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詩篇のデボーション

あなたがあインマンヌエルであるゆえに

たとえ死の陰の谷を歩むとしても
私はわざわいを恐れません。
あなたがともにおられますから。(詩篇23:4)

イエス様、これは本当に乱れた世の中です。

けれども、あなたがインマヌエルであるゆえに、この世の民が恐れることを、私は恐れません。(イザヤ書8:12)

この世の民が心配することを、私は心配しません。(マタイ6:25~34)

この世の民は怒りに駆られるかもしれませんが、私はそうしません。(ヤコブ1:19~20)

むしろ、私の良い羊飼いよ、あなたを信頼し、待ち望むことを選びます。(イザヤ書8:17)

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マルコの福音書のデボーション

しばらく休みなさい

するとイエスは彼らに言われた。「さあ、あなたがただけで、寂しいところへ行って、しばらく休みなさい。」

イエスは、弟子たちが向かい風のために漕ぎあぐねているのを見て、夜明けが近づいたころ、湖の上を歩いて彼らのところへ行かれた。(マルコ6:31,48)

今日、イエス様がどれほど良い羊飼いでおられるかを思い巡らしていました。

イエス様は、いつも「仕え、仕え、仕え」と私たちに迫る方ではありません。イエス様は、私たちが御国のために何をしているかだけに関心を持っておられるわけではないのです。

イエス様は、私たちを心から愛しておられます。

だからこそ、イエス様はときにこう言われます。「少し仕えることを休みなさい。わたしと一緒に時間を過ごしましょう。」

それだけではありません。

私たちが「漕ぎあぐねている」とき、風が私たちに逆らっているとき、イエス様は私たちの苦しみに無関心でおられるのではなく、私たちのもとに来て、助けてくださるのです。

51~52節が、私の心をとらえました。

弟子たちは心の中で非常に驚いた。彼らはパンのことを理解せず、その心が頑なになっていたからである。(51-52)

もちろん、弟子たちは、とりわけイエス様の力に驚いていました。しかし、「パンのこと」は、単なるイエス様の力に関する教訓ではありません。

それは、良い羊飼いのように、イエス様が私たちを愛しておられるということなのです。

今日の箇所を読んで、最も印象深かったのはこの真理でした。

私の羊飼いは、私を本当に愛しておられます。

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ヨハネの福音書のデボーション

羊飼いへの祈り

牧者は自分の羊たちを、それぞれ名を呼んで連れ出します。羊たちをみな外に出すと、牧者はその先頭に立って行き、羊たちはついて行きます。(ヨハネの福音書10:3ー4)

イエス様、なぜかそのことばは私の心に響きます。

あなたにとって、私は名前も顔も知らない羊ではありません。あなたは私の名前を知っていて、呼びかけてくださいます。「おい、こっちにおいで。行きましょう!」

あなたは私たちの先頭に立って行かれます。私たちを導いてくださいます。その道を拓いてくださいます。私たちを災いから守ってくださいます。良い牧草を探してくださいます。

だから、主よ、私の先に行ってください。私が決してあなたの先に行かないように。あなたが先に行かれ、私はついていきます。