あなたはわたしの命じることを、ことごとく告げなければならない。あなたの兄アロンはファラオに、イスラエルの子らをその地から去らせるようにと告げなければならない。。。
わたしが手をエジプトの上に伸ばし、イスラエルの子らを彼らのただ中から導き出すとき、エジプトは、わたしが主であることを知る。(出エジプト記7:2,5)
モーセとアロンは、ファラオとエジプト人全員が神様が主であることを知るように、神様の言葉を告げなければなりませんでした。
同じように、私たちの周りの人々が神様が主であることを知るために、私たちも神様の言葉を告げなければなりません。
しかし、モーセとアロンの言葉がほとんど裁きの言葉であったのに対し、私たちの言葉は和解の言葉なのです。
パウロはこう言いました。
これらのことはすべて、神から出ています。
神は、キリストによって私たちをご自分と和解させ、また、和解の務めを私たちに与えてくださいました。
すなわち、神はキリストにあって、この世をご自分と和解させ、背きの責任を人々に負わせず、和解のことばを私たちに委ねられました。
こういうわけで、神が私たちを通して勧めておられるのですから、私たちはキリストに代わる使節なのです。
私たちはキリストに代わって願います。神と和解させていただきなさい。
神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。(第二コリント5:18ー21)
だからこそ、周りの人々が神様が主であることを知り、神様と和解することができるように、神様の言葉を告げましょう。
