カテゴリー
申命記のデボーション

イエス様に聞き従わなければなりません!

あなたの神、主はあなたのうちから、あなたの同胞の中から、私のような一人の預言者をあなたのために起こされる。

あなたがたはその人に聞き従わなければならない。(申命記18:15)

ペテロによれば、モーセはイエス様を指していました。(使徒の働き3:19-26)

もしかすると、ペテロは自分、ヤコブ、ヨハネに対する天の父の戒めを思い出していたのかもしれません。

これはわたしの愛する子。彼の言うことを聞け。(マルコ9:7)

正直に言うと、私はまだイエス様の言われることに耳を傾けることを学んでいる途中です。

しかし、キリストの弟子として、私たちはこの世の流れに単に従うべきではありません。

モーセもイスラエル人たちに同じような警告を与えました。(申命記18:9-14)

むしろ、私たちはイエス様に聞き従わなければなりません。

日々の生活で決断をするとき、あなたは誰に聞き従っていますか。

カテゴリー
マタイの福音書 マタイ23章

神様に遣わされた人々を拒絶すると

叱られるのが好きな人は誰もいません。

「君は間違っている」と言われるのが好きな人もいません。

では、そう言われたとき、あなたはどう反応するでしょうか。

パリサイ人たちは彼らの先祖たちの例に従いました。彼らは懲らしめられたとき、その言葉に耳を貸さず、悔い改めることもせず、神様に遣わされた人々を攻撃しました。

彼らはイエス様に反対し、殺してしまいました。その後、彼らは弟子たちに反対し、彼らを殺そうとしました。それでも彼らはこう言いました。「私たちが自分の先祖なら、私たちは決して預言者たちを殺さなかっただろう。」

だから、イエス様は彼らにこう言われました。

蛇よ。まむしの子孫よ。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうして逃れることができるだろうか。

だから、見よ。私は預言者、知者、律法学者を遣わすが、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して回る。

それは、義人アベルの血から、神殿と祭壇の間でおまえたちが殺した、バラキヤの子ザカリヤの血まで、地上で流される正しい人の血が、すべておまえたちに降りかかるようになるためだ。

まことに、おまえたちに言う。これらの報いはすべて、この時代の上に降りかかる。(マタイの福音書23:33-36)

それで、イエス様は泣いて、こう言われました。

エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者よ。わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。それなのに、おまえたちはそれを望まなかった。

見よ。おまえたちの家は、荒れ果てたまま見捨てられる。わたしはおまえたちに言う。

今から後、「祝福あれ、主のみ名によって来られる方に」とおまえたちが言う時が来るまで、決しておまえたちがわたしを見ることはない。」(37-39)

最終的にそれは起こりました。イエス様を殺した世代の人々が生きているうちに、イスラエルは滅び、その神殿が破壊され、今なお再建されていません。

私たちが神様に遣わされた人々を拒絶すると、何が起こるでしょうか。私たちの人生は崩れ去り、私たちは裁かれます。

神様はそれを見て、決して喜ばれることはありません。神様はそれを見て、泣かれるのです。けれども、私たちが自分の主としてイエス様を認めるまで、私たちは決して命と平和を知ることができません。

ソロモンはこう記しました。

愛する者が傷つけるのは誠実による。(箴言27:6)

真実は厳しいかもしれません。真実を聞くのは辛いかもしれません。しかし、真実を受け入れると、私たちは癒されます。

あなたが叱られるとき、どう反応するでしょうか。

カテゴリー
マタイの福音書 マタイ16章 マルコの福音書 マルコ8章 ルカの福音書 ルカ9章

最も大切な質問

イエス様がミニストリーの半ばに差し掛かった頃、十字架のことを考え始められました。それゆえ、イエス様は弟子たちが自分についてどう思っているかを知りたいと願われました。

彼らはイエス様をただの預言者だと考えていたでしょうか。ただの良い教師だと思っていたでしょうか。

そこで、イエス様は弟子たちにこう尋ねられました。「人々は私のことをだれだと言っていますか。」

弟子たちは様々に答えました。その後、イエス様はさらに問われました。「では、あなたがたは、私をだれだと言いますか。」

この問いは、あの時代の人々のためだけでなく、すべての世代の人々のためのものです。今もなお、イエス様は私たちに尋ねられます。「あなたは私をだれだと言いますか。」

イエス様を預言者だと思うでしょうか。もちろん、イエス様は預言者でした。イエス様を通して、私たちは神様の言葉を聞くことができます。

では、イエス様を良い人だと思うでしょうか。もちろん、イエス様は良い人です。彼は一切罪を犯されませんでした。

とはいえ、イエス様はただの預言者なのでしょうか。ただの良い人なのでしょうか。

ペテロはそうは考えませんでした。彼はこう言いました。

あなたは、生ける神の御子キリストです。(マタイ16:16)

ペテロがそう言ったとき、ユダヤ人たちは「メシア」、つまり「キリスト」という言葉の本当の意味を十分に理解していませんでした。(「メシア」と「キリスト」は同じ意味です。)

弟子たちも、その意味を完全には理解していませんでした。そのため、イエス様はご自身がキリストであることを誰にも言ってはならないと、弟子たちを戒められました。

もしある概念を理解できていなければ、それを他の人々に正しく説明することは難しいでしょう。

彼らは、メシアが人々の罪のために死ななければならないことを理解していませんでした。彼らが理解していたのは、「いつかメシアがイスラエルを治める」ということでした。

そのため、「キリスト」や「メシア」という言葉を聞くと、そのイメージがまず浮かびました。

あなたはどうでしょうか。イエス様がメシアであることを信じていますか?つまり、イエス様があなたの罪のために死なれたことを信じていますか?そして、イエス様はあなたの王ですか?あなたの人生をイエス様に捧げていますか?

イエス様は、ただの預言者ではありません。イエス様は、ただの良い人でもありません。イエス様は神です。

ユダヤ人たちは、イエス様の主張を正しく理解していました。確かに、ある意味では私たちすべてが神の子供です。なぜなら、神様が私たちを創造されたからです。

けれども、イエス様は「神様が自分を造られた」という意味ではなく、「自分は永遠から本当に神の子である」と主張されました。

そのような主張は、実際には「自分が神である」という宣言です。

その主張のために、ユダヤ人たちはイエス様を十字架につけて殺しました。(ヨハネ5:18、マタイ26:63ー66)

もしイエス様があなたの神であり、王であるなら、イエス様はあなたの礼拝と奉仕に値します。しかし、あなたは本当にそう信じていますか? ペテロのように、あなたは言うことができますか?「あなたは、生ける神の御子キリストです。」

もしあなたがそのことを信じているけれど、まだ告白していないのなら、今、祈りませんか。

イエス様、私はあなたをただの良い人だとは思いません。私はあなたをただの預言者だとも思いません。

あなたが神であることを信じます。 私は、あなたが十字架で私の罪のために死なれたことを信じます。また、あなたが三日目によみがえられたことを信じます。 それを心から感謝します。

どうか私の神になってください。私の王になってください。 これから、私はあなたに従いたいです。どう生きるべきかを教えてください。アーメン。

カテゴリー
エレミヤ書

預言者たちを見分ける

ゼデキヤ王がユダ王国の最後の王であった時、ユダ王国の没落は近づいていました。その時、エレミヤはユダと周辺の国々に厳しいメッセージを伝えました。

それは、「バビロンに降伏しなさい。そうすれば生きることができます。そうしなければ死ぬことになります。」ということでした。

ユダの預言者たちと周辺の国々の預言者たちは、彼らの王たちにこう言いました。

「バビロンについて心配しないでください。あなたがたは彼らに決して仕えることはありません。」

けれども、エレミヤはその預言者たちについてこう言いました。

彼らは、あなたがたに偽りを預言しているからだ。それで、あなたがたは、あなたがたの土地から遠くに移され、わたしはあなたがたを追い散らして、あなたがたが滅びるようにする。(エレミヤ書27:10)

その時、偽の預言者ハナヌヤは、エレミヤの言葉に反対しました。彼はこう言いました。

イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。わたしは、バビロンの王のくびきを打ち砕く。

二年のうちに、わたしは、バビロンの王ネブカデネザルがこの所から取って、バビロンに運んだ主の宮のすべての器をこの所に帰らせる。

バビロンに行ったエホヤキムの子、ユダの王エコヌヤと、ユダのすべての捕囚の民も、わたしはこの所に帰らせる。――主の御告げ――わたしがバビロンの王のくびきを打ち砕くからだ。(エレミヤ書28:2ー4)

エレミヤはそれを聞き、こう答えました。

アーメン。そのとおりに主がしてくださるように。あなたが預言したことばを主が成就させ、主の宮の器と、すべての捕囚の民がバビロンからこの所に帰って来るように。

しかし、私があなたの耳と、すべての民の耳に語っているこのことばを聞きなさい。

昔から、私と、あなたの先に出た預言者たちは、多くの国と大きな王国について、戦いとわざわいと疫病とを預言した。

平安を預言する預言者については、その預言者のことばが成就して初めて、ほんとうに主が遣わされた預言者だ、と知られるのだ。(エレミヤ書28:6ー9)

エレミヤは何を言っているでしょうか。それは、私たちが平和ばかりを伝える預言者たちに注意しなければならないということです。彼らはいつもこのように言います。

「もちろん神様は、あなたの賛美を聞いて喜んでおられる。あなたの人生を見て、とても嬉しく思っておられる。」

けれども、彼らは悔い改めの必要について全く話しません。

29章では、シェマヤという人が祭司たちにこう言いました。

「どうしてエレミヤを責めないのでしょうか。彼は狂った人です。彼は狂ったことを言っています。」

しかし、神様はハナヌヤとシェマヤを裁かれ、彼らは死にました。

時々、人々は主の代表として話しますが、ただ自分の感情から話すことがあります。感情は良いことですが、感情から話す人がいつも神様のメッセージを伝えているわけではありません。

神様は時に預言者を通して私たちを励ましてくださいます。けれども、私たちが罪に落ちたときには、真の預言者は神様の祝福を私たちに伝えません。むしろ、真の預言者は悔い改めのメッセージを伝えます。

エレミヤもそのようにしました。

あなたは神様の代表として話す人を見分けることができるでしょうか。「神様はこう言います」と言われても、その言葉が神様からのものであるとは限りません。

私の言葉を誤解しないでください。神様の言葉を忠実に伝える人もいます。

そして、パウロはこう言いました。

御霊を消してはなりません。預言をないがしろにしてはいけません。(第一タサロニケ5:19ー20)

とはいえ、その後で、パウロはこう言いました。

しかし、すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。(第一テサロニケ5:21)

あなたはどうでしょうか。あなたが聞くことを見分けることができるでしょうか。