最近、私の教会では詩篇103篇に思いを巡らしています。
そのためか、今日の箇所を読んだとき、私はダビデの言葉を思い起こしました。
例えば、ダビデはこう歌いました。
【主】はあわれみ深く情け深い。
怒るのに遅く恵み豊かである。(詩篇103:8)
また、
主はあなたのすべての咎を赦し……(詩篇103:3)
そして、
東が西から遠く離れているように、
主は私たちの背きの罪を私たちから遠く離される。(詩篇103:12)
では、パウロの言葉を見てみましょう。
しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。(エペソ人への手紙2:4~5)
旧約聖書で「恵み」と訳されることばには、忠実な愛というニュアンスがあります。
私の教会の説教者の一人は、そのことばをこのように訳しました。
「神様の決して変わらない、決して見捨てない契約の愛。」
私はその言い方がとても好きです。
私たちは自分の背きと罪の中に死んでいた者でした。しかし神様は、十字架で流されたイエス様の血によって、私たちとの新しい契約を実現してくださいました。
今、イエス様を信じる信仰によって、私たちは神様の決して変わらない、決して見捨てない契約の愛によって救われています。
そして、私たちが神様の御前に立つとき、主は私たちに、決して変わらない、決して見捨てない契約の愛とあわれみの冠をかぶらせてくださいます。(詩篇103:4)
パウロの言葉を借りれば、神はまた、キリスト・イエスにあって、私たちをともによみがえらせ、ともに天上に座らせてくださいました。これは、キリスト・イエスにあって私たちに与えられた慈愛によって、神様の決して変わらない、決して見捨てない契約の愛が、どれほど限りなく豊かなものであるかを、来たるべき世々に示すためでした。(エペソ人への手紙2:6~7)
なんとすばらしい恵みでしょう。
