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詩篇105-

私たちの話を語る

私はずっとクリスチャンだったけど、最近まで、詩篇107篇の美しさに気づいていませんでした。特に1-2節は私の心を打ちました。

「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」

主に贖われた者はこのように言え。(詩篇107:1-2)

ちょっとパラフレースだけど、ある英語の聖書は「主に贖われた者はこのように言え」を「主に贖われた者は自分の贖いの話を伝え」と訳しています。

この詩篇はそのような話です。人々は自分の贖い話をシェアして、神様を賛美します。

この詩篇は、賛美の言葉で始まります。イスラエルの詩篇では、この言葉がよく見られます。

主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。(1)

この詩篇は、どうやって神様が私たちを贖って、自分の慈しみを表されたかを宣言します。

イスラエル人は、砂漠でさ迷って、飢え、渇き、自分の家がありませんでした。けれども、彼らが神様に叫んだら、神様は彼らの声を聞き、安全な所に導き、食べ物と水を備えてくださいました。

そのように、私たちは罪にさ迷って、霊的に飢えたり渇いたりし、平安を見つけませんでした。しかし、私たちが神様に叫んだら、神様は私たちを喜びと平和深い所に導いてくださいました。だから、私たちは満足します。

そして、詩人は囚人について歌います。彼らは神様に逆らったので、暗闇に住んでいました。けれども、彼らが神様に叫んだので、神様は彼らの鎖を打ち砕き、救い出してくださいました。マナセ王はそれを経験しました。

そのように、私たちも、神様を知っていましたが、神様に背を向けました。私たちは自由を求めて、この世の物を追い求めました。

しかし、私たちが追い求めたもの、つまり、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、かえって私たちを奴隷にしました。

それでも、私たちが神様にもう一度向かった時、神様はその鎖を砕いて、私たちを本当の自由に導いてくださいました。

ある人々は、自分の罪によって、病を経験しました。けれども、彼らが神様に叫んだら、神様は彼らを赦し、癒してくださいました。ダビデも、その経験があったかもしれません。(詩篇30,32,38-39)。

そのように、神様は私たちも注目を得るために倒されました。しかし、私たちが悔い改めたら、神様はすぐに赦してくださいました。

時々、私たちは人生の嵐に巻き込まれます。時々、それは私たちのせいですが、時々他の人のせいで苦しみます。それでも、私たちが神様に叫んだら、神様は私たちを救い出してくださいました。

他の人々は砂漠を渡った時に神様の備えを見たけれど、神様が約束の土地に着くと、彼らはすぐにそのことを忘れたので、自分の罪によってすべてを失ってしまいました。イスラエルの歴史はその通りでした。

けれども、彼らが神様に向かったら、神様は彼らをその土地に戻らせ、もう一度彼らを祝福してくださいました。

あなたもそのような経験があるかもしれません。砂漠で神様の祝福を見たのに、あなたの人生が上手くいき始めたら、神様を忘れたので、すべてを失ってしまいます。それでも、私たちが悔い改めたら、神様は私たちを赦し、癒してくださいました。

だから、私たちはどう反応するべきでしょうか。

彼らは、主の恵みと、人の子らへの奇しいわざを主に感謝せよ。(15,21,31)

また、私たちの話を次の世代に伝えましょう。そうすれば、彼れらはこれらのことに心を留め、主の恵みを悟ります。(43)

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詩篇105- 歴代誌第一3

不従順の歴史、憐れみの歴史

詩篇106篇では、ダビデはイスラエルの歴史を伝えます。けれども、その歴史はいつもポジティブではありません。

何回も、ダビデは、どうやってイスラエル人が神様に背を向けたかを話します。その話は私たちの人生も反映します。

1. イスラエル人は神様に逆らいました。(詩篇106:6-7)

これはこの詩篇の主要なテーマの一つです。彼らは逆らうことを選びました。

一つの理由は、彼らが神様の御業をすぐに忘れたからです。何回も彼らの目の前で神様は素晴らしい奇跡を行われました。けれども、トラブルが来るとき、彼らはその御業を覚えていませんでした。

だから、何回も、彼らは罪を犯したのです。

どれくらい私たちもそうするでしょうか。神様が私たちのために何をしてくださったか忘れるので、困る時に、私たちは文句を言い、神様を責め、自分の道を行きます。

2. 彼らは自分の欲望に負けました。(14)

イスラエル人は肉を貪りました。神様が肉を与えてくださいましたが、そのあと、疫病が発生したので、たくさんの人々が亡くなりました。

そのように、私たちの欲望に従えば、結局私たちは滅びます。例えば、性病や、心臓麻痺や、ガンにかかります。

あなたは貪ったものを得るかもしれませんが、結局その代価を払うことになります。

3.彼らは本当の神の代わりに、他の神々を礼拝し始めました。(19-20,28)

そのように、私たちもよく神様に背を向け、違うものを追い求めます。私たちはセックスやお金や、この世の物を追い求めます。それらのものが私たちの「神」になります。

だから、私たちは心のすべてを神様に捧げなくなります。また、それらの物は私たちを神様から奪います。

4. 神様の約束を信じず、神様の良い計画を侮りました。(24-27)

だから、彼らは文句を言って、神様が約束したものを受け取れませんでした。

どれくらい、私たちもそうするでしょうか。私たちは聖書を読んで、神様の良い計画を見ますが、神様がその約束を守ることを信じません。

だから、神様の言葉に従わないので、神様が約束したものを受け取れません。

5. 彼らは周りの国民のようになりました。彼らはその国民の価値観と道徳を受け入れました。(34-39)

多くのクリスチャンもそうします。神様のために、この世に影響を与えずに、かえってこの世の民のようになるので、神様が憎むことをし始めます。

この詩篇では、イスラエル人の失敗がよく見えます。しかし、神様の憐みも見えます。

何回も、自分の罪によって苦しんだ時に、イスラエル人が神様に叫んだので、神様は彼らを救い出してくださいました。

そのように、私たちが罪に落ちるとき、本当に悔い改めると、神様は赦してくださいます。

だから、ダビデは歌います。

私たちの神、主よ。私たちをお救いください。国々から私たちを集めてください。あなたの聖なる御名に感謝し、あなたの誉れを勝ち誇るために。

ほむべきかな。イスラエルの神、主。とこしえから、とこしえまで。すべての民が、「アーメン」と言え。ハレルヤ。(47ー48)

主よ。私は何度も罪を犯しました。何度も私はあなたが私のために何をしてくださったか忘れるので、感謝することも忘れてしまいます。

何度も私はあなたの約束を信じることをせず、自分の道を行き、あなたに背きます。

私はよくこの世の神を追い求めます。また、何度も私はこの世の民のようになります。

赦してください。私を変えてください。

あなたの私に対する憐れみを感謝します。

毎日、私がもっとあなたのようになりますように助けてください。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン。

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詩篇105- 歴代誌第一2

ご自身の約束を覚えておられる神

詩篇105篇のテーマは、神様がご自身の約束を覚えておられる方であるということです。

特に、詩人はアブラハム、イサク、ヤコブに対する神様の約束について語ります。

神様は彼らにカナンの地を与え、その子孫から大きな国が起こると約束されました。そして、彼らとその子孫がどのような試練に直面しても、神様はその上に御手を置いて守ってくださいました。

だから、アブラハムとイサクとヤコブが寄留の他国人としてカナンにいたとき、神様は彼らを守ってくださいました。(詩篇105:12-15)

ヨセフが奴隷としてエジプトに住んでいたとき、神様は彼に対する約束を守って、彼を支配者にされました。(17-22)

そして、エジプト人がイスラエル人を迫害したとき、神様はパロとその民を裁かれました。(23-38)

イスラエル人が水と食べ物を必要としたとき、神様は彼らのニーズに備えられました。(40-41)

そして、最終的に神様がアブラハムとイサクとヤコブに対する約束を守られたので、ダビデはこの歌を書いて神様をほめたたえました。

だから、覚えておきましょう。神様はいつもご自身の約束を守られます。何が起こっても、どんな試練に直面しても、神様が忠実な方なので、私たちは神様に信頼できます。

だから、パウロはこう書きました。

今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。。。

そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。

私たちは、この望みによって救われているのです。

目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。

もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。(ローマ8:18,23-25)

ある日、神様がイスラエル人に安息を与えてくださったように、私たちにも安息を与えてくださいます。その日まで、ダビデは私たちに言います。

1.主が何をしてくださったか思い出して、感謝せよ。(1、5)

時々、私たちは自分の問題に巻き込まれて、主からの祝福を感謝することを忘れます。

そのとき、私たちの問題に圧倒されます。しかし、神様からの祝福を思い出し、感謝するとき、希望と喜びは戻ります。

2.主に歌え。私たちの問題に圧倒されるとき、主の聖なる名を誇りとせよ。喜ばせよ。(2-3)

そうすれば、私たちはどれくらい神様が大きいか、またどれくらい私たちの問題が小さいか分かるようになります。そして、私たちの問題に焦点を当てずに、私たちの助け主に照準を合わせます。

3.主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。(4)

あなたの人生が辛すぎるとき、また希望がないとき、主を慕い求めてください。その力を尋ね求めてください。そうすれば、神様はあなたを助けてくださいます。

パウロはこう書きました。

御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。

私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。

人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ書8:26-28)

神様は私たちへの約束を覚えてくださり、守ってくださいます。だから、主を思い出し、慕い求め、賛美しましょう。