ルカの福音書にある三つの例え話を、私はこれまで何度も読んできましたが、今日、初めて一つの考えが心に浮かびました。
放蕩息子が帰ってきたとき、父の喜びに対する長男の反応は、私たちはよく知っています。
しかし、近所の人たちはどう反応したでしょうか。もしその息子をよく知っていて、好意を持っていたのなら、きっと彼らも本当に喜んだでしょう。
では、羊飼いや女性の近所の人たちはどうでしょうか。彼らにとっては、そこまで大きな出来事ではなかったでしょう。
もちろん、「それは良かったね」とは言ったでしょう。
けれども、その後すぐに忘れてしまったに違いありません。
なぜでしょうか。それは、羊飼いや女性と同じようには、その失われたものに価値を置いていなかったからです。
長男もまた、父と同じようには弟に価値を置いてはいませんでした。
同じように、パリサイ人たちはイエス様のようには「罪人」や収税人に価値を置いていませんでした。彼らの目には、その人たちは救いようのない者に見えていたのです。
一方で、イエス様は彼らに最高の価値を置き、大切にされました。だからこそ、イエス様は彼らを積極的に探し求められました。そして、一人が悔い改めるとき、天にいる者たちは皆、喜ぶのです。
では、私たちはイエス様と同じように人々を大切にしているでしょうか。
この世では、人々は行動や言葉、態度によって、ますます周りの人を軽んじてしまいます。
私自身も、そうしてしまうときがあります。
しかし、イエス様は十字架で命を捧げるほどに、彼らを愛しておられます。
それなのに、私たちは彼らを軽んじてよいのでしょうか。
