どうして欺きを認識することが難しいのでしょうか。それは、欺きが本質的に見破りにくいものだからです。そのため、偽教師たちは教会に簡単に入り込むことができるのです。もちろん、彼らが「私は偽教師です」と宣言することはありません。
むしろ、彼らは私たちと同じように見え、聞こえ、ふるまいます。けれども、注意深く見ると、彼らが実際には羊の皮を被った狼であることに気づくでしょう。では、どのようにして彼らを見分けることができるのでしょうか。
何よりもまず、私たちは彼らの教えを吟味しなければなりません。
前回の箇所で私たちが読んだように、ヨハネの時代には偽教師たちが神様の恵みを放縦に変えていました。彼らは「イエス様は私の主」と主張しましたが、その行いによってイエス様を否定していたのです。(ユダの手紙4)
さらに、偽教師を見分けるもう一つの方法は、彼らの態度や行いに注目することです。
例えば、彼らはあらゆる権威を認めることを拒みます。彼らは主の権威すら認めません。(8節)
また、彼らは霊的な力を理解していないため、その力を罵ります。彼らはサタンですら罵るのです。サタンが彼らよりも強い存在であるにもかかわらず、彼らはサタンをあざ笑います。
しかし、御使いのかしらミカエルでさえ、自分が正しいと分かっていたにもかかわらず、サタンに対してののしって裁きを宣言することはしませんでした。(8-10節)
さらに、彼らは本能によって理解できること、特に自分たちの情欲によって滅びます。(10節)
こうした理由で、ユダはその偽教師たちを厳しく非難しています。ユダの言葉は、パリサイ人や律法学者たちに対するイエス様の言葉に似ています。
ユダは、彼らを殺害者と呼びます。(彼らはカインの道を歩みました。)
また、ユダは彼らを欲深い者たちと呼びます。(彼らは自分たちの利益のためにバラムの迷いに陥りました。)
最後に、ユダは彼らを反逆者たちと呼びます。(彼らはコラのように背いて滅びました。)(11節)
コラの話に触れるかもしれませんが、ユダは彼らを「ぶつぶつ不満を言う者たち」とさらに呼びます。ユダによれば、彼らは「自らの欲望のままに生きています。その口は大げさなことを語り、利益のために人にへつらいます。」(16節)
そして、ユダは生き生きとした描写を用いて、偽教師たちを非難しています。ユダは彼らを「愛餐のしみ」と呼びました。彼らは本来、神様の羊に餌を与えるべき存在でしたが、羊たちをだまし、彼らのお金を搾取していたのです。
さらに、ユダは彼らを「風に吹き流される雨無し雲」と呼びました。その教師たちは多くの約束を口にしましたが、それを果たすことはありませんでした。また、彼ら自身がいつも流行の偽りの教えに流されていたのです。
ユダはまた、彼らを「枯れに枯れて根こそぎにされた、実りなき秋の木」と例えています。
さらに、ユダは彼らを「自分の恥を泡立たせる海の荒波」にもたとえました。
そして最後に、ユダは彼らを「さまよえる星」と呼びます。それは、偽教師たちの教えによって、迷っている人々がさらに深く迷い込んでしまうということを意味しています。(12-13節)
その偽教師の行き着く果ては何でしょうか。それは破滅です。(14-15節)
ユダの警告を聞いても、偽教師たちはあざ笑いながら自分たちの道を行き続けます。彼らは神の御霊に従わず、自分の本能に従い、教会を分裂させてしまいました。(18-19節)
皮肉なことに、最初は彼らが羊のように見えました。彼らは私たちのように聞こえ、私たちのようにふるまったのです。
しかし、それは新しい問題ではありません。
モーセがエジプトから導き出したイスラエルの民にも同じことが見られました。彼らはエジプトの力から救われましたが、自分たちの不信によって砂漠で死んでしまいました。(5節)
さらに、ある天使たちは自分たちの領分を守らず、自分のいるべき場所を捨てたために裁かれてしまいました。(6節)
ある聖書学者によれば、ユダはサタンの反逆に参加した天使たちについて言っていると考えられています。他の学者たちは、ノアの時代にある天使たちが人間の娘たちと結婚したと解釈しています。(私はその理論に疑問を感じますが。)
いずれにせよ、ユダのポイントは明確です。その人々や天使たちは、神様の選ばれた民に属しているように見えましたが、彼らの罪によって裁かれてしまったのです。
同様に、ユダの時代の偽教師たちは、ソドムとゴモラの人々のように罪に耽っていました。その結果、ソドムとゴモラの人々と同じように、偽教師たちは永遠の火の刑罰を受けることになりました。(7節)
私たちも彼らの模範に従うなら、同じ運命を迎えることになります。
だからこそ、ユダは私たちに警告し促します。
しかし、愛する者たち。あなたがたは自分たちの最も聖なる信仰の上に、自分自身を築き上げなさい。聖霊によって祈りなさい。
神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに導く、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。(20-21節)
簡単に言えば、その偽教師たちを認識し、彼らの運命を避けたいと思うなら、私たちはイエス様にしっかりと根を張らなければなりません。
私たちはキリストの恵みと知識の中で成長し、その御霊と深く結びつかなければなりません。そして、主の愛にとどまり、イエス様の十字架の働きのおかげで、彼らに降りかかる裁きが私たちにとって希望であることを心に留めておくべきです。
あなた自身はどうですか。偽教師たちを認識し、信仰のために彼らと立ち向かうほどに、イエス様の真理に深く根を張っていますか。