サムエル記第一16〜19章では、私たちは三回このような言葉を読みます。「主からの、わざわいの霊が彼をおびえさせた」(16:14、23;18:10;19:9)。
正直に言うと、これらは難しい言葉です。神様は災いの霊を、災いをもたらすために送ることがあるのでしょうか。どうして、良い神、また愛の神がそのようなことをなさることができるのでしょうか。
厳しい答えですが、それは神様の正当な裁きです。サウルは神様をあえて拒んだからです。
けれども、聖書はこの裁きが、悔い改めの最後のチャンスを与えるものであることを示唆しています。
第一列王記22章では、神様はアハブ王に破滅をもたらすために偽りの霊を送りました。それでも、それと同時に、神様はアハブに警告するために預言者を遣わし、悔い改めのチャンスを与えました。
けれども、以前の話と違って(列王記第一21:27〜29)、アハブは悔い改めようとしませんでした(列王記第一22:17〜28)。
新約聖書でも、同じようなことが見られます。パウロは、悔い改めようとしない罪人に関して、こう語っています。
そのような者を、その肉が滅ぼされるようにサタンに引き渡したのです。それによって彼の霊が主の日に救われるためです。(第一コリント5:5)
黙示録では、神様はいろいろな災害を送られます。悪霊によってもたらされる災害もあるようです。
多くの人々が死にますが、それ以上に多くの人々が生き残っていて、悔い改めのチャンスがあります。しかし、彼らは悔い改めようとしません(黙示録9:20〜21)。
そして、第二テサロニケでは、パウロは終わりの日について語っています。人々が騙されて滅びるために、神様は反キリストをこの世に放たれます。
なぜでしょうか。その理由は明確です。
彼らが滅びるのは、自分を救う真理を愛をもって受け入れなかったからです。
それで神は、惑わす力を送られ、彼らは偽りを信じるようになります。
それは、真理を信じないで、不義を喜んでいたすべての者が、さばかれるようになるためです。(第二テサロニケ2:10ー12)
つまり、反キリストとその惑わす力は、人々が真理を愛することを拒否したことに対する神の罰なのです。
神様がサウルやアハブを裁かれたように、終わりの日には、神様は悔い改めることを拒む人々を裁かれるのです。
あなたはどうでしょうか。神様を愛しているでしょうか。真理を愛しているでしょうか。正義を喜んでいるでしょうか。
あなたは、神様にどのように反応するでしょうか。