パウロは、最高法院の人々を見つめて言った。「兄弟たち。私は今日まで、あくまでも健全な良心にしたがって、神の前に生きてきました。」(使徒の働き23:1)
皮肉なことに、その言葉を語ったすぐ後、パウロは知らずに大祭司を罵ってしまいました。
一方で、パウロを打つように命じたとき、大祭司自身も健全な良心に従っていると思っていたでしょう。
さらに、パウロを殺そうと謀った人々も、健全な良心に従っていると思っていたでしょう。彼らは、パウロを殺すまで何も食べないと神様に誓ったのです。
これらの例は、コリント人へのパウロの言葉の真実さを証明しています。
私には、やましいことは少しもありませんが、だからといって、それで義と認められているわけではありません。私をさばく方は主です。
ですから、主が来られるまでは、何についても先走ってさばいてはいけません。主は、闇に隠れたことも明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。(コリント人への手紙4:4~5)
そういうわけで、最近、私の祈りの一つはこうです。
【主】よ私を調べ試みてください。
私の心の深みまで精錬してください。(詩篇26:2)
神様が私の心を調べ、試みてくださるように願います。なぜなら、私は自分をだましてしまうからです。
しかし、それと同時に、私はこのことばも祈ります。
あなたの恵みは私の目の前にあり、
あなたの真実さのうちを私は歩み続けました。 (詩篇26:3、別訳)
私は、神様が私の心を探っておられるまなざしを恐れません。なぜなら、私はいつも神様の忠実な愛と恵みを見ているからです。
そして、毎日毎日、一瞬一瞬、私の罪や失敗にもかかわらず、神様が私に忠実でいてくださるという確信をもって歩みます。
もちろん、私は健全な良心に従って歩もうと努めています。
しかし同時に、恵みによって歩み、私に対する神様の忠実さのうちを歩むことも心に留めています。
あなたはどうでしょうか。
健全な良心に従って歩んでいるでしょうか。
恵みによって歩んでいるでしょうか。







