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詩篇63-

私たちの信頼できる神

詩篇88篇は本当に暗い歌だったけど、詩篇89篇はもっと明るく始まります。それでも、この詩篇は、苦しんだ時に書かれました。 詩人は歌います。

私は、主の恵みを、とこしえに歌います。あなたの真実を代々限りなく私の口で知らせます。

私はこう言います。「御恵みは、とこしえに建てられ、あなたは、その真実を天に堅く立てられる」と。(詩篇89:1-2)

そして詩人は神様の偉大さを思い出します。

主よ。天は、あなたの奇しいわざをほめたたえます。また、聖徒たちの集まりで、あなたの真実をも。

まことに、雲の上ではだれが主と並びえましょう。力ある者の子らの中でだれが主に似ているでしょう。

主は、聖徒たちのつどいで大いに恐れられている神。主の回りのすべての者にまさって恐れられている方です。

万軍の神、主。だれが、あなたのように力がありましょう。主よ。あなたの真実はあなたを取り囲んでいます。(5-8)

そして、彼は神様に従う人の喜びについて歌い(15-17)、神様のダビデに対する約束を思い出します。つまり、ダビデの子孫はいつまでもイスラエルを王として治めます。(3-4,19-37)

けれども、急にこの詩篇の感情は変わります。なぜなら、その約束はもうだめになったようだからです。

ダビデの子孫の罪のせいで、神様は彼らを拒絶され、彼らに背を向けられました。だから詩人は叫びます。

いつまでですか。主よ。あなたがどこまでも身を隠し、あなたの憤りが火のように燃えるのは。。。

主よ。あなたのさきの恵みはどこにあるのでしょうか。それはあなたが真実をもってダビデに誓われたものです。(46,49)

けれども、イスラエルの状態は暗かったのに、神様は変わりませんでした。神様はイスラエル人を自分の土地に一回だけではなく、二回戻されました。

そして、いつかダビデの子孫イエス様はこの世に戻って、神様が約束通りにこの世を永遠に治めてくださいます。

私たちには見えないときがあっても、神様の愛と忠実さは決して変わりません。神様が約束されたことは、いつも必ず守ってくださいます。

神様はイスラエル人への約束を守ってくださったし、私たちへの約束も守ってくださいます。だから、詩人のように神様に信頼し続けて、歌いましょう。

ほむべきかな。主。とこしえまでも。アーメン。アーメン。(52)

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詩篇63-

神様の沈黙

ヨブが詩篇88篇を書いたわけではありませんが、この詩篇を読むとき、私はヨブの話を思い浮かべます。なぜなら、この詩人は自分の苦しみの中にある神様の沈黙について話すからです。

けれども、実生活と同じように、この詩篇にはハッピーエンドがありません。

詩人は叫びます。「神様。私の声を聞いてください。あなたはここにおられるでしょうか。私はトラブルで圧倒されています。私は病気で、死にかけています。もう私の力はなくなってしまいました。」(詩篇88:1-5)

そして、詩人は、どうして神様がそのトラブルを送ったのか尋ねて、文句を言います。詩人は何度もこう言います。

「あなたは私を最も深い穴に置いておられます。」(6)

「あなたの激しい憤りが私の上にとどまります。」(7)

「あなたは私の親友を私から遠ざけ、私を彼らの忌み嫌う者とされました。」(8)

そして、彼は叫びます。「私はあなたを呼んでいる。どうして、あなたは隠れておられるでしょうか。どうしてあなたは私を拒絶しておられるのでしょうか?私の生涯、ずっと苦しんでいます。私は独りぼっちです。」(13-18)

それは、この詩篇の終わりです。

希望の言葉も、慰めの言葉もありません。

時々私たちもそう感じることがあるでしょう。もし、あなたがそう感じたら、覚えておきましょう。たくさんの人々もそう感じたことがあります。あなただけではありません。

もちろん、この詩人はそう感じました。多分、すべてのクリスチャンはそう感じたことがあると思います。

ある人は諦めて、その穴を決して出ませんでした。そのような人にならないでください。

覚えておきましょう。あなたの信仰はあなたの感情に基づいてはいけません。むしろ、神様の性格とみ言葉に基づいていなければなりません。

あなたの感情は時々揺るぐかもしれません。それは不安定なものです。だから、感情は信頼できる土台ではありません。

サタンはそのことをよく知っています。だから神様が沈黙されるとき、サタンはあなたを絶望させようとします。あなたの信仰を奪おうとします。

私たちの感情はいつも変わります。しかし、神様とその言葉は決して変わりません。あなたは神様の約束を信頼できます。

だから、落ち込んでいる時や失望している時、自分の感情に頼らずに、神様とその約束に頼りましょう。

そうすれば、どんなに暗いトンネルを通っても、あなたは最終的には抜け出すことができるのです。

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詩篇63-

神様の民

詩篇87篇はエルサレムについてですが、この詩篇を読むとき、私は神様のご自身の民に対する愛がわかりますし、どのように神様が私たちのことを喜んでくださるかを見ることができます。

詩人はエルサレムについて歌います。

主は聖なる山に基を置かれる。

主は、ヤコブのすべての住まいにまさって、シオンのもろもろの門を愛される。

神の都よ。あなたについては、すばらしいことが語られている。セラ (詩篇87:1-3)

どうして神様はエルサレムを愛されたのでしょうか。神様はエルサレムの城壁や建物を愛されたのではなく、エルサレムに住んでいた人々を愛されました。神様は彼らをご自身の民として選んで呼ばれました。

その愛によって神様がエルサレムを確立されたので、周りの国民はそれを見て、感心しました。

そして、エルサレムの敵、ラハブ(つまり、エジプト)や、バビロンや、ペリシテも、いつかエルサレムの栄光を見て、神様を認めます。

その時、彼らは「その人はシオンで生まれた。その人もシオンで生まれた」と誇ります。(4)

それに、神様は彼らの名前を登録して、「この民はここで生まれた」と認められます。

この詩篇を読むとき、私が考えるのは、これが教会のための神様の意図であるということです。

教会は建物ではなく、神様の民です。そして、神様がエルサレムの人々に愛を注いだように、私たちにも愛を注いでくださいます。

神様の希望は、私たちが周りの人々に影響を与えることです。また、私たちを憎む人々でも、私たちを通して神様を知ることです。

そして、私たち皆が新しいエルサレムに着いたら、神様は命の書を指して、「私が確立した教会で、その人は生まれました。その人も。その人も」と言われるでしょう。

多分、誇りを持って、神様はそう言われるでしょう。

そして、神様が命の書の名前のすべてを呼ばれた後で、私たち皆は歌います。

私の泉はことごとく、あなたにある。(7)

言い換えれば、「主よ。あなたは私の命と愛と喜びの源です。」

私たちは神様の民です。神様は私たちを愛して、喜んでくださいます。しかし、できるだけ、多くの人々を天国に連れて行きましょう。私たちは隠れることができない山の上にある町になりましょう。

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詩篇63-

苦難の中にいる時、心を守る

ソロモン王はこう書きました。

力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。(箴言4:23)

もちろん私たちはいつもそうするべきですが、私たちが苦難の中にいる時は、特にそうするべきです。ソロモンの父ダビデは、それをよく知っていました。なぜなら、彼はいろんな試練を経験したからです。

詩篇86篇の最初で、彼は神様の助けを願います。

ダビデの人生を見る時、私たちが分かっているのは、苦難の中にいる時に彼が自分の力と知恵に頼らずに、神様を信頼したということです。だから、4節で、彼は言います。

主よ。私のたましいはあなたを仰いでいますから。(詩篇86:4)

そして、彼は神様の性格について考え始めます。彼は祈りました。

主よ。まことにあなたはいつくしみ深く、赦しに富み、あなたを呼び求めるすべての者に、恵み豊かであられます。

主よ。私の祈りを耳に入れ、私の願いの声を心に留めてください。

私は苦難の日にあなたを呼び求めます。あなたが答えてくださるからです。(5-7)

つまり、「私はいろんな問題があるけれど、あなたが私を愛してくださることを信じます。あなたが良い方であることを信じます。また、私が呼ぶとき、あなたがきっと答えてくださることを信じます。」

クリスチャンはそのことを信じるはずですが、試練に直面するとき、疑いが私たちの心に入るのは簡単なことです。しかし、ダビデは全然疑いませんでした。

むしろ、彼は神様の偉大さに焦点を当てました。つまり、ダビデは神様にとってダビデの問題が大きすぎることはないと思い出しました。だから、彼は歌いました。

主よ。神々のうちで、あなたに並ぶ者はなく、あなたのみわざに比ぶべきものはありません。

主よ。あなたが造られたすべての国々はあなたの御前に来て、伏し拝み、あなたの御名をあがめましょう。

まことに、あなたは大いなる方、奇しいわざを行なわれる方です。あなただけが神です。(8-10)

そして、ダビデは自分の心について考えて、主に祈りました。

主よ。あなたの道を私に教えてください。私はあなたの真理のうちを歩みます。私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。(11)

ある英語の翻訳には、こう書いてあります。

あなたの道を私に教えてください。そうすれば、私はあなたの忠実さを信じます。

試練に直面するとき、この箇所は本当に大切だと思います。なぜなら、大変な問題に直面するとき、時々私たちの信仰は揺るぎ始めるからです。

けれども、試練の中で、ダビデは祈ります。「主よ、あなたの道を教えてください。私の心を一つにしてください。私があなたの真理の道を歩むように、私があなたを信頼できるように。」

私たちもそんな態度が必要です。私たちはいつも神様を見つめ、私たちの信仰を持ち続けるべきです。

だから、苦難の中にいる時、ダビデのように歌いましょう。

わが神、主よ。私は心を尽くしてあなたに感謝し、とこしえまでも、あなたの御名をあがめましょう。

それは、あなたの恵みが私に対して大きく、あなたが私のたましいを、よみの深みから救い出してくださったからです。(12-13)

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詩篇63-

悔い改めとあわれみ

詩篇85篇がいつ書かれたか誰も知りませんが、多分イスラエル人がバビロンへの追放の後に書かれたものだと思われます。

詩人はこう書きました。

主よ。あなたは御国に恵みを施し、ヤコブの繁栄を元どおりにされました。

あなたは、御民の咎を赦し、彼らのすべての罪を、おおわれました。セラ

あなたは、激しい怒りをことごとく取り去り、燃える御怒りを、押しとどめられました。(詩篇85:1-3)

イスラエル人がバビロンに70年いた後で、神様は彼らをエルサレムに帰らせました。多分、詩人はこの箇所でそのことについて歌ったのでしょう。

それでも、イスラエル人はまだトラブルを抱えていました。だから、詩人は願います。

われらの救いの神よ。どうか、私たちを生き返らせ、私たちに対する御怒りをやめてください。

あなたは、いつまでも、私たちに対して怒っておられるのですか。代々に至るまで、あなたの御怒りを引き延ばされるのですか。

あなたは、私たちを再び生かされないのですか。あなたの民があなたによって喜ぶために。

主よ。私たちに、あなたの恵みを示し、あなたの救いを私たちに与えてください。(詩篇85:4-7)

なぜ、詩人はそう祈ったのでしょうか。ネヘミヤ記によれば、ユダヤ人がエルサレムに帰ったけれど、城壁はまだ崩れていたので、彼らの敵はいつも攻撃しました。だからユダヤ人の人生は本当に大変でした。

だから、詩人は神様のあわれみを願います。そして、詩人は本当に大切なことを言います。

私は、主であられる神の仰せを聞きたい。主は、御民と聖徒たちとに平和を告げ、彼らを再び愚かさには戻されない。

まことに御救いは主を恐れる者たちに近い。それは、栄光が私たちの国にとどまるためです。(詩篇85:8-9)

私たちはよく神様のあわれみのために祈りますが、平和は悔い改める人のためであることを覚えておきましょう。

もし、私たちが神様に背を向け、私たちを滅ぼした罪に戻るなら、神様のあわれみを期待できません。

もちろん、神様が私たちが完全な人になるまであわれんでくださらないわけではありません。とはいえ、神様は私たちの心を望まれます。神様は、私たちが古い道を行かずに、神様の道を歩み始めることを見たいと望まれます。

たまに私が転ぶかもしれませんが、神様の道を行き続けるなら、神様は私たちを拾って、私たちを導き続けてくださいます。そして、私たちは神様の祝福を知ることができます。

だから、詩人はこう書きました。

まことに、主は、良いものを下さるので、私たちの国は、その産物を生じます。

義は、主の御前に先立って行き、主の足跡を道とします。(詩篇85:12-13)

あなたはどうですか。悔い改めの道を歩んでいますか。

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詩篇63-

永遠の物に照準を合わせる

詩篇84篇は本当に美しい歌だと思います。私が大好きな詩篇の一つです。この詩篇で、私たちはこの世の物に照準を合わせずに、永遠の物に照準を合わせるように励まされます。

この詩篇はエルサレムに巡礼する喜びを言い表していますが、私たちの新しいエルサレムへの巡礼とも関連があります。

詩人は歌います。

万軍の主。あなたのお住まいはなんと、慕わしいことでしょう。

私のたましいは、主の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです。私の心も、身も、生ける神に喜びの歌を歌います。(詩篇84:1-2)

私たちはそのような態度を持って、神様と歩みたいです。神様を恋い慕う心が欲しいです。けれども時々、私の魂は乾きます。

だから、その時、今でも、私は祈ります。「主よ。あなたを慕います。あなたの臨在をもっと知りたいです。あなたのみ前にいたいです。」

この詩人はそのように祈りました。

私は3節も好きです。

雀さえも、住みかを見つけました。つばめも、ひなを入れる巣、あなたの祭壇を見つけました。万軍の主。私の王、私の神よ。(3)

この箇所を読むとき、イエス様の言葉を思い出します。

二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。

また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。

だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。(マタイ10:29-31)

もし、神様が雀を主の家に歓迎したら、神様は私たちも歓迎してくださるのではないでしょうか。

そして、詩人は礼拝の喜びを言い表します。

なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。彼らは、いつも、あなたをほめたたえています。(4)

そして、詩人は神様の家への巡礼について考え始めます。彼は歌います。

なんと幸いなことでしょう。その力が、あなたにあり、その心の中にシオンへの大路のある人は。

二つのことが私の心を打ちます。

一つ目は、彼らは現在どこにいるかに焦点を当てずに、どこに行くかに照準を合わせたということです。

クリスチャンとして、私たちもそうするべきです。この世は私たちの住まいではありません。だから、私たちは永遠の住まいに照準を合わせるべきです。

二つ目は、新しいエルサレムに巡礼するとき、自分の力ではなく、神様の力によって行くべきだということです。私たちは自分の力ではできません。神様の力が必要です。

6節で、詩人は歌います。

彼らは涙の谷を過ぎるときも、そこを泉のわく所とします。初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。(6)

この世では、私たちは時々涙の谷を過ぎます。私たちは痛みや愛する人の死を経験します。けれども、神様はその場所を泉の湧く所とされます。恵みの雨がその痛みと苦しみを覆って癒します。

だから、

彼らは、力から力へと進み、シオンにおいて、神の御前に現われます。(7)

イザヤはこう書きました。

しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。(イザヤ40:31)

だから、詩人は神様に叫びます。

万軍の神、主よ。私の祈りを聞いてください。ヤコブの神よ。耳を傾けてください。セラ

神よ。われらの盾をご覧ください。あなたに油そそがれた者の顔に目を注いでください。(8-9)

この箇所では、詩人は王のために祈りました。その王はイスラエルの盾でした。

しかし、私たちクリスチャンにとって、その王はイエス様です。この世で、イエス様は私たちの盾です。

最後に、詩人は礼拝者の祝福と喜びについて歌います。

まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。私は悪の天幕に住むよりはむしろ神の宮の門口に立ちたいのです。

まことに、神なる主は太陽です。盾です。主は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。

万軍の主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその人は。(10-12)

私たちはただ旅人です。この世の物は将来の栄光の影だけです。

だから、一時的なものに照準を合わせずに、神様に照準を合わせましょう。

あなたはどこに照準を合わせていますか。

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詩篇63-

悪からお救いください

詩篇83篇を読むとき、私は主の祈りについて考えます。つまり、「悪からお救いください」という願いです。(マタイ6:13)

この詩篇では、イスラエルは周りの国々に脅かされました。だから、詩人は叫びます。

神よ。沈黙を続けないでください。黙っていないでください。神よ。じっとしていないでください。

今、あなたの敵どもが立ち騒ぎ、あなたを憎む者どもが頭をもたげています。

彼らは、あなたの民に対して悪賢いはかりごとを巡らし、あなたのかくまわれる者たちに悪だくみをしています。

彼らは言っています。「さあ、彼らの国を消し去って、イスラエルの名がもはや覚えられないようにしよう。」(詩篇83:1-4)

そして、詩人はイスラエルを襲う国々の名前をリストアップします。けれども、その後で、彼は神様が以前イスラエルをどのように救い出してくださったかを思い出します。

その敵からの救いを願った後、彼は祈ります。

こうして彼らが知りますように。その名、主であるあなただけが、全地の上にいますいと高き方であることを。(18)

周りの国々はあなたを襲わないかもしれませんが、あなたを憎む人がいるかもしれません。

また、エペソ人への手紙で、パウロは私たちを襲う霊的な力があると警告します。時々悪霊は人を通して、私たちを物理的に、感情的に、また霊的に襲います。

しかし、覚えておきましょう。神様は全地の上におられるいと高き方です。神様はすべてをコントロールしておられます。だから、攻撃されるなら、神様に向かいましょう。

今攻撃されていなくても、神様の守りを祈った方が良いです。なぜなら、神様に従うなら、結局サタンはそれに気づいて、あなたを攻撃し始めるからです。

もし、イエス様が「悪からお救いください」と祈りなさいと言われたら、そうするべきでしょう。

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詩篇63-

裁判官が裁かれるとき

裁判所で不正義を見るとき、私たちはみなフラストレーションを感じるでしょう。有罪の人は解放され、彼らが傷つけた人はその決断によってさらに傷つけられます。

そんな問題は現代だけのものではありません。聖書の時代にも、同じような問題がありました。だから、詩篇82篇では、神様は裁判官を裁きます。

私が続ける前に、1節を少し説明した方が良いと思います。1節では、こう書いてあります。

神は神の会衆の中に立つ。神は神々の真ん中で、さばきを下す。(詩篇82:1)

詩人は「神の会衆」と「神々」と言いますが、皮肉っぽく話しています。彼は本当の神々について話しているわけではありません。本当の神は一人しかいないのです。

この「神々」はイスラエルの士師たちのことです。この士師たちが神様の代表であり、人々を裁く力を持っていたので、詩人は彼らを「神」と呼びました。

もし、あなたがモルモン宣教師と話したら、彼らはこの詩篇を指摘して、「ほら、たくさんの神々が存在します。そして、あなたも神になることができます。」と言うでしょう。

けれども、この詩人はそのようなことを教えているのではありません。6節で、詩人は「おまえたちは神々になる」ではなく、「おまえたちは神々だ。」と言っています。モルモンの人でも、今彼らが神であるとは言いません。

さらに、7節で、神様はこの「神々」にこう言います。「にもかかわらず、おまえたちは、人のように死に[ます]」。

この士師たちはただの人間であり、また、堕落している人間なので、彼らは結局死にました。その一方、本当の神は決して死にません。

さて、なぜ神様はこの士師たちを裁くのでしょうか。

2-4節で、その答えを見つけることができます。

いつまでおまえたちは、不正なさばきを行ない、悪者どもの顔を立てるのか。セラ

弱い者とみなしごとのためにさばき、悩む者と乏しい者の権利を認めよ。

弱い者と貧しい者とを助け出し、悪者どもの手から救い出せ。(2-4)

神様はこの士師に関してこう言われます。

彼らは、知らない。また、悟らない。彼らは、暗やみの中を歩き回る。(5)

そして、詩人は本当の神に歌います。

神よ。立ち上がって、地をさばいてください。まことに、すべての国々はあなたが、ご自分のものとしておられます。(8)

だから、この世の不正義を見るとき失望しないでください。ある日、神様は悪人と彼らを解放した裁判官を裁かれます。

裁判官は正しい人ではないかもしれませんが、神様は公正な方です。だから、最後の日には必ず正義が訪れます。

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詩篇63-

神様に聞き従いさえすれば

詩篇81篇の最初で、詩人は私たちを神様を礼拝するために招いています。

われらの力であられる神に喜び歌え。ヤコブの神に喜び叫べ。

声高らかにほめ歌を歌え。タンバリンを打ち鳴らせ。六弦の琴に合わせて、良い音の立琴をかき鳴らせ。(詩篇81:1-2)

多分、この詩篇は祭りのために書かれたのだと思います。

神様の律法で、神様はイスラエル人がさまざまな祭りを祝うように命じられました。過ぎ越しの祭りと仮庵の祭りは特に大切な祭りでした。

過ぎ越しの祭りは、神様がどのようにイスラエル人をエジプトから救い出してくださったかを記念してお祝いしました。

仮庵の祭りは、神様がイスラエル人を砂漠を通って導いてくださったことを記念してお祝いしました。

どうして神様はその祭りを祝うように命じられたのでしょうか。それは、イスラエル人が神様が彼らのために何をしてくださったかを忘れないためです。

この詩篇では、詩人はそのことを思い出して歌います。

私は、まだ知らなかったことばを聞いた。

「わたしは、彼の肩から重荷を取り除き、彼の手を荷かごから離してやった。

あなたは苦しみのときに、呼び求め、わたしは、あなたを助け出した。わたしは、雷の隠れ場から、あなたに答え、メリバの水のほとりで、あなたをためした。(5-7)

しかし、私たちは神様の心の叫びも聞きます。

聞け。わが民よ。わたしは、あなたをたしなめよう。イスラエルよ。よくわたしの言うことを聞け。

あなたのうちに、ほかの神があってはならない。あなたは、外国の神を拝んではならない。

わたしが、あなたの神、主である。わたしはあなたをエジプトの地から連れ上った。あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。(8-10)

また、

ああ、ただ、わが民がわたしに聞き従い、イスラエルが、わたしの道を歩いたのだったら。

わたしはただちに、彼らの敵を征服し、彼らの仇に、わたしの手を向けたのに。」。。。

わたしは岩の上にできる蜜で、あなたを満ち足らせよう。(13-14,16)

つまり、「もしあなたが私に聞き従いさえすれば、私はあなたを祝福し、あなたのニーズに備え、あなたのために戦います。」

ところが、神様は言い続けられます。

しかしわが民は、わたしの声を聞かず、イスラエルは、わたしに従わなかった。

それでわたしは、彼らをかたくなな心のままに任せ、自分たちのおもんぱかりのままに歩かせた。(11-12)

神様は私たちを祝福したいと望んでおられます。私たちの人生に素晴らしいことをしてくださろうとしています。けれども、もし私たちが自分の道を行きたいなら、神様は私たちに行かせます。

しかし、そうすれば、私たちの人生は悲しくなるし、神様も悲しまれます。

あなたはどうするでしょうか。あなたの耳を開き、神様に聞き従うでしょうか。そうすれば、あなたは祝福されます。けれども、頑固な心を持ち続けたら、破壊に導かれます。

それはあなたの選択です。あなたはどうしますか。

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詩篇63-

罪の結果

詩篇79篇と80篇は関係があるので、一緒にまとめます。多分、バビロンがエルサレムを滅ぼした後に、これらの詩篇が書かれたので、少し哀歌に似ています。

79篇はこう始まります。

神よ。国々は、ご自身のものである地に侵入し、あなたの聖なる宮をけがし、エルサレムを廃墟としました。

彼らは、あなたのしもべたちのしかばねを空の鳥のえじきとし、あなたの聖徒たちの肉を野の獣に与え、

聖徒たちの血を、エルサレムの回りに、水のように注ぎ出しました。彼らを葬る者もいません。(詩篇79:1-3)

そして、詩人は5節でこう叫びます。

主よ。いつまででしょうか。あなたは、いつまでもお怒りなのでしょうか。いつまで、あなたのねたみは火のように燃えるのでしょうか。(79:5)

80篇でも、同じような叫びがあります。

万軍の神、主よ。いつまで、あなたの民の祈りに怒りを燃やしておられるのでしょう。

あなたは彼らに涙のパンを食べさせ、あふれる涙を飲ませられました。(80:4-5)

ふたつの詩篇で、詩人はイスラエル人に対する神様のあわれみを願います。

先祖たちの咎を、私たちのものとして、思い出さないでください。あなたのあわれみが、すみやかに、私たちを迎えますように。私たちは、ひどくおとしめられていますから。

私たちの救いの神よ。御名の栄光のために、私たちを助けてください。御名のために、私たちを救い出し、私たちの罪をお赦しください。(79:8-9)

また、

万軍の神、主よ。私たちをもとに返し、御顔を照り輝かせてください。そうすれば、私たちは救われます。(80:19)

ふたつの詩篇で、詩人はイスラエル人のために誓います。

そうすれば、あなたの民、あなたの牧場の羊である私たちは、とこしえまでも、あなたに感謝し、代々限りなくあなたの誉れを語り告げましょう。(79:13)

80篇で、詩人は祈ります。

あなたの右の手の人の上に、御手が、ご自分のため強くされた人の子の上に、御手がありますように。

そうすれば、私たちはあなたを裏切りません。私たちを生かしてください。私たちは御名を呼び求めます。(80:17-18)

けれども、イスラエル人が神様に忠実に仕えていたら、どれほど彼らの人生がより良くなっていたでしょうか。どうして彼らは苦しむまで待ったのでしょうか。

もちろん神様はあわれみ深い神様です。私たちが悔い改めると、神様は赦してくださいます。それでも、多くの場合、この世で私たちはその罪の結果を受けてしまいます。

だから、苦しいことが起こるまで待たないでください。むしろ、今神様に向かい、求めましょう。そうすれば、罪から生み出される痛みや苦しみを避けることができます。

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詩篇63-

次の世代を教える

私の娘の4歳の誕生日のために、私は子供の聖書を買ってあげました。その聖書がバイリンガルだったので、私は英語の部分を読んであげましたが、私の妻は日本語の部分を読んであげました。

私の娘はもうすぐ8歳になるので、その聖書をもう読みませんが、私たちはどのように彼女に聖書を教えればいいかと考えています。

私たちの子供を神様について教えることは、本当に大切なことです。けれども、私は娘が神様について知識を得るだけでなく、本当に神様を知ることを望んでいます。

詩人にもその希望があったため、詩篇78篇を書きました。彼は次の世代に神様について教えたかったのです。そのため、彼は歌いました。

私の民よ。私の教えを耳に入れ、私の口のことばに耳を傾けよ。

私は、口を開いて、たとえ話を語り、昔からのなぞを物語ろう。

それは、私たちが聞いて、知っていること、私たちの先祖が語ってくれたこと。

それを私たちは彼らの子孫に隠さず、後の時代に語り告げよう。主への賛美と御力と、主の行なわれた奇しいわざとを。(詩篇78:1ー4)

そして、彼はイスラエル人に、神様が私たちが自分の子供に教えることを命じられることを思い出させます。その命令の理由は何でしょうか。

後の世代の者、生まれてくる子らが、これを知り、彼らが興り、これをその子らにまた語り告げるため、

彼らが神に信頼し、神のみわざを忘れず、その仰せを守るためである。(6-7)

そして詩人アサフは、神様の御業について歌い始めます。つまり、アサフはどうやって神様がイスラエル人をエジプトから救い出してくださり、砂漠で彼らの必要を満たしてくださったのか歌います。パンや肉や水がない時、神様はそれらを備えてくださいました。

そして、彼はどうやって神様がイスラエル人の敵を追い出し、その土地をイスラエル人に与えてくださったのかを歌います。

しかし、次に、彼はイスラエル人の失敗について歌います。つまり、彼らは神様を信頼しませんでした。

彼らは砂漠で、いつも不平を言いましたし、新しい土地に住み始めた時、彼らはすぐに偶像を礼拝し始めました。だから、彼らは裁かれました。

それでも、彼らが失敗しても、神様は彼らに憐れみと恵みを与えてくださいました。だから、アサフは歌います。

しかし、あわれみ深い神は、彼らの咎を赦して、滅ぼさず、幾度も怒りを押さえ、憤りのすべてをかき立てられはしなかった。

神は、彼らが肉にすぎず、吹き去れば、返って来ない風であることを心に留めてくださった。(38-39)

そして、アサフはイスラエルに神様の恵みを思い出させます。つまり、神様はイスラエルの敵を破って、ダビデを正義の王として確立してくださいました。

私たちも、そのようなことを次の世代に教えるべきです。つまり、

  • どうやって神様が私たちを罪から救い出してくださったか、また、神様が私たちのために何をしてくださったかということ。
  • 私たちの失敗とその結果について。それはなぜでしょうか。それは、彼らが私たちの失敗を繰り返さないようにするためです。
  • 神様の恵みと憐れみについて。つまり、私たちが失敗しても、神様は私たちのことを諦めずに、私たちを赦し、救い出してくださったのです。
  • 神様は彼らのために計画をもっておられます。ダビデが羊飼いであったにもかかわらず、神様は彼をイスラエルの王として選ばれました。そのように、神様は私たちの人生を素晴らしいものに変えることができるのです。

私たちの子供たちに、そのことを教えましょう。そうすれば、彼らも神様を知るでしょう。

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詩篇63-

捨てられた?

私は詩篇を読み通した時、同じテーマがよく繰り返されることに気づきました。つまり、時々詩人には、目に見えない神様との関係が本当に難しいものであったのです。私にもそう考える時があるので、少し慰められます。

詩篇77篇はそのような詩篇です。詩人は叫びます。

私は神に向かい声をあげて、叫ぶ。私が神に向かって声をあげると、神は聞かれる。

苦難の日に、私は主を尋ね求め、夜には、たゆむことなく手を差し伸ばしたが、私のたましいは慰めを拒んだ。(詩篇77:1-2)

どれぐらい私たちにはそんな経験があるでしょうか。私たちは神様に叫びますが、何も聞こえません。そして、悩んでいる心のせいで、私たちは眠れません。

だから、詩人のように、私たちは問い始めます。

「主は、いつまでも拒まれるのだろうか。もう決して愛してくださらないのだろうか。

主の恵みは、永久に絶たれたのだろうか。約束は、代々に至るまで、果たされないのだろうか。

神は、いつくしみを忘れたのだろうか。もしや、怒ってあわれみを閉じてしまわれたのだろうか。」セラ (7-9)

言い替えれば、「あなたは私を捨ててしまったのでしょうか。私を諦めたのでしょうか。私がもうだめだと思われるのでしょうか。」

しかし、失望の中で、彼は叫びます。

「私の弱いのはいと高き方の右の手が変わったことによる。」

私は、主のみわざを思い起こそう。まことに、昔からのあなたの奇しいわざを思い起こそう。

私は、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。

神よ。あなたの道は聖です。神のように大いなる神が、ほかにありましょうか。

あなたは奇しいわざを行なわれる神、国々の民の中に御力を現わされる方です。

あなたは御腕をもって、ご自分の民、ヤコブとヨセフの子らを贖われました。セラ

。。。あなたは、ご自分の民を、モーセとアロンの手によって、羊の群れのように導かれました。(10-15、20)

急に詩人は神様が彼を捨ててしまった考えを捨てます。彼は言います。

「あなたが私を捨てるのが信じられません。なぜなら、あなたは私のために多くのことをしてくださったからです。

あなたは私を愛してくださったので、私とあなたの民を贖ってくださり、羊のように私たちをこの良い土地に導いてくださいました。

その愛によって、私はあなたが私を捨てたという考え方を拒絶します。」

それが信仰です。私たちは神様が見えなくても、信じ続けます。その瞬間に私たちは神様の臨在を感じなくても、神様が私たちを捨てずに、私たちと共におられることを信じ続けます。

とはいえ、それは盲信ではありません。なぜなら、振り返る時、私たちの人生に神様の力と愛の事例が見えるからです。

だから、捨てられたと思う時、詩人のように、神様の慈しみを思い出し、以前、私たちと共におられた神様が、まだ私たちと共におられることを思い出しましょう。

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詩篇63-

誉れに値する神

ある聖書の学者たちは、この詩篇がヒゼキヤの時代に書かれたと考えています。すなわち、アッシリヤの王セナケリブの事件の後に書かれた可能性があります。その学者たちが正しいかどうかは分かりませんが、この詩篇はその話に関係があるようです。

詩篇76篇では、神様がイスラエルを敵から救い出してくださるために、詩人は賛美します。彼は歌います。

神はユダにおいて知られ、御名はイスラエルにおいて大きい。

神の仮庵はシャレムにあり、その住まいはシオンにある。

その所で神は弓につがえる火矢、盾と剣、また戦いを打ち砕かれた。セラ (詩篇76:1-3)

そして詩人は、どのように神様がエルサレムを攻撃しようとした人々を滅ぼしてくださったかを歌います。10節は本当に興味深いです。

まことに、人の憤りまでもが、あなたをほめたたえ[る]。

どうすれば、人の憤りが神様をほめたたえるのでしょうか。

多分その意味は、人々が神様に対する怒りを抱き、神様と戦っても、最終的に神様が勝つので、神様の名前がほめたたえられるということです。

だから、セナケリブは神様の名前をからかい、エルサレムを攻撃しましたが、神様がその軍隊を滅ぼされたので、イスラエル人は神様をほめたたえました。

また、パロは「主とはいったい何者か。私がその声を聞いてイスラエルを行かせなければならないというのは。私は主を知らない」と言い、イスラエル人を迫害しましたが、神様がパロを低くされ、イスラエル人を自由にされたので、周りの国々は神様の名前を恐れました。

だから、この詩篇を読む時、慰めと警告の両方があります。私たちが神様の手の中で休めば、神様は私たちを守り、助けてくださいます。しかし、神様に背くと、私たちは裁かれます。

とはいえ、私たちがどう選択しても、神様の名前はほめたたえられます。だから、パウロはこう書きました。

それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。(ピリピ2:10-11)

だから、私たちは自分自身にこう訊かなくてはなりません。感謝と愛を持って、そのことを告白するのでしょうか。それとも、憤りを持って、苦々しい心からそう告白するのでしょうか。

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詩篇63-

正義がやっと来ると

子供の時、私はいつも教会で、この詩篇からの歌を歌いました。つまり、1節を歌いました。

私たちは、あなたに感謝します。神よ。私たちは感謝します。御名は、近くにあり、人々は、あなたの奇しいわざを語り告げます。(詩篇75:1)

けれども、その歌を歌った時、何に感謝するか分かりませんでした。どの奇しいわざを悟り告げるか分かりませんでした。

しかし、この詩篇の全体を読むと、その答えがすぐに分かります。この詩篇は裁きの日についてです。その日、神様はすべての人々を自分の行動のために裁かれます。

この詩篇で、神様はこう言われます。

わたしが、定めの時を決め、わたしみずから公正にさばく。地とこれに住むすべての者が揺らぐとき、わたしは地の柱を堅く立てる。セラ

わたしは、誇る者には、「誇るな」と言い、悪者には、「角を上げるな。おまえたちの角を、高く上げるな。横柄な態度で語るな」と言う。(2-5)

そしてこの詩篇の最後の部分によれば、神様は悪者を低くされ、義人を高く上げてくださいます。だから、詩人は神様をほめたたえます。

しかし私は、とこしえまでも告げよう。ヤコブの神を、ほめ歌おう。

悪者どもの角を、ことごとく切り捨てよう。しかし、正しい者の角は、高く上げられる。(9-10)

私は以前にも言ったことがありますが、私たちはこの世の悪を見る時、「神様はどこだろうか。どうして神様は何もしないのだろう」とよく思います。けれども、この詩篇によれば、正義は必ず来ます。

だから、私たちは待っている間、神様をほめたたえましょう。なぜなら、神様は忍耐強く、人々が悔い改めるのを待っておられますが、必ずや神様の正義は訪れます。(第二ペテロ3:9)

その憐れみによって、私たちも救われたので、神様を信頼し、感謝し続けましょう。

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詩篇63-

憐れみのための願い

私には、いつこの詩篇が書かれたか分かりません。「アサフのマスキール(歌)」と書かれていますが、多分、アサフの子孫の歌という意味です。

なぜなら詩篇74篇では、主の宮の破壊について話していますが、アサフが生きている間はその宮はまだ建っていたからです。(アサフはダビデ王や、ソロモン王、レハブアム王の時代に生きていました。)

多分、この詩篇はネブカデネザルがエルサレムを攻撃して、ユダヤ人がバビロンに追放された後に書かれました。

詩人は、「もう私たちのしるしは見られません。もはや預言者もいません。」と書いていますが、多分エルサレムには預言者がいないという意味です。

ダニエルとエゼキエルはバビロンにいましたし、エレミヤはしばらくエルサレムに住み続けましたが、結局彼はエジプトに連れていかれました。

とにかく、この詩篇は憐れみを求める願いです。詩人は嘆きます。

神よ。なぜ、いつまでも拒み、あなたの牧場の羊に御怒りを燃やされるのですか。

どうか思い起こしてください。昔あなたが買い取られた、あなたの会衆、あなたがご自分のものである部族として贖われた民を。また、あなたがお住まいになったシオンの山を。

永遠の廃墟に、あなたの足を向けてください。敵は聖所であらゆる害を加えています。(詩篇74:1-3)

そして、詩人は宮の破壊を嘆き、神様がいらっしゃらないことを嘆きます。

しかし、12節で、彼は歌います。

確かに、神は、昔から私の王、地上のただ中で、救いのわざを行なわれる方です。

そして、13〜17節で、彼は神様の力を思い出します。つまり、神様がどうやってこの世を造られたか、またどうやってイスラエル人をエジプトから救い出してくださったかを思い出します。

そして、彼はもう一度神様の憐れみを願います。

この詩篇では、興味深いポイントがあると思います。特に、神様の憐れみについて学ぶことができると思います。

最も大切なポイントは、私たちが神様の憐れみに値しないことです。詩人は「私たちが良い人だから、憐れんでください」とは全く言いませんでした。

むしろ、神様の名前の誉のために、神様の憐れみを願います。詩人は尋ねます。

神よ。いつまで、仇はそしるのでしょうか。敵は、永久に御名を侮るのでしょうか。(10)

要するに、「イスラエルの敵があなたの宮を破壊したので、あなたの名前は汚されました。周りの国民はもうあなたのみ名を誉めません。」

だから、詩人は祈ります。

神よ。立ち上がり、あなたの言い分を立ててください。愚か者が一日中あなたをそしっていることを心に留めてください。

あなたに敵対する者どもの声や、あなたに立ち向かう者どもの絶えずあげる叫びを、お忘れにならないでください。(22-23)

それに、詩人は神様の約束ゆえに、憐れみを願いました。この詩篇の最初に、彼は祈りました。

どうか思い起こしてください。昔あなたが買い取られた、あなたの会衆、あなたがご自分のものである部族として贖われた民を。また、あなたがお住まいになったシオンの山を。(2)

要するに、「あなたは私たちを買い取られ、私たちがあなたのものとすると約束しました。あなたが私たちの間に住むことも約束されました。だから、その約束を思い出し、私たちを救ってください。」

最後に、神様の情けによって、詩人は憐れみを願いました。彼は歌いました。

しいたげられる者が卑しめられて帰ることがなく、悩む者、貧しい者が御名をほめたたえますように。(21)

神様の憐れみに値する人は一人もいません。それでも、神様は憐れみ深い方です。だから、神様が私たちを捨てられたと思う時、失望しないでください。むしろ、神様に向かい、憐れみを願いましょう。

そうすれば、神様はユダヤ人を救われたように、私たちを救ってくださいます。

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詩篇63-

悪を見て、がっかりする時

この世の悪を見る時、私たちは簡単に失望します。悪人が神様を恐れないのに栄えるからです。彼らは自分のことだけ考えるので、他の人々を傷つけても、気にしません。

だから、彼らが栄える時、時々私たちは「どうして私は頑張って正しいことをし続けているのだろうか。正しいことをする価値が本当にあるのだろうか。」と思います。

アサフも、そんな疑いと戦いました。

けれども、彼は詩篇73篇を彼の結論から始めます。

まことに神は、イスラエルに、心のきよい人たちに、いつくしみ深い。(詩篇73:1)

言い替えれば、いつか振り返る時、あなたは神様が良い方だと分かるということです。あなたが聖い心を持ち、神様に従うと、神様の慈しみを見ます。

とはいえ、アサフは自分の疑いとの戦いについて語ります。

しかし、私自身は、この足がたわみそうで、私の歩みは、すべるばかりだった。

それは、私が誇り高ぶる者をねたみ、悪者の栄えるのを見たからである。(2-3)

そして、4ー10節で、彼は言います。「彼らは他の人々と違って、元気だし、問題がないし、重荷がありません。だから、彼らは誇って、暴虐の着物を着ます。」

それに、その悪人は神様に逆らって叫びます。

どうして神が知ろうか。いと高き方に知識があろうか。(11)

だからアサフは叫びます。

確かに私は、むなしく心をきよめ、手を洗って、きよくしたのだ。

私は一日中打たれどおしで、朝ごとに責められた。(13-14)

けれども、アサフが神様の前に来たとき、悪人の最後の運命が分かったので、その疑いは消えてしまいました。

まことに、あなたは彼らをすべりやすい所に置き、彼らを滅びに突き落とされます。

まことに、彼らは、またたくまに滅ぼされ、突然の恐怖で滅ぼし尽くされましょう。

目ざめの夢のように、主よ、あなたは、奮い立つとき、彼らの姿をさげすまれましょう。(18-20)

要するに、彼らは裁かれます。彼らの繁栄は一時的なものですが、彼らの罰は永遠のものです。裁きの日、彼らはそのことが分かるでしょう。

その真理が分かった時、アサフは神様を疑ったことを恥ずかしいと思いました。「私は馬鹿だった」と言いました。

それでも、彼はこう言いました。

しかし私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。

あなたは、私をさとして導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう。(23-24)

神様の忍耐について考える時、私は「良かった」と思います。なぜなら、私たちが神様とその慈しみを疑っても、神様は私たちのことを見捨てないからです。神様は私たちと共におられ、私たちが天国に着くまで導いてくださいます。

その日、私たちは神様の御顔を見て喜びます。

アサフはその真理が分かったとき、歌いました。

天では、あなたのほかに、だれを持つことができましょう。地上では、あなたのほかに私はだれをも望みません。

この身とこの心とは尽き果てましょう。しかし神はとこしえに私の心の岩、私の分の土地です。

それゆえ、見よ。あなたから遠く離れている者は滅びます。あなたはあなたに不誠実な者をみな滅ぼされます。

しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。私は、神なる主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。(25-28)

主よ。天では、あなたのほかに、誰を持つことができましょう。罪を犯す人をねたむのが簡単なことです。なぜなら、彼らの人生が楽だと見えるからです。

けれども、あなたの近くにいることは良いことです。私が悪人の人生をねたまないように助けてください。むしろ、あなたが私の求めるものになるように。あなたがとこしえに私の心の岩、私の分の土地になるように。アーメン。

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詩篇63-

キリストがこの世を治める時

ソロモン王は詩篇72篇を書きました。しかし、彼も王の王の治世、つまりイエス様の治世を待ち望んでいました。

私たちは大統領や総理大臣を見ると、しばしばがっかりします。なぜなら、彼らが私たちの福祉のために働くはずなのに、多くの場合、彼らは自分自身の福祉のために働くからです。

もし、自分にとって利益があれば、その時だけ彼らは私たちの福祉のためにも働きます。

けれども、この箇所では、本当の義にあってキリストがこの世を治めることが見えます。キリストは悩んでいる人や貧しい人を愛しているので、彼らを助けてくださいます。(1ー4、12ー14)

さらに、キリストがこの世を治める時、義人は栄え、祝福されます。私は6節が好きです。

彼は牧草地に降る雨のように、地を潤す夕立のように下って来る。(詩篇72:6)

けれども、特に大好きな箇所は17節です。

彼の名はとこしえに続き、その名は日の照るかぎり、いや増し、人々は彼によって祝福され、すべての国々は彼をほめたたえますように。

多分、ソロモンは神様がアブラハムにされた約束について考えていたでしょう。

そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し。。。

地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。(創世記12:2-3)

キリストにあって、その約束は完全に成就されます。だから、ソロモンはこの詩篇をこのようにまとめて、祈ります。

ほむべきかな。神、主、イスラエルの神。ただ、主ひとり、奇しいわざを行なう。

とこしえに、ほむべきかな。その栄光の御名。その栄光は地に満ちわたれ。アーメン。アーメン。(18-19)

アーメン。イエス様、すぐに来てください。

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詩篇63-

私たちの希望と確信

詩篇71篇はあまり有名な詩篇ではないかもしれませんが、私はこの詩篇を読めば読むほど好きになります。なぜなら、最も暗い時に、詩人は神様を知っていたので、希望と確信があったからです。

だから、彼はこう書きました。

主よ。私はあなたに身を避けています。私が決して恥を見ないようにしてください。

あなたの義によって、私を救い出し、私を助け出してください。あなたの耳を私に傾け、私をお救いください。(詩篇71:1-2)

私は5節も大好きです。

神なる主よ。あなたは、私の若いころからの私の望み、私の信頼の的です。(5)

そして、自分の敵からの救いのために祈る時、彼は歌います。

しかし、私自身は絶えずあなたを待ち望み、いよいよ切に、あなたを賛美しましょう。(14)

この世には、多くの人々が自分の辛い状況のため、希望を失います。だから、詩人の言葉は私の心に響きます。「私自身は絶えずあなたを待ち望みます。」

どうして彼にはそんな希望があったのでしょうか。

あなたは私を多くの苦しみと悩みとに、会わせなさいましたが、私を再び生き返らせ、地の深みから、再び私を引き上げてくださいます。(20)

多くの人々は自分の試練のため、神様に怒ります。しかし、詩人は神様の慈しみを確信を持って宣言します。つまり、彼が試練を通っていても、神様はもう一度彼を引き上げてくださるということです。

だから、この詩篇の中で、私たちは神様に対する彼の賛美する心を見ることができます。彼は歌います。

神よ。あなたの義は天にまで届きます。あなたは大いなることをなさいました。神よ。だれが、あなたと比べられましょうか。(19)

また、

私があなたにほめ歌を歌うとき、私のくちびるは、高らかに歌います。また、あなたが贖い出された私のたましいも。(23)

あなたはどうですか。あなたの試練のため、希望を失いましたか。それとも、神様があなたを救い出してくださるという確信を持ち、まだ希望を持っていますか。

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詩篇63-

神様!急いでください!

詩篇70篇が詩篇40篇の最後に似ているので、この詩篇について書くかどうかちょっと迷いましたが、40篇の最後の部分についてあまり書かなかったので、やっぱりこの詩篇について書こうと思いました。

私の心を打ったのは、ダビデの必死な祈りです。

神よ。私を救い出してください。主よ。急いで私を助けてください。(詩篇70:1)

また、

私は、悩む者、貧しい者です。神よ。私のところに急いでください。あなたは私の助け、私を救う方。主よ。遅れないでください。(5)

ダビデが私のように祈っていたのを知って、私は少し励まされます。「神様、急いでください。私のニーズを知らないのですか。今あなたの助けが必要なのです。」

ダビデはいつも自分の敵から逃げていたので、彼の気持ちがよく理解できます。

もう一つ励まされることは、時々ダビデが望んでいたほど救いが早く来なかったけれど、その救いは結局来ました。

このように、私たちが望むほど、神様は私たちの祈りに早く答えてくださらないかもしれませんが、最終的には私たちを救い出してくださいます。

あなたは祈りの答えを待っていますか。神様が少し遅いと思っていますか。

祈る時、神様と正直に話しても良いのです。「急いでください」と言っても良いのです。

しかし、覚えておきましょう。神様のタイミングは私たちのものと違うかもしれませんが、神様はいつも忠実な方です。結局、神様は私たちを救い出してくださいます。だから、神様の答えを待ち望みましょう。

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詩篇63-

キリストの叫び

詩篇69篇はダビデの経験について書かれていますが、この詩篇の大部分はキリストのことも表しています。新約聖書において、この詩篇はキリストによく当てはめられました。

つまり、ここではイエス様の十字架の苦しみが見えます。その時、イエス様は死の泥沼に沈まれました。イエス様は天の父に叫ばれたけれども、返事は来ませんでした。イエス様はのどが渇かれ、衰え果てられました。(詩篇69:1-3)

ゆえなくイエス様を憎む者は多く(4)、イエス様の兄弟たちもイエス様をからかい、拒絶しました(8)。

イエス様が主の宮を清められた時、その父の家に対する熱心さが見えます。(9)

周りの人々はイエス様をそしり、侮辱しました。(19)

そして、イエス様が飲み物を頼まれたとき、彼らはイエス様に酢を飲ませました。(21)

それに、使徒の働き1章で、ペテロは詩篇69:25節をユダに当てはめました。

だから、この詩篇では、私たちは十字架でイエス様の叫びを見ることができます。けれども、それだけではなく、私たちの救いも見えます。なぜなら、イエス様の十字架の働きを通して、私たちのすべての罪が支払われたからです。

十字架でイエス様が苦しまれ叫ばれましたが、今、私たちはイエス様が歌われた賛美を歌うことができます。

私は神の御名を歌をもってほめたたえ、神を感謝をもってあがめます。

それは雄牛、角と割れたひづめのある若い雄牛にまさって主に喜ばれるでしょう。

心の貧しい人たちは、見て、喜べ。神を尋ね求める者たちよ。あなたがたの心を生かせ。(30-32)

そして、詩人は歌います。

まことに神がシオンを救い、ユダの町々を建てられる。こうして彼らはそこに住み、そこを自分たちの所有とする。

主のしもべの子孫はその地を受け継ぎ、御名を愛する者たちはそこに住みつこう。(35-36)

新しいエルサレムが来ます。それはユダヤ人だけのためではなく、イエス様の十字架の働きを信じ、その御名を愛する人のために来ます。その新しいエルサレムで、私たちの救いは成就されます。

主よ、あなたが私の救いのために多大な代価を払ってくださったことに感謝いたします。あなたは罪を犯されることなく、私のために死んでくださいました。

私が決してそのいけにえを軽んじることのないように、私の人生があなたに対する賛美となるようにお導きください。私の人生と言葉で周りの人々にあなたの御業を宣言するように助けてください。アーメン。

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詩篇63-

神様の力とあわれみ

詩篇68篇を読むとき、二つのことが私の心を打ちます。

一つ目は、神様の力です。

この詩篇の初めに、私たちは敵を滅ぼしてくださる神様の力が見えます。

神よ。立ち上がってください。神の敵は、散りうせよ。神を憎む者どもは御前から逃げ去れ。

煙が追い払われるように彼らを追い払ってください。悪者どもは火の前で溶け去るろうのように、神の御前から滅びうせよ。(詩篇68:1-2)

そして、詩人は、どうやって神様がイスラエル人をエジプトから救い出してくださって、約束の地に導いてくださったか思い出します。

神よ。あなたが御民に先立って出て行かれ、荒れ地を進み行かれたとき、セラ

地は揺れ動き、天もまた神の御前に雨を降らせ、シナイもイスラエルの神であられる神の御前で震えました。(7-8)

そして、詩人は歌います。

神よ。御力を奮い起こしてください。私たちのために、事を行なわれた神よ。御力を示してください。(28)

また、

神の力を認めよ。みいつはイスラエルの上に、御力は雲の上にある。

神よ。あなたはご自身の聖なる所におられ、恐れられる方です。イスラエルの神こそ力と勢いとを御民にお与えになる方です。ほむべきかな。神。(34-35)

神様の力を見ていると、私は畏敬の念を抱きます。

しかし、この詩篇にはもう一つのことが見られます。それは神様のあわれみです。

みなしごの父、やもめのさばき人は聖なる住まいにおられる神。

神は孤独な者を家に住まわせ、捕らわれ人を導き出して栄えさせられる。(5-6)

詩人は、神様がどうやってイスラエル人を約束の地に導いてくださったかについて話すとき、こう言います。

神よ。あなたは豊かな雨を注ぎ、疲れきったあなたのゆずりの地をしっかりと立てられました。

あなたの群れはその地に住みました。神よ。あなたは、いつくしみによって悩む者のために備えをされました。(9-10)

けれども、私が一番好きな箇所は19節です。

ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。セラ

以前言ったように、神様の力について考えるとき、私は畏敬の念を抱きます。なぜなら、神様はすべてのことをコントロールしておられるし、何でもできます。

しかし、私たちに対する神様のあわれみと恵みはもっと素晴らしいものです。毎日、神様は私たちを愛し、見守ってくださいます。

それに、神様は私たちの重荷を背負ってくださいます。

また、私たちのニーズを見るとき、神様はそのニーズに備えてくださいます。

私たちが寂しいとき、神様は私たちとともにおられます。

私たちが囚人だったとき、神様は私たちを解放してくださいました。

主よ。あなたが力ある神であることを感謝します。けれども、あなたが私たちを愛していることをもっと感謝します。私があなたの臨在をもっと感じるように。私の人生にあなたの力をもっと知るように。

以前のように、あなたの力を示してください。しかし、あなたのあわれみも私がもっと知るように。そして、私がそのあわれみを周りの人々に与えるように助けてください。私を通して、彼らがあなたのあわれみと力を見えるように。アーメン。

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詩篇63-

すべての人々が神様を知るように祝福された

この詩篇は、申命記6:24-26の祭司の祝福に似ています。

どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を私たちの上に照り輝かしてくださるように。(詩篇67:1)

私が興味深いと思うのは、その詩人の動機です。

それは、あなたの道が地の上に、あなたの御救いがすべての国々の間に知られるためです。(2)

多くのクリスチャンは自己中心的な理由のために「主よ。私を祝福してください」と祈ります。

しかし、詩人はこのように祈ります。

「主よ、私たちをあわれんでください。祝福してください。なぜなら、周りの人々があなたの恵みと慈しみを見るなら、あなたとの関係を求めるから。そして、私たちだけではなく、彼らもあなたの救いを知ります。」

詩人はその日を楽しみにして、歌います。

神よ。国々の民があなたをほめたたえ、国々の民がこぞってあなたをほめたたえますように。

国民が喜び、また、喜び歌いますように。それはあなたが公正をもって国々の民をさばかれ、地の国民を導かれるからです。セラ

神よ。国々の民があなたをほめたたえ、国々の民がこぞってあなたをほめたたえますように。(3-5)

詩人は、すべての国民が自分の心を神様に向けることを見るし、もう一つのことを見ます。それは、神様を恐れる人に対する神様の祝福です。

地はその産物を出しました。神、私たちの神が、私たちを祝福してくださいますように。

神が私たちを祝福してくださって、地の果て果てが、ことごとく神を恐れますように。(6-7)

神様、あなたの恵みを与えてください。主よ、私を引き寄せ、あなたの御顔を私の上に照り輝かせてくださるように。そして、私の周りの人々が私を見る時、彼らはあなたを見て、あなたに近づくように。

あなたの光が私を通して輝くように。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン。

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詩篇63-

試練から私たちを救い出してくださる神

試練が好きだと言う人はいません。私も全然好きではありません。けれども、この詩篇では、私たちは試練から救い出してくださった神様の民が喜ぶのを見ます。

詩篇66篇では、詩人はこう歌います。

全地よ。神に向かって喜び叫べ。

御名の栄光をほめ歌い、神への賛美を栄光に輝かせよ。

神に申し上げよ。「あなたのみわざは、なんと恐ろしいことでしょう。偉大な御力のために、あなたの敵は、御前にへつらい服します。

全地はあなたを伏し拝み、あなたにほめ歌を歌います。あなたの御名をほめ歌います。」 (詩篇66:1-4)

そして、詩人は喜びの理由を教えます。

さあ、神のみわざを見よ。神の人の子らになさることは恐ろしい。

神は海を変えて、かわいた地とされた。人々は川の中を歩いて渡る。さあ、私たちは、神にあって喜ぼう。(5-6)

もちろん、詩人は神様がイスラエル人をエジプトからどのように救い出してくださったかについて話しています。つまり、神様は紅海に乾いた道を整えてくださいました。その時、神様はその力をイスラエルと周りの国々に現わされました。

だから、詩人は警告します。

神はその権力をもってとこしえに統べ治め、その目は国々を監視される。頑迷な者を、高ぶらせないでください。(7)

そして詩人は振り返って、イスラエル人のエジプトの苦しみも砂漠の苦しみも思い出します。けれども、その苦しみの中で、詩人は神様の御手を見ました。

国々の民よ。私たちの神をほめたたえよ。神への賛美の声を聞こえさせよ。

神は、私たちを、いのちのうちに保ち、私たちの足をよろけさせない。

神よ。まことに、あなたは私たちを調べ、銀を精錬するように、私たちを練られました。

あなたは私たちを網に引き入れ、私たちの腰に重荷をつけられました。

あなたは人々に、私たちの頭の上を乗り越えさせられました。私たちは、火の中を通り、水の中を通りました。しかし、あなたは豊かな所へ私たちを連れ出されました。(8-12)

11-12節は興味深い箇所です。神様はイスラエル人を網に引き入れ、外国の王を彼らを治めるために送りました。

神様は私たちの人生に直接悪を送らないけど、この壊れた世に悪は来ます。もちろん神様はその悪を止めることができますが、時々その悪が私たちの人生に来ることを許されます。

どうしてでしょうか。神様は私たちを憎むからでしょうか。違います。

その試練を通して、神様は銀を精錬するように、私たちを練られます。

その試練を通して、私たちのプライドや罪を清め、私たちは神様が望んでおられる聖いものになります。

しかし、私たちが火を通るとき、神様は私たちを手放しません。むしろ、神様は私たちを守り、私たちの足をよろけさせません。そして、私たちはその試練を乗り越え、勝利を得ます。

だから、火を通ってから、詩人は感謝のいけにえを捧げ、自分の経験を周りの人々に伝えました。彼はこう歌います。

さあ、神を恐れる者は、みな聞け。神が私のたましいになさったことを語ろう。

私は、この口で神に呼ばわり、この舌であがめた。

もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。

しかし、確かに、神は聞き入れ、私の祈りの声を心に留められた。

ほむべきかな。神。神は、私の祈りを退けず、御恵みを私から取り去られなかった。(16-20)

あなたはどうですか。どんな試練を通っているでしょうか。どんな試練を通っても、神様はあなたを決して離れません。

だから失望しないでください。神様に叫びましょう。あなたの心を主の前に注ぎ出しましょう。そうすれば、神様の救いを知ります。その時、周りの人々に、神様が何をしてくださったか教えましょう。

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詩篇63-

私たちを救い、 満たしてくださる神

私はこの詩篇がいつ書かれたのか分かりません。もしかすると、神様の裁きによってイスラエルには飢饉があったのかもしれません。けれども、その後イスラエル人が悔い改めたので、もう一度神様の祝福を受けたのでしょう。

だから、詩人は神様のあわれみに感謝します。

神よ。あなたの御前には静けさがあり、シオンには賛美があります。あなたに誓いが果たされますように。

祈りを聞かれる方よ。みもとにすべての肉なる者が参ります。

咎が私を圧倒しています。しかし、あなたは、私たちのそむきの罪を赦してくださいます。

幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。(詩篇65:1-4)

この個所で、詩人はイスラエルの罪と神様の裁きを思い出します。私は3節が大好きです。

咎が私を圧倒しています。しかし、あなたは、私たちのそむきの罪を赦してくださいます。

私たちは自分の罪に圧倒されました。私たちは神様の裁きから逃げられなかった。けれども、パウロが言ったように、「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださった。」(ローマ5:8)

だから今、神様は私たちを近づけて、祝福を注いでくださいます。私たちはもう神様を恐れる必要がありません。むしろ、神様のあわれみと恵みを受けたので、愛で満たされた心で私たちは神様を仰ぎます。

そして、ある日、天国で私たち皆は神様のあわれみを賛美します。(1)

5節でダビデはこう言います。

私たちの救いの神よ。あなたは、恐ろしい事柄をもって、義のうちに私たちに答えられます。あなたは、地のすべての果て果て、遠い大海の、信頼の的です。

この詩篇の後半で、ダビデは神様の創造の力を思い出し、どうやって神様が雨を降らして、この世を支え、祝福することについて歌います。

けれども、この詩篇を読むとき、私はもう一つのことを見ます。それは私たちの救い主の業です。つまり、イエス様は私たちの罪のために死んでくださったので、この死にかけている世においても、私たちには希望があります。

神様がこの世を祝福するために天から雨を降らすように、神様は生ける水、つまり聖霊を私たちに注ぎ、毎日私たちを満たしてくださいます。

また御霊によって、神様は私たちと私たちが触れる人に恵みを注いでくださるので、私たちは豊かな実を結びます。

主よ、あなたが私に注いでくださった恵みを感謝します。その恵みによって私は救われました。私が自分自身を救う力がないとき、あなたは私を救ってくださいました。

今、あなたの聖霊で私を満たしてください。あなたの聖霊が私の人生にあふれ、私が実を結び、周りの人々に触れるように。

あなたが私の人生に注いでくださる喜びを感謝します。主イエスキリストのみ名によって祈ります。アーメン。

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詩篇63-

逃げられない

私は刑事コロンボという番組が大好きです。その番組にはいつも同じパターンがあります。つまり、犯罪者は完全犯罪を犯しますが、コロンボは少しずつ彼らの犯罪を解明します。

詩篇64篇を読むとき、コロンボの話について考えます。ダビデはこう書きました。

彼らは、その舌を剣のように、とぎすまし、苦いことばの矢を放っています。

全き人に向けて、隠れた所から射掛け、不意に射て恐れません。

彼らは悪事に凝っています。語り合ってひそかにわなをかけ、「だれに、見破ることができよう」と言っています。

彼らは不正をたくらみ、「たくらんだ策略がうまくいった」と言っています。人の内側のものと心とは、深いものです。(詩篇64:3ー6)

けれども、コロンボのように、神様は彼らの計画を暴露して、彼らを罰されます。

しかし神は、矢を彼らに射掛けられるので、彼らは、不意に傷つきましょう。

彼らは、おのれの舌を、みずからのつまずきとしたのです。彼らを見る者はみな、頭を振ってあざけります。

こうして、すべての人は恐れ、神のみわざを告げ知らせ、そのなさったことを悟ります。(7ー9)

エステル記で、ハマンはそう学びました。ユダヤ人を滅ぼすために完璧な計画を立てましたが、その計画はハマンの目の前で崩れました。

しかし、時々私たちは正義が遅れて来ると感じます。有罪な人が解放されて、私たちは「神様はどこにおられるのか。どうして神様は何もしないのか。」と思うことがあります。

けれども、いつか神様が彼らを裁かれることを忘れないでください。裁きの日には、神様がすべての罪を裁かれます。

だから、不正義を見るときに思い悩まないでください。人間の正義は失敗するかもしれませんが、神様の正義は決して失敗しません。だからダビデはこう言われました。

正しい者は主にあって喜び、主に身を避けます。心の直ぐな人はみな、誇ることができましょう。(10)

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詩篇63-

砂漠の恋歌

ダビデはよく砂漠にいました。サウルから逃げた時も、アブシャロムから逃げた時も、砂漠に行っていました。おそらく、ダビデはアブシャロムから逃げた時に、詩篇63篇を書きました。

砂漠の中で、ダビデが疲れて、おなかが空いて、喉が渇いた時に、ダビデは書きました。

神よ。あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない、砂漠の衰え果てた地で、私のたましいは、あなたに渇き、私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです。(詩篇63:1)

つまり、「神様、私はおなかが空いて、喉が渇いているけれど、それよりも、あなたに渇き、あなたを慕います。」

ダビデの宮殿があるエルサレムでは、ダビデは幕屋で神様を礼拝することができましたが、砂漠では幕屋がありませんでした。だから、それを慕って、ダビデは書きました。

私は、あなたの力と栄光を見るために、こうして聖所で、あなたを仰ぎ見ています。(2)

けれども、砂漠にいても、アブシャロムから逃げても、また幕屋から遠くても、ダビデは歌いました。

あなたの恵みは、いのちにもまさるゆえ、私のくちびるは、あなたを賛美します。

それゆえ私は生きているかりぎ、あなたをほめたたえ、あなたの御名により、両手を上げて祈ります。(3ー4)

私たちが恋人についていつも考えるように、ダビデは神様について書きました。

ああ、私は床の上であなたを思い出し、夜ふけて私はあなたを思い出します。(6)

それに、ダビデは神様と親しい関係があったので、試練の中でも神様の愛によって慰められました。

あなたは私の助けでした。御翼の陰で、私は喜び歌います。

私のたましいは、あなたにすがり、あなたの右の手は、私をささえてくださいます。(7ー8)

あなたはどうですか。神様のための熱い心があるでしょうか。あなたの魂は神様を慕っているでしょうか。神様を愛して、寝る時にも、自然に神様について考え始めますか。

「Everything」という曲が大好きです。神様についての曲かどうか分かりませんが、あるクリスチャンがこの曲を書きました。そして、その歌詞はこの詩篇に似ています。

Find me here
ここにいる私を見つけて
And speak to me
そして話しかけて
I want to feel you
あなたを感じたい
I need to hear you
あなたの声を聞きたい
You are the light
あなたは光で
That’s leading me to the place
私を導いている
Where I find peace… Again
もう一度安らぎを見出せる場所へ

You are the strength that keeps me walking
あなたは私を歩き続けさせる力
You are the hope that keeps me trusting
あなたは私を信じさせ続ける希望
You are the light to my soul
あなたは私の魂にとっての光
You are my purpose
あなたは私の目的で
You’re everything
あなたは私のすべて

And how can I stand here with you
こうしてあなたと一緒に立っていると
And not be moved by you
感動せざるにいられない
Would you tell me how could it be any better than this?
これより素晴らしいものなんか他にあるだろうか

You calm the storms and you give me rest
あなたは嵐を静め、私に安息を与えてくれる
You hold me in your hands
その両手で私を包んで
You won’t let me fall
決して落ち込ませない
You steal my heart and you take my breath away
あなたは私の心を奪い、息もつけぬほど
Would you take me in, take me deeper now
私を受け入れてくれる?もっと深くまで?

And how can I stand here with you
こうしてあなたと一緒に立っていると
And not be moved by you
感動せざるにいられない

Cause you’re all I want,
なぜなら、私はあなただけを求めているから
You’re all I need
私が必要なのはあなただけです。
You’re everything, everything
あなたは私のすべてなんです。

ーーLifehouse