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詩篇105- 歴代誌第一2

ご自身の約束を覚えておられる神

詩篇105篇のテーマは、神様がご自身の約束を覚えておられる方であるということです。

特に、詩人はアブラハム、イサク、ヤコブに対する神様の約束について語ります。

神様は彼らにカナンの地を与え、その子孫から大きな国が起こると約束されました。そして、彼らとその子孫がどのような試練に直面しても、神様はその上に御手を置いて守ってくださいました。

だから、アブラハムとイサクとヤコブが寄留の他国人としてカナンにいたとき、神様は彼らを守ってくださいました。(詩篇105:12-15)

ヨセフが奴隷としてエジプトに住んでいたとき、神様は彼に対する約束を守って、彼を支配者にされました。(17-22)

そして、エジプト人がイスラエル人を迫害したとき、神様はパロとその民を裁かれました。(23-38)

イスラエル人が水と食べ物を必要としたとき、神様は彼らのニーズに備えられました。(40-41)

そして、最終的に神様がアブラハムとイサクとヤコブに対する約束を守られたので、ダビデはこの歌を書いて神様をほめたたえました。

だから、覚えておきましょう。神様はいつもご自身の約束を守られます。何が起こっても、どんな試練に直面しても、神様が忠実な方なので、私たちは神様に信頼できます。

だから、パウロはこう書きました。

今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。。。

そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。

私たちは、この望みによって救われているのです。

目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。

もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。(ローマ8:18,23-25)

ある日、神様がイスラエル人に安息を与えてくださったように、私たちにも安息を与えてくださいます。その日まで、ダビデは私たちに言います。

1.主が何をしてくださったか思い出して、感謝せよ。(1、5)

時々、私たちは自分の問題に巻き込まれて、主からの祝福を感謝することを忘れます。

そのとき、私たちの問題に圧倒されます。しかし、神様からの祝福を思い出し、感謝するとき、希望と喜びは戻ります。

2.主に歌え。私たちの問題に圧倒されるとき、主の聖なる名を誇りとせよ。喜ばせよ。(2-3)

そうすれば、私たちはどれくらい神様が大きいか、またどれくらい私たちの問題が小さいか分かるようになります。そして、私たちの問題に焦点を当てずに、私たちの助け主に照準を合わせます。

3.主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。(4)

あなたの人生が辛すぎるとき、また希望がないとき、主を慕い求めてください。その力を尋ね求めてください。そうすれば、神様はあなたを助けてくださいます。

パウロはこう書きました。

御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。

私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。

人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ書8:26-28)

神様は私たちへの約束を覚えてくださり、守ってくださいます。だから、主を思い出し、慕い求め、賛美しましょう。

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サムエル記第二 歴代誌第一2

苦々しい心は私たちを食い尽くす時

喜びの日であるはずだったのに、その最後はそうではありませんでした。

ダビデは自分の過ちに気づき、神様がオベデ・エドムという人をどのように祝福されたかを見て、その箱をエルサレムに運ぶことを決意しました。

ダビデは祭司たち、レビ人、ミュージシャン、歌手、イスラエルの長老、そして軍隊を集め、一緒にその箱を運びました。

その間、ダビデは飛び跳ねながら喜び踊っていました。

けれども、ある人がダビデを見ていました。それは妻のミカルでした。そして、それを見たとき、ミカルは心の中でダビデをさげすんだのです。

ダビデが家に帰ったとき、ミカルはこう言いました。

イスラエルの王は、きょう、ほんとうに威厳がございましたね。

ごろつきが恥ずかしげもなく裸になるように、きょう、あなたは自分の家来のはしための目の前に裸におなりになって。(第二サムエル記6:20)

この箇所を読むと、私はこう思います。「ミカルは本当にダビデの行動に反対していたのでしょうか。それとも、ミカルの心の中にはもっと深い問題があったのでしょうか。」

少し考えてみましょう。その前に、ミカルの父親と兄弟たちは戦争で命を落としていました。また、ミカルは愛していた夫から引き離されていました。(第二サムエル記3:13-16)

さらに、今のミカルはダビデの愛を巡り、6人の妻と競わなければならない状況にありました。

彼女が苦々しい思いを抱く権利があったとしても不思議ではありません。おそらく、ミカルの言葉はその苦々しい心から来たのだと思います。

私がダビデの行動を正当化しているわけではありません。ダビデは6人の妻と結婚し、神様の戒めを守りませんでした。(申命記17:17)

その時代の文化においてはダビデの行動は受け入れられていたかもしれませんが、神様は「多くの妻を持つことは禁じられています」と言われました。

さらに、私が以前言ったように、ダビデはミカルに「私に戻りたいですか」と尋ねるべきでした。

けれども、ダビデはミカルにその選択肢を与えませんでした。

それにしても、ミカルは自分の苦々しい心が自分自身を食い尽くすことを許したため、大変な状態は本当にみじめな状態へと変わりました。

第二サムエル記6:23の意味は少し微妙です。どうしてミカルは子供ができなかったのでしょうか。

神様が彼女の胎を閉じられたのでしょうか。

それとも、ダビデがミカルを避けたのでしょうか。

または、ミカルがダビデを避けたのでしょうか。それは明確には示されていません。

はっきりしていることは、その苦々しい心がミカルの死ぬまで続き、彼女自身をみじめにさせたということです。

あなたの心にはどうでしょうか。苦い根があるでしょうか。あなたは苦々しい思いを抱く権利があると思っているかもしれません。それは事実かもしれません。

しかし、重要なのは、あなたにその権利があるかどうかということではありません。むしろ、あなたがその苦い心があなたを滅ぼすことを許してしまうかどうかということです。

もしあなたが自分の苦々しい思いが自分を食い尽くすことを許してしまったら、次第にあなたの喜びは失われてしまいます。

私たち全員が辛い状況を経験します。私たちには皆、苦々しい思いを抱く理由があるかもしれません。

それでも、心に留めておいてください。私たちは常に状況をコントロールすることはできませんが、自分の反応をコントロールすることはできるのです。

あなたは苦々しい思いを抱き続けますか。それとも、自分の痛みを神様に委ね、神様の癒しを受け入れますか。

神様が私たちの問題を取り去られないこともあるかもしれません。しかし、苦難の中でも、神様はあなたに平和と喜びを与えてくださいます。

そして、神様はあなたの人生を意味あるものへと変えてくださるのです。

あなたはどちらを選びますか。

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サムエル記第二 歴代誌第一2

敵に追われている。神様を求めている。

ペリシテ人はすぐに、ダビデがイスラエルの王になったことを知りました。

ペリシテ人の王アキシュはどう感じたのでしょうか。驚いたでしょうか。裏切られたと思ったでしょうか。

とにかく、ペリシテ人はすぐに反応しました。彼らは皆、ダビデを狙って攻め上がってきたのです。もちろん、彼らはダビデを殺したかったのだと思います。

ペリシテ人がダビデを狙い、倒そうとしたように、サタンも私たちを狙って倒そうとします。

私たちがクリスチャンになる前は、サタンは私たちをあまり気にしませんでした。しかし、私たちが神様の国に入ると、サタンはすぐに私たちに注意を払うようになります。

それは、私たちがサタンの国から逃れ、その国にとって脅威となるからです。つまり、私たちは他の人々をサタンの国から救い出し、神様の国へと導く存在となるからです。

だからこそ、サタンは私たちにすぐ攻撃を仕掛けてくるのです。

それは、家族や友達、または同僚からの迫害であるかもしれません。あるいは、もっと微妙な方法を使ってくるかもしれません。例えば、サタンはいろいろな誘惑を通して私たちを倒そうとします。

私たちはどうすれば良いでしょうか。ダビデのように、私たちは神様を求めるべきです。

ダビデが神様を求めた時、神様は敵の攻撃からどう守るかを教えてくださいました。そしてダビデは勝利を収めました。

私たちも同じです。サタンがあなたを狙っているでしょうか。周りの人々から攻撃を受けていますか。それとも誘惑に直面していますか。

神様を求めてください。そして、神様の助けを求めてください。

そうすれば、神様はどうすれば良いかを教えてくださり、勝利を収めるための力を与えてくださいます。

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サムエル記第二 歴代誌第一2

神様の栄光と国と民のため

長い間逃亡者として生きていた後、ダビデはついに全イスラエルの王となりました。その印の一つとして、ダビデのために宮殿が建てられました。そして、その王座に座ったとき、ダビデは悟りました。

主が彼をイスラエルの王として堅く立て、ご自分の民イスラエルのために、彼の王国を盛んにされた。(第二サムエル記5:12)

ダビデが理解したのは、神様がダビデ自身の目的のために彼を王にされたのではないということです。むしろ、神様の目的のためにダビデを王にされました。

そして、その民がダビデに仕えるためではなく、むしろダビデがその民に仕えるために、神様は彼を王にされたのです。

私たちはこのことを理解しているでしょうか。つまり、神様はあなたをご自身の子供として選ばれ、ご自身の国においてあなたにポジションを与えられました。

しかし、それはあなたの栄光のためではなく、神様の栄光のためなのです。

あなたが自分の国を築くためではなく、むしろ神様の国を築くためなのです。

また、あなたの立場は、他の人々があなたに仕えるためではなく、むしろあなたが他の人々に仕えるために与えられたのです。

この真実を理解していないと、神様が私たちのために用意してくださっている目的を見失ってしまいます。

多くのクリスチャンが自己中心的で、自分のことや自分の立場、自分の栄光ばかりを考えます。

私もそのように考えてしまうことがあります。

しかし、私たちの人生は自己中心的であってはなりません。むしろ、神様中心であり、神様の目的を中心としたものであるべきです。

あなたは誰に仕えていますか。誰の栄光を求めていますか。誰のために生きていますか。

私はある曲の歌詞が大好きです。

あなたの栄光のために、
御国のために、
あなたの御名のために、
私はここにおります。