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ヨハネの福音書のデボーション

私の父、私の神

わたしの兄弟たちのところに行って、「わたしは、わたしの父であり、あなたがたの父である方、わたしの神であり、あなたがたの神である方のもとに上る」と伝えなさい。(ヨハネの福音書20:17)

「私の父。」

「私の神。」

私には、その言葉を口にできる特権を当たり前のことだと思ってしまう傾向があります。

しかし、それはイエス様がご自身の血によって買い取ってくださった特権です。

私たちを天の父から隔てていた幕は、真っ二つに裂けました。

だから、私たちはイエス様に「私たちのためにあなたのお父さんに祈ってください」と願う必要はありません。

私たちは直接に神様の前に進み出て、「私の父、私の神」と言うことができます。

だから今日、祈るときに私はそうしようと思っています。

神様の前に進み出て、少し時間を取って、「私の父、私の神」と言える特権を味わいます。

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ヨハネの福音書 ヨハネ5章

イエス様はだれでしょうか

イエス様はだれでしょうか。イエス様に出会った人々のすべてが、その質問に答えなくてはなりませんでした。

今でも、人々はイエス様に出会うと、その質問に答えなくてはなりません。

ユダヤ人たちも、イエス様と話したとき、その疑問に直面しました。イエス様はこう言われました。

わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。(ヨハネの福音書5:17)

私たちにとっては、その言葉は別にショッキングではないかもしれませんが、ユダヤ人たちは本当に面くらいました。

なぜなら、その時代、誰も神様を「私の父」と呼ばなかったからです。

「私たちの天の父」と言ったかもしれませんが、「私の父」とは言いませんでした。なぜなら、「神は私の父」というのは、「私は神性を持っている」という意味だったからです。

どうして、ユダヤ人たちはそのように思ったのでしょうか。

少し考えてみてください。子供たちはその父と同じ姿を持ちます。父が人間なら、その子供も人間です。父がサルなら、その子供もサルです。父が猫なら、その子供も猫です。

だから、もしイエス様の父が神なら、イエス様はだれでしょうか。

もちろん、私は神様がイエス様を産んだのだと言うわけではありません。また、私は神様が結婚してその妻がイエス様を生んだと言っているわけでもありません。

イエス様は永遠から天の父と聖霊様と一緒におられました。イエス様と天の父と聖霊様は神性を持っている。それでも、神は一つしかおられません。

神様の御姿をどのように説明すればよいか、誰も知りません。しかし神様は、そのようにご自身を現してくださいました。

それでは、私たちにとっては、その真理はどういう意味があるのでしょうか。

もしイエス様が神なら、私たちはイエス様の言葉を無視することはできません。

イエス様はただの人間ではありません。私たちはイエス様の言葉に反対する権利がありません。むしろ私たちは、その言葉を真理として受け入れ、その言葉に従わなければなりません。

あなたはどうでしょうか。イエス様がだれだと思いますか。