ヨセフはユダよりも正しい人でした。でも、神様を知らないカナン人の女性タマルでさえ、ユダよりも正しい人でした。
たぶん、彼はそのことを考えて、こう言ったでしょう。「もうだめだ。私はこのような生活を送ってはならない。もう逃げてはならない。」
彼の最初の一歩は、責任をとって、タマルとその二人の息子たちの世話をすることでした。
そして、彼は以前とは違う人として、ヤコブと兄弟たちのところに戻りました。
創世記44〜45章を読めば、ユダがどれほど変わったかがわかります。
ユダは、一朝一夕で変わったわけではありません。でも、彼は最初の一歩を踏み出しました。そして、彼は日々、神様の導きに従って、一歩一歩進みました。
そうすることで、彼の壊れた人生は癒されました。
ヨセフは、彼を許しました。(創世記45章)
ヤコブは、彼を許しました。(創世記49:8〜12)
もちろん、神様は、彼を赦してくださいました。
鏡を見るとき、自分が見ているものが好きでしょうか。
人生の変化、また癒しは、一歩から始まります。
次のステップに関して、神様はあなたに何を語っておられるのでしょうか。
