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ルカの福音書のデボーション

悔い改め

神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに臨んだ。

ヨハネはヨルダン川周辺のすべての地域に行って、罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。(ルカの福音書3:2~3)

「悔い改め」

私は、このような語を「クリスチャン語」と呼んでいます。

つまり、教会の中ではクリスチャンたちがよく使いますが、それ以外ではあまり使われない言葉だということです。

けれども、『悔い改め』とはいったい何でしょうか。バプテスマのヨハネは何を宣べ伝えていたのでしょうか。

それは、人々が自分の心の中で主の道を備えることです。

言い換えると、私が神様を王として喜んで受け入れ、その良い支配のもとに身を置くことです。

多くの場合、私たちは『悔い改め』を考えるとき、ヨハネが呼んだ「悔い改めの実」だけに目を向けてしまいます。

けれども、神様の主な関心は、ただ行動が変わることだけではありません。神様が望んでおられるのは、ご自身に対する柔らかい心です。私たちが神様を愛し、信頼することを願っておられるのです。

そのような心から、悔い改めの実は自然に結ばれます。毎日毎日、一瞬一瞬、私たちの考え方や生き方が変えられつつあるのです。

良い知らせは、王に対して反抗的な心を持ち続けるなら恐ろしい結果を招きますが、もし私たちが神様に向き直り、神様を王として受け入れるなら、神様は豊かに赦してくださるということです。(イザヤ書55:6~7)

十字架につけられた犯罪人のことを思い浮かべてみてください。(ルカの福音書23:39~43)

自分の悔い改めを証明するために、私たちが長い間泣き続ける必要はありません。

また、最終的に守れない約束をする必要もありません。

神様が求めておられるのは、私たちが神様を王として受け入れることです。そして、神様が良いお方であり、私たちの最善を知り、望み、深く愛してくださる方であると信頼することです。

それが悔い改めです。神様を見る目を変え、心を開くことです。

神様が喜ばれる人生は、そのような心から自然に流れ出てくるのです。

だからこそ、以前の記事で尋ねたように、私はもう一度問いかけます。

あなたはどのように主を見なすでしょうか。

主を愛しているのでしょうか。

主を信頼しているのでしょうか。

あなたの人生に王の良い支配を喜んで受け入れるのでしょうか。

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ルカの福音書のデボーション

良い主?

「主よ。今こそあなたは、おことばどおり、
しもべを安らかに去らせてくださいます。
私の目があなたの御救いを見たからです。
あなたが万民の前に備えられた救いを。
異邦人を照らす啓示の光、
御民イスラエルの栄光を。」(ルカの福音書2:29-32)

今日、「主」という言葉について思い巡らしていました。

その原語は、現代英語の “despot”──つまり『独裁』の語源となった語です。

けれども、当時はまったく悪い意味合いを持っていませんでした。

とはいえ、その語には『人を治める力と権利を持つ者』という含みもありました。

しかし、シメオンにとってそれは恐ろしいことではありませんでした。神様は良い主であり、ユダヤ人だけでなく、すべての人々のために救いを備えてくださったからです。

羊飼いたちも同じ態度を取っていました。キリスト──新しい王が生まれたと聞くと、すぐにイエス様を見に行きました。そしてその後、彼らは喜びに満ち、周りの人々に自分たちが見たことを知らせました。

一方で、ユダヤ人たちは皇帝アウグストゥスを良い主とは見なしていませんでした。その統治を喜ぶ者は誰もいませんでした。特に、税金のために住民登録を命じられたとき、誰も喜ばなかったのです。

では、私たちはどのように主を見なすでしょうか。

イエス様が名ばかりの王ではなく、本当の王であることを考えると、私たちは不安を覚えるでしょうか。

イエス様が私たちを支配する力と権利を持っておられることに、いとう気持ちを抱くでしょうか。

もしイエス様が本当に良い主、良い王であることを信じなければ、私たちは喜びをもって従うことは決してないでしょう。

むしろ、それは重荷となり、私たちは避けようとするでしょう。また、自分の人生に対するイエス様の支配を恐れるようになるでしょう。

あなたはどのように自分の主を見なすでしょうか。

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詩篇のデボーション

あなたが遠く感じられるときに

主よ、なぜ、あなたは遠く離れて立ち、苦しみのときに、身を隠されるのですか。(詩篇10:1)

天のお父さん、あなたが遠く離れて立ち、身を隠されているように感じられるときがあります。特に、苦しんでいるとき、私はそのように感じることが多いのです。

でも、真理は、あなたが私の良い王であり、永遠に治めておられるということです。(16節)

真理は、あなたが私の叫びを無視しておられるのではなく、耳を傾けてくださるということです。(17節)

そして、いつかの日に、あなたは正義をもたらし、すべてを癒してくださいます。(18節)

だから、私の良い王、あなたが遠く離れて感じられるとき、私は自分の感情ではなく、あなたを信じることができるように助けてください。