黙示録の最後に繰り返し登場する重要なテーマは、「イエス様がまもなく来られる」という約束です。実はこの約束、黙示録だけではなく、聖書全体を通して繰り返し語られているテーマでもあります。
特に黙示録22章では、イエス様がご自身の再臨を三度宣言されています(7、12、20)。
では、私たちはこの約束にどう応答すればよいのでしょうか。 そのヒントが、17節に記されています。
御霊と花嫁が言う。「来てください。」
これを聞く者も「来てください」と言いなさい。(黙示録22:17a)
興味深いことは、御霊さえもイエス様に「来てください」と叫ばれることです。もしかしたら、それは私たちのための御霊のとりなしの祈りの一つかもしれません。(ローマ8:18-27)
でも、キリストの花嫁として、私たちもイエス様の到来を待ち望むべきです。その日のために、私たちは自分の心を整えなくてはなりません。
私たちはどのようにそうするべきでしょうか。
1.神様が私たちに与えた役割を忠実に果たしましょう。
見よ、わたしはすぐに来る。それぞれの行いに応じて報いるために、わたしは報いを携えて来る。(黙示録22:12)
私たちは20章で読みましたが、二種類の書物があります。一冊目には、私たちの行為のすべてが記されています。二冊目は、子羊のいのちの書です。
でも、あなたの名前が子羊のいのちの書に記されていても、一冊目の書がなくなるわけではありません。ある日、私たちは神様のみ前に立ち、自分の行為のために裁かれます。福音書や使徒たちの書簡には、そのテーマが何度も出てきます。
私たちが神様から与えられたものを忠実に用いたかどうか、判断されます。
忠実に用いれば、報いを得ます。でも忠実でなければ、私たちは救われるものの、火の中をくぐるようにして助かるのです。(第一コリント3:10-15)
だから、イエス様は私たちに警告されます。「目を覚まし、わたしの到来を期待して、忠実に仕えなさい。」(マタイ24:36-25:30)
2.聖さを追い求めましょう。
第一ヨハネでは、ヨハネはこう語りました。
しかし、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。
キリストにこの望みを置いている者はみな、キリストが清い方であるように、自分を清くします。(第一ヨハネ3:2-3)
言い換えると、私たちがキリストの到来を期待し、いつかキリストに似た者になるという希望を抱いているので、今、私たちは清い人生を送るように努めます。
正しい者には、ますます正しいことを行わせ、聖なる者は、ますます聖なる者とならせなさい。(黙示録22:11b)
3.神様を礼拝しましょう。
この世には、さまざまなものが私たちの注目を集め、心を虜にしようとします。その中には良いものもあります。でも、私たちはそれらを礼拝してはなりません。
ヨハネも二度、その罠に陥りそうになりました。彼は御使いを見て、礼拝しようとしたのです。けれども、天使は二度こう言いました。
いけません。。。神を礼拝しなさい。(22:9)
私たちは被造物を礼拝してはなりません。私たちは創造者だけを礼拝するべきです。
4.神様のみ言葉に忠実になりましょう。
この書では、私たちはさまざまな訓戒を読んできました。特に、2〜3章では多くの訓戒を読みましたが、黙示録の他の箇所にも訓戒がいくつもあります。 だから、イエス様は、私たちがそれらの訓戒に留意し、忠実に従うように命じられます。
イエス様はこう言われました。
見よ、わたしはすぐに来る。この書の預言のことばを守る者は幸いである。(22:7)
また、イエス様は、私たちがその言葉から何かを取り除かないように注意し、その言葉に付け加えないように注意されます(22:18〜19)。
イエス様がこの世に来られるまで、私たちはそのような人生を送るべきです。
しかし、もしあなたがまだイエス様を知らないなら、イエス様の次の言葉はあなたのためのものです。
渇く者は来なさい。いのちの水が欲しい者は、ただで受けなさい。(22:17b)
神様は、あなたがご自身のもとに来るように強制されません。 もしあなたが自分の罪にとどまりたいなら、神様はあなたをそのままにされます(22:11a)。
けれども、神様の望みは、あなたがご自身のもとに来て、救われることです。
神様はこう言われます。
自分の衣を洗う者たちは幸いである。彼らはいのちの木の実を食べる特権が与えられ、門を通って都に入れるようになる。(22:14)
私たちはどのように自分の衣を洗うことができるでしょうか。 私たちは自分の努力によってそうするのでしょうか。
違います。十字架で流されたイエス様の血によって、私たちは清められます。 イエス様を信じると、イエス様はあなたの罪のすべてを清めてくださいます(第一ヨハネ1:7)。
今日、あなたは祈って、イエス様を自分の救い主と主として受け入れませんか。
イエス様、今まで、私は自分の道を行き、あなたや周りの人々、そして自分自身さえも傷つけました。 私を赦してください。あなたが十字架で私の罪のために死んでくださり、感謝します。 私の罪と失敗を清めてください。
あなたは王の王、主の主です。 私は自分の人生をあなたに捧げます。 イエス様の御名によって祈ります。アーメン。
この記事を、イエス様とヨハネの言葉で終わります。
イエス様はこう言われました。
わたしイエスは御使いを遣わし、諸教会について、これらのことをあなたがたに証しした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。。。
これらのことを証しする方が言われる。「しかり、わたしはすぐに来る。」(黙示録22:16,20)
ヨハネはこのように答えました。
アーメン。主イエスよ、来てください。(20b)
「主イエスの恵みが、すべての者とともにありますように。」(22)
アーメン、アーメン。