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ルカの福音書のデボーション

証しをする機会

しかし、これらのことすべてが起こる前に、人々はあなたがたに手をかけて迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出します。

それは、あなたがたにとって証しをする機会となります。(ルカの福音書21章)

今朝、13節は私の心を打ちました。

幸いなことに、私は迫害に直面したことはありません。

けれども、神様は私に思い起こさせました。「試練や辛いときを、ただの試練や辛いときとして見てはいけません。」

なぜなら、試練や辛いときのただ中で、もし私が天のお父さんを信頼する心を保つなら、周囲の人々は気づくかもしれません。そして、それがイエス様について証しをする機会となるかもしれません。

そう考えて、しばらく前の出来事を思い起こしました。そのとき、私は“かわいそうパーティー”を開いてしまい、その機会を逃してしまいました。

次の機会は逃したくないと願っています。

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ヨハネの福音書のデボーション

かわいそうパーティーを立ち去る

この話に登場する病の人は、まるで本格的な「かわいそうパーティー」を開いているようでした。

イエス様が「良くなりたいか」と尋ねられると、その人は「誰も助けてくれない」と文句を言いました。

しかし、イエス様は彼にこう言われました。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」

そして、イエス様の力によって、その人は癒されました。

私たちが苦しんでいるとき、どれほど「かわいそうパーティー」を開いているでしょうか。どれほど「誰も私を愛してくれない。誰も助けてくれない」と文句を言っているでしょうか。

けれども、イエス様は私たちに語りかけておられます。「私の助けを望んでいるの?私は喜んで助けてあげるよ。」

そして、もし私たちがイエス様の言葉に従うなら、神様の力によって、私たちの人生は変えられます。

あなたはどうでしょうか。あなたは「かわいそうパーティー」から立ち上がって、イエス様の言葉に従いますか。

それとも、そのまま座り続けて、自分をかわいそうに思い続けますか。