ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤ地方全体に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えてきました。(使徒の働き26:20)
今朝、私は「悔い改めにふさわしい行い」ということばに思いを巡らしていました。
そのことばは、いったい何を意味しているのでしょうか。
意識的であれ無意識的であれ、多くの人は「私たちは絶えず罪悪感を抱き、頑張って自分の罪の償いをしようと努めるべきだ」と考えてしまうかもしれません。
しかし、悔い改めとは、単に罪を後悔したり、自分の行いの償いをしようとしたりすることではありません。
むしろ、悔い改めとは、まったく新しい考え方を取り入れることです。つまり、神様をどのように見るのかを変えることです。
「神様は良いお方です。神様は私を愛しておられます。神様は私の最善をご存じで、願っておられるのです。」
だから、悔い改めにふさわしい行いとは、その考え方に一致した人生を歩むことなのです。
そのような考え方を持つなら、私たちの人生はどれほど変わるでしょうか。私たちはどれほど多くの喜びを持つでしょうか。
主よ、あなたが良いお方であり、私を愛してくださり、私の最善をご存じで、願っておられることを信じます。私はその考え方に一致した人生を歩む者としてください。

