私たちは、サタンについて忘れてはならない重要なことがあります。それは、サタンが常に神様の造られた良いものを偽造するということです。
例えば、互いに愛し合う夫婦の関係の代わりに、サタンは不倫やその他の性的な罪を誘惑として差し出します。
また、魂を満たす真の喜びの代わりに、サタンは決して満足をもたらさない一時的な快楽を提供します。
同様に、サタンは偽の霊的な賜物を差し出します。例えば、カルトやオカルトでは、偽の異言、偽の癒し、偽の奇跡が見られます。
ここで「偽」と言うとき、それは必ずしもその奇跡が存在しないという意味ではありません。むしろ、その奇跡の源が神様ではなく、サタンであることを意味します。
だから、パウロはコリント人たちが本物と偽物を正しく見分けられるかどうかを心配しました。
パウロは彼らにこう記しました。
さて、兄弟たち。御霊の賜物については、私はあなたがたに知らずにいてほしくありません。
ご存じのとおり、あなたがたが異教徒であったときには、誘われるまま、ものを言えない偶像のところに引かれて行きました。(コリント人への手紙第一12:1-2)
コリント人たちがどのように偶像に惹かれていったのかは明確ではありません。しかし、もしかすると、サタンによる偽の霊的な経験によって彼らは欺かれていたのかもしれません。
だからこそ、パウロは彼らに、サタンからのものと神様からのものを正しく見分ける方法を教えました。
パウロはこう語りました。
ですから、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも「イエスは、のろわれよ」と言うことはなく、また、聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。(3)
一つの見分け方として、御霊に導かれる人は決してイエス様を呪うことができません。イエス様を呪う人を見れば、その人が神様からのものではないとすぐに分かるでしょう。
もう一つの見分け方は、聖霊に導かれる人が「イエスは主」と告白することです。
カルトやオカルト、その他の宗教に属する人々の多くは、イエス様についてさまざまな良いことを語ります。
「イエス様は善良な人物でした。」
「イエス様は偉大な宗教的指導者でした。」
「イエス様は預言者でした。」
しかし、彼らはイエス様がすべての主であることを認めず、また、イエス様が人間としてこの世に来られた唯一の神であることを受け入れません。
もう一つ注意すべき点があります。「イエスは主」と告白する人が、必ずしも聖霊に導かれているとは限りません。以前述べたように、サタンはさまざまな偽物を差し出します。
実は、サタンは偽のイエス様さえも売り込んでいます。第二コリント11:4で、パウロは「別のイエス」について語っています。
モルモン教では、イエス様は多くの神々の中の一人とされ、さらにサタンの兄弟とされています。
エホバの証人によれば、イエス様は御使いのかしらミカエルとされています。
だからこそ、人が「イエスは主」と言うとき、私たちは「どのイエスですか」と問わなくてはなりません。本物のイエスでしょうか。それとも、偽りのイエスでしょうか。
彼らが宣べ伝えるイエスが聖書に記されたイエスと一致しているかどうかを確かめる必要があります。
霊的な賜物や霊的な経験について話すときも、それがどこから来たものなのかを正しく見分けなくてはなりません。
それらが神様からのものであるならば、聖書の言葉と一致するはずです。すなわち、イエス様が人間としてこの世に来られた唯一の神であり、すべての主であることを認めるものです。
だから、人のすべての霊的な経験が神様からのものだと、すぐに信じるべきではありません。むしろ、パウロの言葉に従い、慎重に見極めるべきです。
ただし、すべてを吟味し、良いものはしっかり保ちなさい。(第一テサロニケ5:21)