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イザヤ書

盲人、無知な人

イザヤ書29章

「どうして神様ははっきりとご自身を現されないのでしょうか。そうしてくだされば、私は神様が存在するかどうかを推測する必要がなくなるのです。」

時々、信者も信じない人も、そのようなことを言います。

けれども、その質問をするのであれば、まず、私からあなたに質問があります。

もし神様がそのようにはっきりと現れたら、あなたは本当に神様についていくでしょうか。それとも、単に神様についていかないための言い訳をしているだけではないでしょうか。

実際、聖書の時代には神様はご自身をもっとはっきりと現されました。それでも、多くの人々は神様についていこうとはしませんでした。

例えば、神様は驚くべきしるしと奇跡を通して、イスラエル人をエジプトから救い出してくださいました。何度も砂漠で、神様は彼らに食べ物と水を備えてくださいました。また、雲の柱と火の柱はイスラエル人の宿営にあり、それらは神様の臨在のしるしでした。

それにもかかわらず、イスラエル人は何度も神様を信頼せず、神様に背きました。

そして、新約聖書の時代、神様は人間としてこの世に来られ、イスラエル人にご自身を現されました。イスラエル人はずっと救い主の到来を祈り求めており、ついにイエス様が来られました。

イエス様は奇跡を行い、知恵によって人々を教えられました。他の人々はイエス様と議論しようとしましたが、最終的に彼らは黙らざるを得ませんでした。

それなら当然、イスラエル人全員がイエス様についていったと思うかもしれませんね。

ところが、そうではありません。彼らはイエス様を十字架に掛けました。

このイザヤの箇所では、私たちはそのような態度を見ることができます。アリエル(つまりエルサレム)はまさにそのような態度を持っていたため、イザヤは彼らを責めました。

「アリエル」という言葉の意味は、「神様のライオン」ですが、イザヤはその名前を皮肉として用いています。

彼らは「私たちは神様のライオンだ」と言っていながら、自分たちの道を歩んでいました。

イザヤは次のように言いました。

そこで主は仰せられた。

「この民は口先で近づき、くちびるでわたしをあがめるが、その心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを恐れるのは、人間の命令を教え込まれてのことにすぎない。(イザヤ書29:13)

だから、神様は裁きについて警告されました。まず、神様はエルサレムを裁くと告げましたが、彼らのプライドが打ち砕かれた後には、エルサレムの敵も裁くと警告されました。

しかし、イスラエル人はその警告を聞いても、危険を認識することができませんでした。なぜでしょうか。

イザヤは次のように言いました。

主が、あなたがたの上に深い眠りの霊を注ぎ、あなたがたの目、預言者たちを閉じ、あなたがたの頭、先見者たちをおおわれたから。(10)

あなたはこう言うかもしれません。「ちょっと待って、それは公平ではない。神様が彼らの目を閉じたのなら、彼らが見ないことで罰するのは不公平ではないですか。」

けれども、実際のところ、イスラエル人は何も見たくありませんでした。知りたいとも思いませんでした。

イザヤは次のように言いました。

のろくなれ。驚け。目を堅くつぶって見えなくなれ。(9)

つまり、「あなたは見たくないのですか。真実に目を閉じたいのですか。いいでしょう。では、あなたはその真理を見ることはできないでしょう。」

イザヤは別の比喩を使いました。神様の言葉は、イスラエル人にとって封じられた書物のようになる、と。

そのため、イスラエル人はこう言います。「神様の言葉は封じられた書物だから、読むことができない。」

または、こう言います。「この預言は難しすぎる。理解できない。」

さらに、「私は読むことができないから、しょうがない。」とも言います。

しかし、それは単なる言い訳でした。彼らは心の中で、本当に理解したくなかったのです。もし本当に理解したかったのなら、間違いなくイザヤや他の預言者に尋ねていたでしょう。

けれども、彼らは、ただ「ごめんなさい。分かりません。」と言って立ち去っただけでした。

イエス様の時代、多くのイスラエル人もまた、このような人々でした。

イエス様は多くのたとえ話を使いました。彼らはその話を気に入りましたが、その意味を理解することはありませんでした。それでも、説明を求めることもせず、彼らはただ帰っていきました。

その一方、イエス様の弟子たちはその意味を知りたかったので、イエス様に質問をしました。すると、イエス様がそのたとえ話を説明され、彼らは理解することができました。

現代でも、多くの人々はこう言います。「聖書は難しすぎて、分かりません。」

しかし、本当に理解したいという心があれば、理解することは可能です。

それでも、彼らは助けを求めることなく、すぐに立ち去ってしまいます。

それは、自分の目を閉じることを意味します。つまり、真理を知りたくないという態度です。

そのような態度を取れば、神様はこう言われます。「それはあなたの選択です。けれども、裁きの日は確実に来ています。あなたは必ず裁かれるでしょう。」

あなたはどうでしょうか。神様の心に対して、自分の目を閉じますか。神様の言葉を知りたくないと考えていますか。

もし、あなたが自分の目を閉じて真理を知りたくないなら、神様はあなたに無理やりご自身を認めさせることはされません。

しかし、もし見たいと望み、心から神様を求めるなら、神様はご自身をあなたに現されるのです。

神様は、イスラエル人にこのような日が来ることを語られました。

その日、耳の聞こえない者が書物のことばを聞き、目の見えない者の目が暗黒とやみから物を見る。(18)

また、

心の迷っている者は悟りを得、つぶやく者もおしえを学ぶ。(24)

私たちが盲人にならないように、無知な人にならないようにしましょう。むしろ、心から神様を求めましょう。そうすることで、私たちは本当に生きはじめるのです。

One reply on “盲人、無知な人”

[…] パウロはイザヤ書29章を引用しました。私はその個所をここでもっと説明するけど、その旨は、ユダヤ人たちが先に自分の目を閉じたことです。だから、神様は彼らにこう言いました。「あなたは見たくないのですか。では、あなたは霊的な盲人になれ。」 […]

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