淫らな行いを避けなさい。人が犯す罪はすべて、からだの外のものです。しかし、淫らなことを行う者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。(コリント人への手紙第一6:18)
この世は、 性について本当に混乱しています。彼らはパウロの言葉を読んでも、その意味するところを全く理解できません。
彼らにとっては、「淫らな行い」というものはほとんど存在しません。もしあるカップルが関係を持つことに同意しているなら、それで問題はないと考えるからです。だれも傷つけていないと思うからです。
けれどもパウロは、私たちに淫らな行いを避けなさいと促します。そして6章では、「淫らな行い」とは何かを具体的に定義しています。(コリント人への手紙第一6:9、13~16)
さらに7章では、性的な関係は結婚の中だけで楽しむべきものであることをはっきりと教えます。パウロは、独身の人たちに「欲情に燃えるなら関係を持っても良い」と言ったのではなく、結婚するよう勧めました。(コリント人への手紙第一7:8~9)
またパウロは、結婚している人たちに、性的な誘惑を避けるために関係を持つことを促します。(コリント人への手紙第一7:2~5)
しかし、どうして性的な罪はそんなに悪いのでしょうか。
性的な罪を犯すと、神様や関係を持つ相手だけでなく、自分自身にも罪を犯すことになります。神様がご自身の宮のために造られた尊いからだを軽んじてしまうからです。(コリント人への手紙第一6:19)
さらに私たちは、キリストをも自分の性的な罪に関わらせてしまいます。なぜなら、キリストは私たちのうちに住んでおられるからです。(コリント人への手紙第一6:15~16)
キリストを自分の性的な罪に巻き込んでしまうことを思うと、ぞっとしませんか。
だからこそ、パウロはこう語ります。
あなたがたはもはや自分自身のものではありません。
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。(コリント人への手紙第一6:19~20)
あなたはどうでしょうか。
あなたのからだをもって、神様の栄光を現しているでしょうか。
自分のからだを重んじているでしょうか。
