詩篇91篇を読むとき、私は「この詩篇は約束しすぎるんじゃないかなぁ」とよく考えます。
「私たちが神様に信頼を寄せれば、私たちの問題のすべてはなくなるのだろうか。」
実は、イエス様を誘惑したとき、サタンはこの詩篇を曲げました。「神殿の屋上から下に身を投げなさい。この詩篇によれば、御使いたちはあなたを守るでしょう?」
そして、あるクリスチャンによれば、私たちは決して病気にならないはずだし、問題のない人生を送るはずです。
でも、今日この箇所を読んだとき、私はイスラエル人たちのエジプトの経験を考えました。
エジプト人たちは神様の裁きを受けました。つまり、彼らは疫病や荒らす滅びに苦しんだということです。また、夜襲の恐怖を経験して、彼らの長男たちは亡くなりました。
でも、神様がイスラエル人たちを守ってくださったので、彼らはその恐ろしい裁きから逃れました。
聖書では、そんなパターンを何回も見ることができます。神様に反抗する人たちは裁かれるけど、神様の民はその裁きから逃れます。(エゼキエル書9章、第2ペテロ2:4ー10;黙示録7:1ー3、9:1ー21)
そのように、ある日、神様はこの世を裁かれます。でも、私たちが神様に属し、私たちが神様に自分の隠れ家として信頼を寄せれば、私たちは神様の裁きを恐れなくていいのです。だから、ヨハネはこう言いました。
私たちは自分たちに対する神の愛を知り、また信じています。
神は愛です。愛のうちにとどまる人は神のうちにとどまり、神もその人のうちにとどまっておられます。
こうして、愛が私たちにあって全うされました。ですから、私たちはさばきの日に確信を持つことができます。
この世において、私たちもキリストと同じようであるからです。
愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。
恐れには罰が伴い、恐れる者は、愛において全きものとなっていないのです。(第一ヨハネ4:16ー18)
だから、もし神様があなたを罰しておられるかどうか疑問に思っているなら、大切な真理を覚えていましょう。それは、イエス様が十字架で私たちの罰をすでに受けてくださったということです。神様はあなたを罰しておられるわけではありません。
でも、私たちは神様の裁きだけではなく、サタンの攻撃をも恐れる必要がありません。聖書では、サタンは蛇やライオンに見立てています。(創世記3章、第一ペテロ5:8)
興味深いことですが、サタンはイエス様を誘惑するとき、この詩篇の11ー12節を引用したけど、13節を飛ばしました。
あなたは 獅子とコブラを踏みつけ、若獅子と蛇を踏みにじる。(詩篇91:13)
もしかしたら、サタンはその聖句を考えると、違和感を持っていたでしょう。なぜなら、神様は将来の救い主について蛇にこう言われたからです。
彼はおまえの頭を打ち、 おまえは彼のかかとを打つ。(創世記3:15)
サタンが私たちを打つときもあります。でも、イエス様の傷のように、私たちの傷は致命傷ではありません。
サタンは私たちの体を殺すことができるけど、私たちの魂を滅ぼすことができません。そういうわけで、ある日、私たちは天国で喜び、神様を賛美します。(黙示録7:9ー17)
だから、神様の裁きやサタンの攻撃を恐れずに、神様の約束を心に留めておきましょう。
彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出す。
彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げる。彼がわたしを呼び求めれば、わたしは彼に答える。
わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い、彼に誉れを与える。
わたしは、彼をとこしえのいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せる。(詩篇91:14ー16)