やっと、ヨブの友達のスピーチが終わりました。要約すると、ビルダデはこう言いました。
「神様は偉大な方です。神様は聖なる方です。でも、あなたはどうでしょうか。
あなたはただの蛆(うじ)です。あなたはただの虫けらです。あなたは汚れていて、不潔な人です。」
ヨブは皮肉たっぷりに答えました。
「すごい!あなたの知恵は素晴らしい!あなたは偉いですね。」
そして、ヨブは言いました。
「もちろん、神様は偉大な方です。もちろん、神様の力はどんなものか想像できません。神様と比べると、私は取るに足りない存在です。
でも、この苦しみは私にふさわしいものではありません。あなたが何を言っても、私を説得することはできません。」
ビルダデを見ると、私は二つのことが分かります。
一つ目は、彼の神様についての考え方が不完全で歪められていることです。もちろん、神様は偉大な方ですし、神様と比べると私たちは取るに足りない存在です。
また、私たちの視点から見ると、神様の聖なる性格と比べると、私たちは虫けらか、蛆のように見えるかもしれません。
しかし、神様は私たちをそのようには全然思っておられません。
どうして私はそう思うのでしょうか。それは、神様が人間としてこの世に来られた時、「虫けら」とか「蛆」と呼ばれた人々と時間を過ごし、癒やしてくださったからです。体だけを癒やしたのではなく、その魂も癒やしてくださったのです。
イエス様は、投石されそうだった売春婦に手を差し伸べて、あわれみを与えてくださいました。
また、皆に憎まれていた悪辣な取税人に友情の手を差し伸べられました。
イエス様は彼らや他の悪名高い罪人たちと共に食事をし、時間を過ごされました。そして、その結果、彼らの人生は全く変わりました。
けれども、それだけではありません。死に値しない方であったにも関わらず、イエス様は十字架で死なれました。
イエス様は清い方でした。聖なる方でした。それでも、私たちの罪のために死なれたのです。なぜでしょうか。私たちを蛆だと考えていたからでしょうか。私たちを虫けらだと考えていたからでしょうか。違います。
イエス様は、私たちをすばらしい価値のある真珠だと考えられたからです。だから、高い値段でも、イエス様は喜んで払ってくださいました。
私が高校生の時、クリスチャンのコメディアンの話を聞いたことがあります。その時、彼は一番好きな歌について話しました。彼にとって、その歌はキリスト教のメッセージを要約したものでした。
彼は「その歌は何だと思いますか。」と尋ねました。
「たぶん、それは、本当に昔の素晴らしい賛美歌でしょうね。例えば……」
(コメディアンは深呼吸をして、荘重な声で「神は我がやぐら」という賛美歌のメロディで歌い始めました。)
I come before Thy throne of grace,
And throw myself upon my face.
私はあなたの恵みの御座の前に進み出て、ひれ伏します。I know that I am but a worm.
私は自分がただの虫けらであることを深く理解しております。So step on me God and watch me squirm.
だから、神様、私を押しつぶしてください。そして、私がもがく様子をご覧になってください。
(はい、そうですね。アメリカのユーモアは少し独特ですね。)
けれども、そのコメディアンはその後こう言いました。
「いや、違います。むしろ、この一つのシンプルな歌がキリスト教のメッセージをまとめていると思います。」
(「主われを愛す」のメロディ)
Jesus loves me this I know.
イエス様が私を愛しておられることを知っています。For the Bible tells me so.
聖書にそう書かれているからです。Little ones to him belong.
小さな子供たちはイエス様に属しているのです。They are weak but he is strong.
彼らは弱いですが、イエス様は力強いお方です。Yes, Jesus loves me.
そう、イエス様は私を愛しておられる。Yes, Jesus loves me.
そう、イエス様は私を愛しておられる。Yes, Jesus loves me.
そう、イエス様は私を愛しておられる。The Bible tells me so.
彼らは弱いですが、イエス様は力強いお方です。
もちろん、それは福音のメッセージのすべてではありません。けれども、それは福音のスタート地点です。もし神様が私たちを愛しておられなかったら、福音は存在しません。
私たちは、その愛をこの世界の傷ついている人々と分かち合わなければなりません。ビルダデはそれをしませんでした。(これが、ビルダデについての二つ目のことです。)
おそらく、ビルダデが「神様はあなたを愛している」と言ったとしても、ヨブを慰めることはできなかったと思います。しかし、もしビルダデが自分の行動を通して神様の愛と哀れみを示していたなら、ヨブを慰めることができたかもしれません。
つまり、ビルダデの行動と言葉を通して、ヨブはこう感じたかもしれません。「神様はまだここにおられる。神様はまだ私を愛しておられる。このビルダデを通して、神様の愛と哀れみが見えるから。」
あなたはどうでしょうか。あなたの神様についての考え方は不完全で歪められているでしょうか。神様にとって、あなたはただの虫けらだと思うでしょうか。
神様は決してそのようには思っておられません。神様はあなたを愛しておられます。そして、神様はその愛をこの世界に分かち合うことを望んでおられます。あなたの言葉だけではなく、あなたの行動を通しても、その愛を分かち合ってほしいのです。
あなたは神様の愛を知っていますか。ほかの人々はあなたを通して神様の愛を見ることができるでしょうか。
