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マタイの福音書のデボーション

神様は本当に良いお方なのか

マタイの福音書7章

このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っているのです。それならなおのこと、天におられるあなたがたの父は、ご自分に求める者たちに、良いものを与えてくださらないことがあるでしょうか。(マタイの福音書6:11)

神様は良いお方です。

その真理を心から信じています。

なぜなら、これまでの人生で、神様の良さを見てきたからです。

とはいえ、神様の良さをいつも理解できるわけではありません。

それは、私の無知のせいでしょう。

私はパンや魚を願いながら、なぜ神様がくださらないのか理解できないときがあります。しかし、実際には石や蛇を願っていたのだということを、私は知らないのです。

その説明を理解し、受け入れることができます。けれども、理解できないこともあります。

なぜ神様はこの世に悪を許されるのでしょうか。もちろん、いつか神様はすべての人を裁かれます。そのことを知っているので、私は少し安心できます。しかし、罰されていない悪を見るのは、まだ受け入れがたいのです。

また、どうして神様はある人を厳しく懲らしめられる一方で、ある人には忍耐とあわれみと恵みを豊かに与えてくださるのでしょうか。

また、どうして神様は、ある人が罪を犯し、反抗し続けても、その人を追い求め続けられる一方で、別の人には裁きを下されるのでしょうか。

そういうわけで、神様の良さを疑う人の考え方を理解することができます。彼らが、神様のなさることやそのご判断を不公平でちぐはぐだと感じる理由も分かります。

かといって、私たちが知らないことは多いのです。私たちの無知を軽く見てはいけません。

結局のところ、神様が良いお方であると信じるかどうかは、信仰の問題なのです。

私たちは、自分の疑問を脇に置くことができるでしょうか。

私たちは素直に神様に信頼を寄せることができるでしょうか。

私はヨブのことを考えます。彼は苦しみにもかかわらず、最終的に神様に信頼することを選びました。

ダニエルのことも考えます。彼は神様に忠実に仕えていたのに、神様に背いたイスラエルの民とともにバビロンに連れて行かれました。それでも、彼は神様が良いお方であることを信じ続けました。

祭司ゼカリヤのことも考えます。彼は一時的な疑いのために厳しく懲らしめられましたが、苦々しい思いを抱くことなく、神様が約束してくださった息子の誕生を待ち望みました。

彼らこそが心の貧しい者でした。

彼らこそが悲しむ者でした。

彼らこそが神様の御前に柔和な者でした。

彼らは皆、神様が良いお方であることを学びました。

私もその真理を学びました。

だからこそ、私も疑問を抱えながら、神様を信頼することを選びます。

あなたはどうでしょうか。

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