カテゴリー
マタイの福音書のデボーション

自分の目的を果たす神

この大変な時期、牧師たちはよく言います。「神様はまだこの世を治めておられます。神様はコントロールを失なっておられません。」

でも、私たちはそう信じるでしょうか。

今日の個所で私たちが学ぶのは、そう見えなくても、神様はまだすべてのことをコントロールしておられることです。

神様は初めから、自分の計画を現わしまた。神様はアブラハムに約束しました。「あなたを通して、私はすべての国々を祝福します。」

そのあと、神様はダビデに約束しました。「あなたの子孫は永遠に王座に座ります。」

でも、神様はどのようにその約束を守ったでしょうか。神様はずっとアブラハムとダビデの子孫を祝福したのでしょうか。

いや、実は、メシアの系図を見ると、罪によって堕落する人々、また、罪によって壊れた人々が多いとわかります。

ユダとその兄弟たちは弟ヨセフを殺そうと思ったけど、神様が彼らを制止したので、結局、彼らはヨセフを奴隷として売りました。

ヨセフは13年ぐらいエジプトの奴隷でしたけど、神様はコントロールを失ったというわけではありません。むしろ、神様はヨセフを用いて、ヨセフの家族だけではなく、エジプト人たちと周りの国々の人たちを飢饉から救ってくださいました。

また、イスラエル人たちの罪のため、神様は彼らを裁いて、飢饉を送りました。皆は自分の目に正しいと見えることを行なっていたけど、結局、完全に堕落する人たちになりました。

その時、その壊れた社会では、ナオミと他の人たちは苦しみました。ナオミの夫と息子たちが亡くなったとき、ナオミは、「神様はコントロールを失ったのかしら」と思ったかもしれません。

でも、その苦しみを通して、神様はルツという外国人をメシアの系図に入らせてくださいました。

その大変な時期に、神様はもうアブラハムに対する約束を守り始めました。つまり、アブラハムを通して、神様はイスラエルだけではなく、すべての国々を祝福し始めたことです。

イスラエルの歴史で、良い王たちもいたし、悪い王もいました。ダビデは良い王だったけど、夫として、また、父としてよく失敗したので、その家族は引き裂かれそうでした。

そして、その孫レハブアム王のバカな決断によって、イスラエル王国は二つの王国に分かれました。

その結果は、内戦や、偶像礼拝、子供の犠牲、ほかのひどい罪でした。だから、最終的にイスラエル人たちはバビロンに追放されました。そのとき、神様はコントロールを失っていたでしょうか。

いや、その時でも、神様はコントロールを失っていませんでした。70年後、神様は自分の民をイスラエルに引き戻してくださいました。

ある国々はイスラエル人たちに反対して、抑圧して、完全に殺そうとしました。それでも、神様はメシアの系図を守りました。

そしてイエス様が生まれました。イエス様の名前は、神様の計画と目的を表現します。「ヤハウェは救いです。ヤハウェは私たちを救ってくださいます。」(「ヤハウェ」とは、神様の名前です。)

私たちの周りのカオスの中で、その真理は私たちの希望です。

神様は、約束したことを必ず果たしてくださいます。神様の約束と計画を阻むものは、全くありません。

カテゴリー
コリント人への手紙第一

神様の目的と栄光のため

霊的な賜物に関するプライドや嫉妬について考えると、最大の問題は、私たちが大切な真理を忘れてしまうことかもしれません。

それは、人生の中心は私たち自身ではないということです。私たちは自分の目的を達成するために造られたのではなく、自分の栄光のために存在しているのでもありません。

むしろ、神様の目的を果たすために造られ、神様の栄光のために生きるようにされています。

4ー6節では、その真理が示されています。私たちはそれぞれ異なる賜物を持っていますが、それは自分自身で得たものではありません。むしろ、神様が私たちに与えてくださったのです。だからこそ、パウロはこう語りました。

いったいだれが、あなたをほかの人よりもすぐれていると認めるのですか。(そのように認める人は誰もいません)。

あなたには、何か、もらわなかったものがあるのですか。(もらっていないものは何もありません)。

もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。(誇る理由はまったくありません)。(コリント人への手紙第一4:7)

けれども、私たちは時に、自分自身が神様からの賜物であるかのように振る舞ってしまうことがあります。

確かに、ある意味では、私たちは神様の賜物です。神様は私たちが周囲の人々を祝福することを望んでおられます。とはいえ、それは私たち自身の栄光や利益のためではありません。それは周りの人々の益となり、神様の栄光を現すためのものです。

前回の記事で述べたように、私たちの賜物は教会の人々の益のために与えられました。(12:7)

パウロは続けてこう言います。

同じ一つの御霊がこれらすべてのことをなさるのであり、御霊は、みこころのままに、一人ひとりそれぞれに賜物を分け与えてくださるのです。(コリント人への手紙12:11)

パウロによれば、聖霊様はご自身の目的を果たすために、私たちに賜物を与えてくださいます。

そしてパウロはさらにこう語ります。

しかし実際、神はみこころにしたがって、からだの中にそれぞれの部分を備えてくださいました。(18)

私たちは神様の目的を果たすために、キリストのからだ—つまり教会に—置かれていることを改めて見ます。

したがって、私たちにはプライドを持つ余地はありません。私たちは自分の目的のためではなく、神様の目的のために賜物を与えられ、教会に置かれました。

また、嫉妬を抱く余地もありません。神様はご自身の理由によって、あなたをその場所に置かれました。

神様は決してこう言われることはありません。 「あ、しまった。あなたを造ったとき、失敗した。まあ、しょうがない。 あなたをあまり用いることはできないけど、とりあえずそこに置いておこう。」

むしろ、神様があなたを造られたとき、こう言われました。 「特別な目的のためにあなたを造った。キリストのからだにおいて、この役割を果たすために、私はあなたを特別にデザインした。」

あなたはどうでしょうか。自分の賜物があなた自身の目的を果たすためのものだと思っていますか。あるいは、自分の賜物があなたの栄光のためのものだと思っていますか。

もしかすると、その賜物が神様の目的、そして神様の栄光のために与えられたものだと気づいているでしょうか。

賜物に関する自己中心的な態度は、プライドと嫉妬を生む原因となります。あなたはどのような態度を持っているでしょうか。

カテゴリー
マタイの福音書 マタイ11章 ルカの福音書 ルカ7章

私たちのための神の目的を拒否する

私たち皆は偶然ではなく、神様の目的のために造られた存在です。

その目的は何でしょうか。

それは、私たちが神様との関係を持つために造られたことです。

そして、私たちは人間関係のために造られました。私たちは周りの人々に触れることができるように、そして私たち自身も周りの人々に触れられることができるように造られたのです。

さらに、私たちは神様から授かった才能や賜物を通して神様の心を実践するように造られています。

残念ながら、多くの人々はその目的を知らずに生活を続けてしまいます。なぜでしょうか。彼らは神様が与えてくださった目的を拒絶し、自分自身のためだけに生きているからです。

このように、パリサイ人たちと律法学者たちはそのような生き方をしていました。イエス様はバプテスマのヨハネの働きが神様からのものであることを認められましたが、ルカによれば、パリサイ人たちと律法学者たちについてこう書かれています。

。。。パリサイ人、律法の専門家たちは、彼からバプテスマを受けないで、神の自分たちに対するみこころを拒みました。(ルカ7:30)

ヨハネのメッセージは次の通りでした。

1.悔い改めなさい。その悔い改めのしるしはバプテスマです。

2.メシア(救い主、または王)はすぐに来ます。自分の心を整えなさい。

しかし、パリサイ人たちと律法学者たちは、自分の義を誇りに思い、自分が悔い改める必要があるとは認めませんでした。

さらに、神様がご自身を現された時、つまりイエス様が来られた時、彼らはイエス様を拒絶しました。それだけではなく、彼らはイエス様を十字架にかけて殺してしまったのです。

だから、マタイはこう記しています。

バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。(マタイ11:12)

バプテスマのヨハネの時代に、王であるイエス様が来られたにもかかわらず、パリサイ人たちと律法学者たちは、その王国に激しく敵対しました。

彼らは神の王国を守っていると思っていたのに、実際には神様の王国を攻撃してしまったのです。その結果、彼らは神様が彼らに対して持っていた御心を逃してしまいました。

しかし、ルカは他の人々についてこう記しています。

ヨハネの教えを聞いたすべての民は、取税人たちさえ、ヨハネのバプテスマを受けて、神の正しいことを認めたのです。(7:29)

その人々はへりくだり、神様の道が正しいことを認め、悔い改め、最終的にイエス様を王として受け入れたため、神様の王国に入ることができました。また、彼らは神様が彼らのために持っていた目的に立ち返ったのです。

あなた自身はどうでしょうか。神様があなたに与えてくださった目的に従っていますか。

最初のステップは悔い改めです。自分の最善を知らないことを認め、神様の道を受け入れる態度を取ることが必要です。特に、イエス様が真理であり、道であり、命であることを認めなくてはなりません。

言い換えると、イエス様をあなたの主として受け入れるべきなのです。

今、そうしませんか。

主よ、私は長い間、自分自身の道を歩み続け、あなたが私に示してくださった目的を逃してしまいました。私を赦してください。

私の罪のために十字架で死んでくださり、そして三日目によみがえられたイエス様を信じます。どうか私の主となってください。

これからは、あなたに従いたいです。あなたの御心に従いたいです。私をあなたに近づけてください。そして、あなたの御心を私に示してください。イエス様のみ名によってお祈りします。アーメン。

カテゴリー
イザヤ書

自分の目的を果たされる神

時々、私たちは自分の状況を見て、神様が本当に私たちのために御計画を持っておられるのか疑ってしまうことがあります。

あるいは、神様はもともと御計画を持っておられたけれど、私たちの罪や過ちによって、その御計画が失われてしまったのではないかと思うこともあります。

または神様が予想できなかった状況によって、その御計画がダメになったと思うことがあります。なぜなら、私たちの経験では、私たちの立てた計画は予想できない事によってダメになってしまうことが多いからです。

でも、神様の御計画は決してダメになりません。神様は言われました。

「万軍の主が立てられたことを、だれが破りえよう。

御手が伸ばされた。だれがそれを戻しえよう。」(イザヤ書14:24,27)

この箇所では、神様はアッシリヤの将来の裁きについて話しておられます。アッシリヤには強い軍隊があり、ユダとイスラエルを困らせていましたが、神様がアッシリヤを打ち破り、そのくびきは主の民の上から除かれると約束しておられます。

だから、イスラエルとユダの罪によって、彼らはアッシリヤの手によって苦しんでいたのに、また希望が無くなったようだったのに、神様はまだイスラエルの民のために御計画を持っておられました。アッシリヤや他のものは、その計画の成就を止めることができませんでした。

そのように、神様はまだあなたのために御計画を持っておられます。イスラエル人のように、あなたは罪を犯したから苦しんでいるかもしれません。

または、サタンがあなたを攻めていて、あなたはそれから逃げられないと思っているかもしれません。私たちのための神様の御計画は、きっと成就できないと思うかもしれません。

でも神様が言われているのは、「私の御計画はまだ有効だ」ということです。

神様は状況によって決して驚かれません。また、いつも何をするか知っておられます。何も、また誰も神様の御計画の成就を止めることはできません。

私たちもできません。サタンもできません。神様の御計画は永遠に立ちます。

だから、がっかりしないでください。希望を失わないでください。むしろ、主から目を離さないでいましょう。そして、神様に心を開いて、従いましょう。

ダビデが言ったように、

主は私にかかわるすべてのことを、成し遂げてくださいます。

主よ。あなたの恵みはとこしえにあります。(詩篇138:8)