私たちが誇りとすること、私たちの良心が証ししていることは、私たちがこの世において、特にあなたがたに対して、神から来る純真さと誠実さをもって、肉的な知恵によらず、神の恵みによって行動してきたということです。(コリント人への手紙第二1:12)
「肉的な知恵によらず、神の恵みによって行動してきた」ということばを読んだとき、少し不思議に思いました。パウロなら、「肉的な知恵によらず、神の知恵によって行動してきた」と言うはずだ、と感じたからです。
では、なぜパウロは「肉的な知恵」を「恵み」と対比したのでしょうか。
もしかすると、パウロはこう語りたかったのかもしれません。
「私は、私自身やその知恵によってあなたがたを感動させたいのではありません。むしろ、私のうちに働いている神の恵みによって、あなたがたが心を動かされてほしいのです。
特に、神様が、過ちの多い私をどれほど恵み深く扱ってくださっているのか、そのことによってあなたがたの心が動かされてほしいのです。
また、キリストに対する私の熱心さを見るとき、それが神の受け入れを必死に求める心から出ているのではなく、神がすでに私を受け入れてくださっているという安心から流れていることを知ってほしいのです。
そして、私と別れるとき、私から流れているその恵みによって、あなたがたが潤され、安らぎを得てほしいのです。」
周囲の人々が私を見るとき、彼らはそのような人を見ているでしょうか。恵みによって特徴づけられている人を見ているでしょうか。
主よ、私をそのような者としてください。
