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ヨハネの福音書のデボーション

「わたしのもとに来なさい」

イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。」(ヨハネの福音書7:37)

今朝、イエス様のみ言葉を思いめぐらしていました。

「わたしのもとに来なさい。」

私は疲れて、潤いたいと思うとき、どこに行くのでしょうか。

正直に言うと、私はしばしばYouTubeを見ます。また、本を読んだり、コンピューターゲームをしたりします。

しかし、私はどれほどイエス様のみもとに行くのでしょうか。

もちろん、たまにそうすることはあります。

主とともに散歩したり、ギターを弾きながら賛美することもあります。

けれども、多くの場合、それは三番目や四番目の選択肢です。

「わたしのもとに来なさい。」

イエス様がこの世を歩んでおられたとき、弟子たちは簡単にそれができたでしょう。

けれども、イエス様はいつも天のお父さんのみもとに行っておられました。

イエス様は天のお父さんに近づいて祈り、そのみ声に耳を傾け、その愛を受け取る時間を取っておられました。

私もそのような時間を取る必要があるでしょう。

イエス様、私があなたのみもとに来て、潤うことを学ぶようにしてください。そして、私がこのように言えるようにしてください。「私の泉はみなあなたにあります。」(詩篇87:7)

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ヨハネの福音書のデボーション

生けるパン、生ける水

イエスは答えられた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、水を飲ませてくださいとあなたに言っているのがだれなのかを知っていたら、あなたのほうからその人に求めていたでしょう。そして、その人はあなたに生ける水を与えたことでしょう…

わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」(ヨハネの福音書4:10、14)

イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません…

わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。」(ヨハネの福音書6:35、51)

さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」

イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。(ヨハネの福音書7:37~39)

イエス様、あなたは天から下って来られた生けるパンです。私があなたを食べる者としてください。

あなたのみ言葉はいのちを与えてくださいます。それは、「いつか天に行ったときのいのち」だけではなく、今のいのちなのです。

だから、私があなたが語っておられたみ言葉のすべてを食べる者としてください。私があなたを信じ、そのみ言葉が私の頭から心へ、そして手へと届くようにしてください。また、そのみ言葉が私の魂を養い、毎日毎日、一瞬一瞬、私を励まし、私の考え方を変えるようにしてください。

また、私は日々あなたの愛と恵みを食べる者としてください。あなたは、十字架でご自分自身を捧げられたとき、この世のいのちのために、そして私のいのちのために、その愛と恵みを示してくださいました。

さらに、私が決して乾くことがないように、生ける水である御霊を私の上に常に注いでください。御霊が私のうちに住み、潤し、導き、あなたの働きをするために力を与えてくださいますように。

イエス様、私の生けるパンとなってください。

聖霊様、私の生ける水となってください。

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ヨハネの福音書のデボーション

乾かない歩みへ

イエスは答えられた。「この水を飲む人はみな、また渇きます。

しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」(ヨハネの福音書4:13~14)

イエス様のみ言葉を思いめぐらしていました。

井戸や泉は何のためにあるのでしょうか。ただの飾りではありません。水を飲むためのものです。一度きりではなく、いつも、飲み続けるためのものです。

神様は私に、生ける水である御霊を与えてくださいました。(ヨハネの福音書7:38~39)

そして、その御霊を得るために、私は外に探しに行く必要はありません。御霊は私のうちに住んでおられます。私は、毎日毎日、一瞬一瞬、その交わりと愛と力を飲みながら生きる者なのです。

それは「いつか天に行ったときのいのち」のためではなく、今のいのちのためです。

永遠のいのちは、すでに始まっている現在のいのちなのです。

しかし、もし私が御霊から絶えず飲むことをしないで、別の井戸を求めてしまうなら、私は再び渇いてしまいます。

私はそのように生きたくありません。

だから、先週と同じように、私はもう一度、御霊に祈ります。

More love,
あなたの愛をもっと
More power,
あなたの力をもっと
More of you in my life.
あなたご自身をもっともっと求めています。– ジュード・デル・イエロ

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ヨハネの福音書のデボーション

御霊によって生まれて

イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。水と風(別訳)によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。(ヨハネの福音書3:5)

私は確実には言えませんが、もしかしたら、その訳は正しいのかもしれません。

旧約聖書の言語でも、新約聖書の言語でも、御霊・風・息は同じ語で表されます。

ですから、もしかすると5節でイエス様は、「水」と「風」を御霊の比喩として用いておられたのかもしれません。

つまり、「御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできない」ということです。

実際、イエス様は6節と8節で、「水と風によって生まれる」という表現を「御霊によって生まれる」と言い換えておられます。

いずれにせよ、私は、なぜ聖書が御霊を水や風に例えるのかを考えていました。

旧約聖書では、水は人を清め、乾いた地を潤し、実を結ばせ、いのちを与えます。(イザヤ書44:3~4;エゼキエル書36:25;47:8~9)

また、息は四方から吹き、人に吹きつけて、彼らを生き返らせました。(エゼキエル書37:9~10)

さらに、神の『息』は人の内に住み、その『風』は神の道に従うように導いてくださいます。(エゼキエル書36:26~27)

ですから今日、私はこのように祈りました。

聖霊様、私に吹きつけ、私を生かしてください。私はあなたから離れていては、いのちを持つことができません。

私の罪と汚れをきよめてください。私の中の乾いたところを潤し、私が実を結ぶ者となるようにしてください。

そして、あなたの生ける水の川が私から流れ出て、周囲の人々にいのちを与えるようにしてください。

あなたは思いのままに行かれます。どうか私を連れて行ってください。あなたがどこに行っておられるのかを教えてください。あなたの道を示してください。

私はあなたがどこに行っておられるのか分かりませんが、どうか私を導いてください。

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使徒の働きのデボーション

二流のクリスチャンなどいない

また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。 すると皆が聖霊に満たされ(た)。。。(使徒の働き2:3-4)

この言葉は私の目に留まりました。

御霊は、その部屋にいた一人ひとりの上にとどまりました。12人の使徒たちだけではなく、皆の上にとどまりました。男性も女性も、年配の人も若者も関係なく、御霊は皆の上にとどまりました。

彼らの間には、二流や三流のクリスチャンなどいませんでした。

彼らは皆、神の臨在、知恵、力にアクセスを持っていました。

私も、あなたも、そのアクセスを持っています。

私はそのアクセスを当たり前のものだとは決して思いたくありません。

むしろ、神様が与えてくださったものを最大限に活用したいと願っています。

だから、今日、このように歌っています。

More love,
あなたの愛をもっと
More power,
あなたの力をもっと
More of you in my life.
あなたご自身をもっともっと求めています。– ジュード・デル・イエロ

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使徒の働きのデボーション

祈りに専念している

この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。(使徒の働き1:14、新改訳第三版)

今朝、そのことばを思いめぐらしていました。弟子たちは祈って終わりにしていたのではなく、祈りに専念していました。

では、彼らは何のために祈っていたのでしょうか。もちろん、自分の必要や個人的な霊的成長のために祈っていたかもしれません。

しかし、おそらくそれ以上に、二つのことを特に祈っていたのだと思います。

「あなたの御国が来ますように。」

「御霊を遣わしてください。あなたの御国をもたらすために、あなたの力で満たしてください。」

彼らは、自分たちが何のために祈っているのか、また神様がその祈りにどのように答えてくださるのか、具体的には分かっていなかったでしょう。

御国がローマ帝国をどのように変え、どのように広がっていくのかも、明確に分からなかったでしょう。

また、御霊とその力で満たされるとはどういうことなのかも、はっきりとは理解していなかったでしょう。

それでも、彼らはその祈りに専念しました。

そして神様は、彼らが思い描いていたすべてをはるかに超えて答えてくださいました。

私も彼らと同じように祈りたいと願っています。

主よ、あなたの御国が来ますように。

あなたの御霊で私を満たしてください。私が周囲の人々に御国の働きをするために、あなたの力で満たしてください。

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ルカの福音書のデボーション

御霊に満ち、遣わされて

さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダンから帰られた。そして御霊によって荒野に導かれ…(ルカの福音書4:1)

イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。(ルカの福音書4:14)

「主の霊がわたしの上にある。
貧しい人に良い知らせを伝えるため、
主はわたしに油を注ぎ、
わたしを遣わされた。
捕らわれ人には解放を、
目の見えない人には目の開かれることを告げ、
虐げられている人を自由の身とし、
主の恵みの年を告げるために。」(ルカの福音書4:18-19)

正直に言うと、今日の初め、私の心は乱れていました。おそらく、SNSやニュースを開いたところから一日を始めてしまったからでしょう。

そこで、「人の怒り」(ヤコブ1:20)に心を向けていたことを悔い改め、上の言葉に目を向けました。

御霊に満ちていた。

御霊によって導かれた。

御霊の力を帯びた。

御霊によって油注がれ、遣わされた。

イエス様はそのように歩んでおられました。

私もそのように歩みたいと願っています。

なぜなら、私たちは壊れた世界に生きており、その世界は良い知らせを切実に必要としているからです。

王は来られました。

その御国はすでに始まっています。

主の恵みの年が訪れました。

だから、私はこのように祈っています。

天のお父さん、私が怒りや恐れに駆られるのではなく、あなたの御霊に満たされるようにしてください。周囲の人々に、あなたにある希望を届ける器として私を用いてください。

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マタイの福音書のデボーション

悔い改め以上

私はあなたがたに、悔い改めのバプテスマを水で授けていますが、私の後に来られる方は私よりも力のある方です。。。

その方は聖霊と火であなたがたにバプテスマを授けられます。(マタイの福音書3:11)

今朝、私はその言葉を思い巡らしました。

もちろん、神様は私たちの悔い改めを願っておられます。

しかし、神様はそれだけではなく、私たちの内側でさらに深いことをなさろうと願っておられます。

つまり、精錬する者の火で私たちを清め、御霊の力と臨在で私たちを満たそうとしておられるのです。(マラキ書3:2~3;使徒の働き1:8)

この世は本当に壊れています。

私の内にも、まだ壊れた部分があります。

けれども、私がひびのある器であっても、神様は私を通してこの壊れた世に触れたいと願っておられることを信じます。

だから今日、神様がそのように働いてくださるように祈っています。

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ガラテヤ人への手紙のデボーション

あなたのいつくしみ深い霊が私を導いてくださいますように

御霊によって導かれているなら、あなたがたは律法の下にはいません。。。

しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。。。

私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。(ガラテヤ人への手紙5:18、22ー23、25)

今日の箇所を読んだとき、私はこう思いました。「単なるルールの一覧ではなく、生きておられる神の御霊に従っていて、よかった。」

なぜなら、ルールの一覧は、私の弱さを見たときに、あわれみも思いやりもまったく示してくれないからです。私の存在に心を留めてくれることもありません。

しかし、御霊は冷たく無関心なお方ではありません。むしろ、私の弱さに対して、あわれみと心遣いをもって応えてくださいます。

正直に言えば、私は御霊との関係を親しく感じるのが少し難しいです。なぜか、天のお父さんやイエス様ほどには、御霊が人格を持つお方として心に届いてこないことがあります。

けれども、御霊の実が「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」であるなら、まさに御霊ご自身がそのようなお方なのでしょう。私を見つめるとき、きっとそのような御顔を向けてくださっているのではないでしょうか。

今日、私はそのようなことを思い巡らしています。そして、私の悲しみと苦しみの中で、天のお父さんに祈っています。

あなたのいつくしみ深い霊が平らな地に私を導いてくださいますように。(詩篇143:10)

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使徒の働きのデボーション

神に出会える場所となる(3)

使徒の働き6章を読むたびに、ステパノについての記述が私の心に響きます。

「御霊に満ちた。」

「知恵に満ちた。」

「信仰に満ちた。」

「恵みに満ちた。」

「力に満ちた。」

今日、この言葉を読んで、私はこう考えました。

「もし私が、周囲の人々にとって神に出会える場所となりたいのなら、そのような人にならなければならない。」

しかし、ステパノはどのようにして、このような人物となったのでしょうか。

おそらく、その理由の一つは、彼が他のクリスチャンたちと同じように、御言葉と祈りに専念したからです。(使徒の働き2:42)

この二つの事柄は、12人の使徒たちのミニストリーの中心でした。(使徒の働き6:4)

ステパノは聖書に精通するにつれて、その知恵を深めていきました。

祈りによって、御霊と強く結ばれ、恵み、力、そして信仰に満ちるようになったのです。

だから、私は御言葉と祈りのために、もう少し時間を取る必要があると思います。もしかしたら、もっと多くの時間を取るべきなのかもしれません。

もちろん、私は仕事の責任、家族の義務、そして他にも果たすべき事柄があります。

しかし、もしかすると、神様が今、私に静かに語りかけておられるのではないかと思います。

「もう少し時間をちょうだい。もう少し時間を与えてくれないか。コンピューターの時間、YouTubeの時間、ポッドキャストの時間をもう少し減らして、私と過ごす時間を増やしてほしい。」

もしかしたら、神様はあなたにも同じようなことを語っておられるかもしれません。

あなたはどう思いますか。

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使徒の働きのデボーション

御国が来ますように

彼らはみな。。。いつも心を一つにして祈っていた。(使徒の働き1:14)

使徒たちや他のクリスチャンたちは、何について祈っていたでしょうか。

ただ自分たちの個人的な必要のために祈っていたのでしょうか。

イエス様が神の御国について彼らに教え、「エルサレムで御霊を待ちなさい」と言われたことを考慮すると、彼らの祈りの焦点はそれだけではなかったでしょう。

ただ私の意見ですが、彼らは特に二つのことを祈っていたと思います。

「あなたの御国が来ますように。」

「あなたの御霊を遣わしてください。」

だから、今日、私はそのように祈ります。

天のお父さん、あなたの御国があなたの民の間に来ますように。

あなたの教会が天と地の交わる場所となりますように。

みこころが天で行われるように、あなたの民の間でも行われますように。

あなたの教会が、私たちの罪の鎖が砕かれ、壊れた人生が癒され、あなたとの関係が回復する場所となりますように。

しかし、それだけではなく、どうかあなたの御霊で私たちを満たしてください。イエス様が御霊に満たされたように、私たちをも満たしてください。それは、私たちが効果的な証人となるためです。

あなたが御国を私たちの人生にもたらされたように、私たちを用いて、周囲の人々にも御国をもたらしてください。人々の鎖を砕き、人生を癒し、人々をあなたへと導いてください。

イエス様の御名によって祈ります。アーメン。

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ヨハネの福音書のデボーション

私を導いてください

あなたがたに話すことはまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐えられません。

しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。(ヨハネの福音書16:12-13)

イエス様、あなたが私に話してくださることはまだたくさんあると思いますが、私がまだ耐えられないゆえに、どれだけ教えてくださるのを控えられるのでしょうか。

あなたは私の気づいていない罪について、どれだけ教えてくださるのを控えられることがあるのでしょうか。なぜなら、私がすべてを見たならば、罪悪感に圧倒されてしまうからです。

私の未来に関して、どれだけ教えてくださるのを控えられることがあるのでしょうか。なぜなら、良いことを知っていたとしたら、私は無理にそれを起こそうとするからです。

また、大変な試練が迫っているとしたら、私は思い悩んでしまうからです。

それでも、あなたのタイミングで、あなたの御霊によって、私をすべての真理に導いてくださいます。

聖霊様、導いてください。

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ヨハネの福音書のデボーション

生ける水の川

さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。

「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」

イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ下っていなかったのである。(ヨハネ7:37-39)

なぜかこの箇所を読むたびに私が最初に考えることは、私がイエス様のみもとに行くと、御霊が私の霊的な渇きを満たしてくださるということです。

でも今日、神様が私に思い出させたのは、単に私の渇きを満たすためだけに御霊を与えてくださるのではないということです。

むしろ神様は、私の周囲の霊的な渇きで死にそうになっている人たちが命を知ることができるように、神の生ける水の川が私の心の奥底から流れ出ることを望んでおられるのです。

だから、私はこのように祈りました。

聖霊様、私はあなたを受け、あなたは私の渇きを満たしてくださいました。でも、周囲の渇いている人たちも飲んで命を知ることができるように、あなたが川のように私から流れ出るように祈ります。

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マタイの福音書のデボーション

産みの苦しみ

また、戦争や戦争のうわさを聞くことになりますが、気をつけて、うろたえないようにしなさい。そういうことは必ず起こりますが、まだ終わりではありません。

民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで飢饉と地震が起こります。

しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりなのです。(マタイの福音書24:6~8)

イエス様の言葉を読んだとき、私はパウロの言葉を連想しました。

私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。

それだけでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめいています。(ローマ8:22~23)

この世の問題や自分の問題を見るとき、私たちが心の中でうめくことは自然なことです。

でも、私たちは希望を持っています。

被造物のうめきと私たちのうめきは、絶望のうめき、死のうめきではありません。

私たちのうめきは、産みの苦しみのうめき、つまり、命の希望のうめきなのです。

イエス様は、この世にもう一度来られます。そのとき、イエス様は、すべての悪を裁かれます。

そして、イエス様は、ご自分の民を救い、すべてを新しくしてくださいます。(マタイの福音書24:30~31)

それが、私たちの希望です。そして、その希望は確かなものです。なぜなら、イエス様の言葉は確かだからです。

イエス様は言われました。

天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。(マタイの福音書24:35)

だから、この世の問題を見るとき、自分の問題を見るとき、絶望に屈してはいけません。

また、自分の愛が冷えないように、注意しなくてはなりません。

むしろ、神様が私たちに与えてくださった役割を、忠実に果たしましょう。

そして、イエス様を待ち望んでいる間、私たちが一人ぼっちではないことを、覚えていましょう。

同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。

私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。

人間の心を探る方は、御霊の思いが何であるかを知っておられます。なぜなら、御霊は神のみこころにしたがって、聖徒たちのためにとりなしてくださるからです。

神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。(ローマ8:26~28)

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ヨハネの福音書のデボーション

神の口から出る一つ一つのことばによって生きる

イエス様、あなたは「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる」と言われました。

あなたはこのことばに従って、日々を歩まれました。あなたは天の父の口から出る一つ一つのことばによって生きられました。

天の父が命じられたとおりに、あなたはすべてを行われました。(ヨハネの福音書14:31)

ですから今、私もあなたの口から出る一つ一つのことばによって生きる者となれますように。なぜなら、あなたが語られたすべてのことばは、天の父の口から出たものだからです。(10,24節)

私が自分の悟りに頼ることのないように。

私が罪によって歪められたこの世の知恵にも頼ることのないように。

むしろ、あなたのことばが私の思考を形づくり、あなたのことばが私の価値観を形づくり、あなたのことばが私の優先順位を形づくるように。

なぜなら、あなたのことばは真理であり、そのことばは私に命を与えてくださるものだからです。

あなたの真理を教え、あなたが語られたことを思い起こさせるために御霊を与えてくださったことを感謝します。(26節)

私が日々、御霊と歩調を合わせて歩むことができますように。

あなたの御名によって祈ります。アーメン。

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使徒の働きのデボーション

御霊と知恵に満ちた人

そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たちを七人選びなさい。

その人たちにこの務めを任せることにして、私たちは祈りと、みことばの奉仕に専念します。(使徒の働き6:3ー4)

今日の箇所を読んだとき、「祈りとみ言葉」と「御霊と知恵に満ちた人」の関係が見えてきました。

御霊に満ちた人になりたいですか。イエス様のように、御霊に導かれ、その力によって歩みたいですか(ルカ4:1、14)。

そのような人生を送りたいのであれば、御霊と繋がらなくてはなりません。つまり、私たちは祈らなくてはならないということです。毎日、私たちは、御霊が私たちを満たし、力を与え、導いてくださるように祈るべきです。

イエス様は私たちに言われました。「求め続けなさい。探し続けなさい。たたき続けなさい。そうすれば、神様は必ず御霊を与えてくださいます。」(ルカ11:9-13)

知恵に満ちた人になりたいですか。聖書に専念する人にならなくてはなりません。聖書を読み、その言葉に思いを巡らしてこそ、神様のように考え始めるのです。

使徒たちはその二つのことに専念したので、御霊と知恵に満ちた人になりました。でも、そのような生活は、ただ偉いクリスチャンたちのためのものではありません。

私たち皆が、そのようなクリスチャン生活を送るべきなのです。

使徒の働きの時代、すべてのクリスチャンたちはみ言葉と祈りに専念していました。(使徒の働き2:42)

だから、そのような生活は、ただ偉いクリスチャンのためであるという嘘を信じてはいけません。イエス様についていくすべてのクリスチャンが、そのように生きるべきなのです。

神様の民である私たちが御霊と知恵に満ちて生きるとき、私たちの愛する人々、そしてこの国の人々も変えられ、イエス様に従うようになります。

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ルカの福音書のデボーション

満たされ、導かれ、力を帯びている

さて、イエすは聖霊に満ちてヨルダンから帰られた。そして御霊によって荒野に導かれ、四十日間、悪魔の試みを受けられた。。。。

イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。(ルカの福音書4:1-2,14)

聖霊様、あなたが私と共におられなければ、私はこのクリスチャン生活を送ることができません。

私には誘惑に打ち勝つ力がありません。

私は試練や霊的な荒野を耐えることができません。

私はあなたの働きをすることができません。私には人に触れる力がありません。

私にはあなたが必要です。

あなたがイエス様を満たされたように、私を満たしてください。

あなたがイエス様を導かれたように、私を導いてください。

あなたがイエス様に力を与えられたように、私に力を与えてください。

イエス様の御名によって祈ります。アーメン。

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ルカの福音書のデボーション

御霊が私たちの上に臨むとき

聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。(ルカの福音書1:35)

もちろん、御使いはマリアに語り、処女であるにもかかわらず、どのようにして赤ちゃんを産むことができるかを説明しました。

けれども、今日私が気づいたのは、イエス様が昇天される前に、似たような言葉を弟子たちに語られたということです。

しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。

そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。(使徒の働き1:8)

イエス様が生まれるために、聖霊様がマリアの上に臨み、神の力がマリアを覆ってくださったように、すべての国民が新しく生まれるために、聖霊様は私たちの上にも臨み、神の力が私たちを覆ってくださいます。

あなたは、自分を普通の人だと思うかもしれません。

しかし、マリアも普通の人でした。

弟子たちも普通の人たちでした。

それでも、神様は彼らを用いてくださいました。

同じように、神様は周りの人々に命を与えるために、あなたをも用いてくださいます。

聖霊様、私の上に臨んでください。あなたの力で私を満たしてください。私を用いて、周りの人々に命を与えてください。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン。

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サムエル記第一のデボーション

私の祈り

「主の霊があなたの上に激しく下り、あなたも彼らと一緒に預言して、新しい人に変えられます。

これらのしるしがあなたに起こったら、自分の力でできることをしなさい。神があなたとともにおられるのですから。」

。。。サウルがサムエルから去って行こうと背を向けたとき、神はサウルに新しい心を与えられた。(サムエル記第一10:6ー7、9)

天のお父様、あなたが短い間、一人の人のためにしてくださったことを、今やあなたの教会全体のためにしてくださいました。つまり、あなたが私たちに御霊を与えてくださったことです。(使徒の働き1:8;2:1〜18)

サウルが真実ではなかったので、結局、あなたの御霊は彼から離れ去りました。(第一サムエル16:14)

でも、あなたは真実であり、あなたの恵みによって、私たちを見捨てないと約束してくださいました。(第二テモテ2:13;ヘブル13:5)

だから聖霊様、あなたの民に激しく下り、私たちを新しい人に変えてください。私たちに新しい心を与えてください。私たちを導いてください。この国に触れて救うために、私たちを用いてください。

今日、私たちの愛する人々、同僚、隣人、私たちの周りのすべての人に、あなたの愛で触れるように助けてください。

イエス様のみ名によって祈ります。アーメン。

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ヨハネの手紙第一

私たちが受けた注ぎの油

どうやら、偽教師たちがクリスチャンたちに教えたことはこうでした。「あなたがたが使徒たちから学んだことだけでは不十分です。私たちは特別な神様からの注ぎの油を受けました。あなたがたも使徒たちも、それをまだ受けていません。」

しかし、ヨハネはその読み手たちにこう言いました。

あなたがたには聖なる方からの注ぎの油があるので、みな真理を知っています。(ヨハネの手紙第一2:20)

また、

しかし、あなたがたのうちには、御子から受けた注ぎの油がとどまっているので、だれかに教えてもらう必要はありません。

その注ぎの油が、すべてについてあなたがたに教えてくれます。それは真理であって偽りではありませんから、あなたがたは教えられたとおり、御子のうちにとどまりなさい。」(27)

その注ぎの油とは何でしょうか。それは、神様がすべての信者たちに与えてくださる聖霊様のことです。

ヨハネの言葉は、イエス様の言葉によく似ています。

しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。。。

しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。御霊は自分から語るのではなく、聞いたことをすべて語り、これから起こることをあなたがたに伝えてくださいます。

御霊はわたしの栄光を現されます。わたしのものを受けて、あなたがたに伝えてくださるのです。((ヨハネ14:26、16:13-14)

ここには、二つの重要なポイントがあります。

第一に、イエス様によれば、聖霊様が私たちの先生であるということです。

聖霊様は私たちに何を教えるのでしょうか。聖霊様がイエス様の教えに反することを教えるでしょうか。とんでもありません。むしろ、聖霊様は私たちにイエス様の言葉を思い出させてくださいます。

もし聖霊様がご自身から語るのではなく、聞いたことをすべて語るなら、聖霊様がイエス様の言葉に反することを教えるはずがありません。

だから、誰かが「聖霊様が私にこう教えた」と主張しても、その言葉がイエス様の言葉に反するなら、その人を無視しなければなりません。

第二に、イエス様の言葉を教え、示されるとき、聖霊様はいつもイエス様の栄光を現わされます。ヨハネの時代の偽教師や現代の偽教師とは異なり、聖霊様は決してイエス様を否定することなく、イエス様を軽蔑することもありません。

もちろん、ヨハネは「あなたがたには教師は要らない」と言っているわけではありません。(実際、ヨハネ自身がこの手紙を通してクリスチャンたちに教えていました。)

ヨハネが言おうとしているのは、イエス様の教えに反することを教える特別な油注ぎのある教師たちは必要ないということです。

むしろ、聖霊様が最初から教えてくださったように、イエス様のうちにとどまりましょう。イエス様をあなたの主と神として認め、毎日、自分の人生をイエス様に捧げましょう。

あなたは御霊のみ言葉に従っていますか。

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使徒の働き

御霊に満たされ続く

この箇所を読むと、二つのことに気づきました。

第一に、御霊に満たされることは一度きりの経験ではありません。むしろ、神様の民は何度も御霊に満たされました。この箇所でそのことが分かりますし、使徒の働きの中でも何度も確認できます。

第二に、御霊に満たされることには特別な目的があります。この箇所では、その目的が二つ示されています。つまり、大胆さと力です。

ルカは最高法院の人々について、こう記しています。

彼らはペテロとヨハネの大胆さを見、また二人が無学な普通の人であるのを知って驚いた。また、二人がイエスとともにいたのだということも分かってきた。(使徒の働き4:13)

少し考えてみてください。ペテロとヨハネは逮捕され、一晩中拘束されました。 そのため、彼らが最高法院の前に引き出されたとき、宗教的な指導者たちは彼らが恐れるだろうと予想しました。

ところが、ペテロとヨハネは大胆にイエス様のことを伝え、聖書を引用しました。さらに、彼らは驚くべき言葉を語ったのです。

この方(イエス様)以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。(12)

彼らは世間一般の漁師でした。特別な宗教的な教育を受けたわけではありませんでした。それでも、彼らは力と大胆さをもって、そのことを語りました。

さらに、宗教的な指導者たちがどれほど彼らを迫害しても、ペテロとヨハネを黙らせることはできませんでした。

また、宗教的な指導者たちは、イエス様の空っぽのお墓を説明できず、癒された足の不自由な人の奇跡を否定することもできなかったため、ペテロとヨハネの言葉に反論することができませんでした。

そこで彼らは協議を重ねた後、ペテロとヨハネを再び脅し、イエス様の名によって語ることも教えることも禁止しました。

しかし、ペテロとヨハネは再び大胆に答えました。

神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従うほうが、神の御前に正しいかどうか、判断してください。

私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません。(19-20)

宗教的な指導者たちはそれを聞くと、さらに二人を脅しましたが、結局は彼らを釈放しました。

ペテロとヨハネは、仲間のクリスチャンたちと再会すると、共に祈りました。特に、すべての人々がイエス様こそメシアであることを知るために、神様がクリスチャンたちに大胆さと力を与えてくださるように祈りました。

そのあと、

集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語り出した。(31)

この話から、私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

第一に、イエス様のためにこの世に影響を与えたいと思うなら、私たちの中に聖霊の臨在が必要です。

私たちはただの一般人かもしれませんが、聖霊を通して大胆さと力を持つことができ、神様は私たちを通して素晴らしい働きをされます。

しかし、私たちはどれほどその大胆さと力を欠いているでしょうか。私はその感覚がよく分かります。自分の欠点と弱さを知って、自信を持てないことも多くあります。

だからこそ、私たちは皆、聖霊に満たされ続けなければなりません。

私たちは御霊の器ですが、そこには多くのひびが入っています。私たちは疲れることもあります。世のものに心を奪われてしまうこともあります。絶望することもあります。

だから毎日、さらに毎秒、神様の働きをするために聖霊様に満たされなければなりません。

聖霊様、私はあなたを必要とします。どうか毎日私を満たしてください。この世の民はあなたを本当に必要としています。だから、あなたの働きをするために、私を力と大胆さで満たしてください。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。

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使徒の働き

この同じ御霊

私にとって、聖霊様が来て、教会を力で満たされた日のことを想像するのは少し難しいです。激しい風のような響きが聞こえ、炎のような舌が一人ひとりの上に留まる光景は、非常に不思議で神秘的なものでした。

そして、御霊に満たされ、彼らはエルサレムの道に出て、学んだことのない言語で神様を賛美しました。

周りの国々から来たユダヤ教の改宗者たちは、その賛美を自分の言語で聞き、とても驚きました。私が彼らの立場なら、私も驚いたことでしょう。「不思議だな。これは何なのだろう?」

しかし、ペテロはこう言いました。

これは、預言者ヨエルによって語られたことです。

「神は言われる。終わりの日に、わたしは、すべての人にわたしの霊を注ぐ。

あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。

その日わたしは、私のしもべにも、はしためにも、私の霊を注ぐ。すると彼らは預言する。。。」(使徒:16-18)

そしてペテロが福音を伝え、その日に3000人の人々が救われました。

そんな話を読んで、多くのクリスチャンは問いかけます。「どうして現代ではそんなことが起こらないのだろうか。どうして現代に聖霊様はそのように働かないのだろうか。」

しかし、聖霊様は現代でもそのように働くと私は思います。ペテロはこう言いました。

それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。

この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです。(38-39)

ペテロによれば、聖霊という賜物はペテロの世代だけのためではありません。ペテロは、彼らの子孫にも聖霊様が与えられると言いました。

それだけではなく、聖霊様はすべての国民に与えられるとも言いました。つまり、主が召してくださったすべての人々は聖霊様を受けます。

例えば、14年前、私の牧師の人生が混乱していたとき、神様は彼に夢を見させました。その夢によって、私たちの教会は始まりました。

振り返ると、神様は何度も私の周りの人々を通して私に語りかけてくださいました。

私が人生のために神様の御心を求めていたとき、ある日、私の祈りを知らない私の友人が突然こう言いました。

「ブルース、なぜか私はあなたが事務職をすることが想像できません。あなたはミニストリー向きだと思います。」

さらに、神様が私に直接語りかけたり、私の人生にさまざまなことをなさったので、私は快適なハワイの生活を捨てて、日本に引っ越しました。

私は確信をもって、聖霊様のおかげで日本に来たと言えます。

実は、私は聖霊様の導きをもっともっと必要としています。

正直に言えば、私はよく自分の力と知恵によってミニストリーを行っています。けれども、そのように生きることはもう望んでいません。2000年前にクリスチャンたちが聖霊様に満たされたように、私も聖霊様に満たされたいのです。

あなたはどうですか。

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ヨハネの福音書 ヨハネ16章

御霊の働き

聖霊様とは誰でしょうか。今なお、多くのクリスチャンたちは聖霊様について混乱しています。

一つのことを心に留めておきましょう。聖霊様は「物」ではなく、「者」です。

聖霊様は単なる力ではなく、人格を持っておられます。

だからこそ、イエス様が聖霊様について話されるとき、聖霊様を「助け主」と呼ばれました。

このギリシャ語の言葉は翻訳が難しいものですが、ある意味では、聖霊様は弁護士のような存在です。サタンが私たちを責めようとするとき、聖霊様は私たちを弁護し、助言を与え、助けてくださいます。人格のない力には、そんなことはできません。

だからこそ、このことを理解し、心に留めましょう。聖霊様は人格を持つ方なのです。

サタンが私たちを責めるとき、聖霊様はイエス様とともに、天の父のみ前で私たちのためにとりなしてくださいます。

私たちがどう祈ればよいか分からないとき、聖霊様は私たちのために祈ってくださいます。(ローマ 8:26-27,34)

私たちが神様が本当に私たちを愛しておられるのか疑問に思うとき、聖霊様は「あなたは神様の子どもだよ」と思い出させてくださいます。(ローマ 8:15-16;第一ヨハネ 3:24)

そして、今日の箇所では、イエス様はさらに聖霊様の働きについて教えてくださいした。

その方(聖霊様)が来ると、罪について、義について、裁きについて、世の誤りを明らかになさいます。(ヨハネの福音書16:8)

時々、私たちは人々の心を変える責任があると思いがちです。もちろん、私たちは福音の種を蒔き、水を注ぐ責任があります。

しかし、その種を成長させることができるのは、聖霊様だけです。人々の心を変えることができるのも、聖霊様だけです。

人々がイエス様を拒絶するとき、聖霊様は彼らの罪を明らかにされます。(ところで、この箇所における「罪」とは、一般的な悪行を指すのではなく、イエス様を拒絶することを意味します。)

イエス様が天に戻られたため、私たちはイエス様の義の模範を直接見ることができません。だからこそ、聖霊様は私たちに何が良いのかを教え、イエス様こそが救いの道であることを示してくださいます。

また、聖霊様は人々に将来の裁きについて警告されます。サタンが裁かれるのはもちろんですが、キリストを拒絶する者も裁かれます。

最後に、聖霊様は私たちをすべての真理へと導いてくださいます。私たちが聖書を読むとき、聖霊様はその言葉の意味を教えてくださいます。

初めて聖書の言葉を読むとき、その意味が分からないかもしれません。けれども、後になって私たちがその言葉を必要とするとき、聖霊様はそれを思い出させ、その意味を説明してくださいます。

もう一つのことに気づいてください。つまり、天の父とイエス様と聖霊様の交流です。

天の父が知っておられることは、イエス様も知っておられます。そして、イエス様が知っておられることを、聖霊様は正しい時に私たちに現してくださいました。

天の父、イエス様、聖霊様は唯一の神であり、調和して働かれます。

では、この真理が私たちにとってどんな意義を持つのでしょうか。

イエス様が「私たちの益のために天に戻る」と言われたとき、それは本気の言葉でした。なぜなら、聖霊様を通して神様ご自身が、イエス様を信じる者のうちに住んでおられるからです。

聖霊様は私たちを通して、周りの人々をイエス様へと導かれます。聖霊様は私たちの弁護士として働き、私たちのためにとりなし、教え、導いてくださいます。また、聖霊様は私たちを慰めてくださいます。

イエス様、聖霊様を私たちに与えてくださり、感謝します。聖霊様を通して、あなたは真にインマヌエル—「私たちとともにおられる神」です。

聖霊様、どうか毎日私たちを導き、教え、助けてください。

イエス様のみ名によって祈ります。アーメン。