キリストが死んでよみがえられたのは……ためです。(ローマ人への手紙14:9)
この箇所を、どのように完成させるでしょうか。
もしかすると、「私たちの罪が赦されるためです」と答えるかもしれません。
あるいは、「私たちが天国に行くことができるためです」と思うかもしれません。
もちろん、それらの答えは間違っていません。しかし、パウロはそう語っていませんでした。
では、パウロは何を語ったのでしょうか。
キリストが死んでよみがえられたのは、死んだ人にも生きている人にも、主となるためです。(ローマ人への手紙14:9)
もしその意味について疑問があるなら、パウロは続けて明確に説明しています。
私たちはみな、神のさばきの座に立つことになるのです。
次のように書かれています。
「わたしは生きている──主のことば──。
すべての膝は、わたしに向かってかがめられ、
すべての舌は、神に告白する。」ですから、私たちはそれぞれ自分について、神に申し開きをすることになります。(ローマ人への手紙14:10~12)
では、私たちはどのように生きるべきでしょうか。どのようなものの見方を持つべきでしょうか。パウロにとって、その答えは明らかでした。
私たちの中でだれ一人、自分のために生きている人はなく、自分のために死ぬ人もいないからです。
私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
キリストが死んでよみがえられたのは、死んだ人にも生きている人にも、主となるためです。(ローマ人への手紙14:7~9)
私たちも、このものの見方を持っているでしょうか。
私たちは、良い主のものなのです。
だからこそ、感謝をもって、私たちのすべての言動において主を敬って生きましょう。
兄弟姉妹に対する態度においても、主を敬いましょう。
そして、私たちの生き方のすべてにおいて、毎日毎日、一瞬一瞬、主を敬いましょう。
