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マタイの福音書のデボーション

子どもの心

イエスは彼らに言われた。「モーセは、あなたがたの心が頑ななので、あなたがたに妻を離縁することを許したのです。しかし、はじめの時からそうだったのではありません。(マタイの福音書19:8)

天のお父さん、私が単に「何が許されているのか」に基づいて決断することがないようにしてください。

特に、私の心の頑なさのゆえに、あなたが最善だと言われることを拒んでしまうときです。

どうか私に子どもの心――柔らかい心、あなたを信じる心――を与えてください。

「何が許されているのか」と尋ねるのではなく、むしろ「私の良いお父さんが何を願っておられるのか」と尋ねる者としてください。

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マルコの福音書のデボーション

主よ、ため息をつかれることはありますか

すると、パリサイ人たちがやって来てイエスと議論を始めた。彼らは天からのしるしを求め、イエスを試みようとしたのである。

イエスは、心の中で深くため息をついて、こう言われた。「この時代はなぜ、しるしを求めるのか。」(マルコの福音書8:11ー12)

イエスはそれに気がついて(弟子たちに)言われた。

「なぜ、パンを持っていないことについて議論しているのですか。まだ分からないのですか、悟らないのですか。心を頑なにしているのですか。

目があっても見ないのですか。耳があっても聞かないのですか。あなたがたは、覚えていないのですか。。。

まだ悟らないのですか。」(17ー18,21節)

イエス様、私たちの頑固さ、私の不信仰に、あなたはどれほど深くため息をつかれるのでしょうか。私が頑なな心を持ち、目が見えず、耳が聞こえず、何も悟れないとき、あなたはどれほど深くため息をつかれるのでしょうか。

それでも、あなたは私を諦めることはありません。

目の見えない人が見えるようになるまで、あなたがその目に触れ続けてくださったように、私が見えるようになるまで、私の目にも触れ続けてくださいます。

そして、私が聞こえるようになるまで、私の耳に触れ続けてくださり、心が和らぎ、悟るようになるまで、私の心にも触れ続けてくださいます。

あなたの素晴らしい恵みに感謝します。

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マルコの福音書のデボーション

頑なな心

イエスは怒って彼らを見回し、その心の頑なさを嘆き悲しみ。。。(マルコの福音書3:5)

その言葉は、私の心を深く打ちました。私はこう考えました。

イエス様は、私の心の頑なさを、どれほど頻繁に嘆き悲しんでおられるのでしょうか。

私が頑固で、自分の過ちを認めようとしないとき、イエス様はどれほど頻繁に嘆き悲しんでおられるのでしょうか。

イエス様が、私の周りの人々をどれほど愛しておられるかを忘れてしまうとき、イエス様はどれほど頻繁に嘆き悲しんでおられるのでしょうか。

神様がその人々に触れようとしておられることに気づかないほど、私の心が固くなっているとき、イエス様はどれほど頻繁に嘆き悲しんでおられるのでしょうか。

What can be done for an old heart like mine?
私のような古い心には、何ができるでしょうか。

Soften it up with oil and wine
主よ、油とぶどう酒で、私の心を柔らかくしてください。

The oil is You, Your Spirit of love
その油は、あなたご自身。あなたの愛の御霊です。

Please wash me anew in the wine of Your blood”
どうか、あなたの血であるぶどう酒によって、私を洗い、新しくしてください。

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マタイの福音書のデボーション

頑なな心

イエスは彼らに言われた。「モーセは、あなたがたの心が頑ななので、あなたがたに妻を離縁することを許したのです。しかし、はじめの時からそうだったのではありません。(マタイの福音書19:8)

しかし、イエスは言われた。「子どもたちを来させなさい。わたしのところに来るのを邪魔してはいけません。天の御国はこのような者たちのものなのです。」(14節)

天のお父様、新年を迎えるにあたり、私が柔らかい心、子どものような心を持つことができますように祈ります。

すなわち、あなたに信頼する心のために祈ります。また、あなたの道が最善であると信じる心のために祈ります。そして、自分の罪にしがみつかず、言い訳をしない心のために祈ります。

あなたが私のために用意された次善のものに甘んじたくはありません。すなわち、あなたの「許し」にだけ満足したくはありません。

むしろ、あなたが私のために計画された最善を望みます。あなたが初めから私のために備えてくださったものを望みます。

ですから、私の心の頑なな部分を示してください。私の心の耕地を開拓してください。今年、あなたの鋤の刃が私の心の地面に深く食い込むように。

イエス様のみ名によって祈ります。アーメン。

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マタイの福音書 マタイ28章

信じようとしない人?

私は祭司長たちとパリサイ人たちの頑なな心に驚きを禁じ得ません。

彼らはイエス様のお墓を警備するために対策を練りましたが、そのお墓は空っぽになりました。結局、彼らはその事実を認めざるを得ませんでした。

彼らは番兵たちの話を通して、地震と天使の存在を知りました。

さらに、彼らはおそらく、ほかの復活した人々についても聞いたことでしょう。(マタイ27:52-53)

それでもなお、その証拠を目の当たりにしながらも、彼らはイエス様がキリストであることを信じませんでした。

そのため、弟子たちがイエス様の遺体を盗んだという噂を広めるために、彼らは番兵たちにお金を渡しました。律法を厳格に守ることで自分を誇る人々であったにもかかわらず、彼らはこのような嘘を広めたのです。

この行為を通じて、彼らはイエス様の言葉の真実性を証明することになりました。ラザロのたとえ話で、イエス様はこう言われました。

モーセと預言者たちに耳を傾けないのなら、たとえ、誰が死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。(ルカ16:31)

イエス様とほかのユダヤ人たちがよみがえられたにもかかわらず、パリサイ人たちや祭司長たちはどうしても信じようとしませんでした。

今でも同じような人々がいます。あなたが神様の存在を示し、聖書やイエス様について彼らの疑問に答えたとしても、彼らは信じないかもしれません。

さらに、彼らは自分では説明できない事実を目撃することがあるでしょう。例えば、彼らがクリスチャンの知り合いのがんが癒される様子を目にするかもしれません。それでもなお、彼らはどうしても信じようとしません。

最終的に、イエス様を信じない人々がいます。彼らは信じることができないわけではありません。ただ、信じたくないのです。そして、神様が彼らに恵みを与えてくださらなければ、彼らは決して信じないでしょう。

では、私が言いたいことは何でしょうか。

祈り続けましょう。神様だけが彼らの目を開けることができるのです。パウロはこう語りました。

それでもなお私たちの福音に覆いがかかっているとしたら、それは、滅び行く人々に対して覆いがかかっていると言うことです。

彼らの場合は、この世の神が(つまり、サタン)、信じない者たちの思いを暗くし、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を、輝かせないようにしているのです。(第二コリント4:3-4)

それでは、私たちは何を祈るべきでしょうか。それは、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせるために、神様が彼らの心を照らしてくださるように祈るべきです。(第二コリント4:6)

実際、パウロ自身もそのようにして救われました。彼は霊的に盲目で、真理を拒んでいましたが、神様は文字通りにも、また比喩的にも、光をパウロに照らしてくださいました。その光によって、パウロの人生は完全に変えられました。

愛する人々の頑なな心を見て、失望を感じていませんか。あなたがどれほど何かを言ったり、行ったりしても、彼らの心を変えることはできません。けれども、神様にはその力があります。

だから、どうか諦めないでください。祈り続けましょう。熱心に祈りましょう。そして、神様の恵みによって、彼らが救われる可能性を信じましょう。